新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

冬祭り-本番① 藤木神社の梵天

2019-01-31 09:50:13 | 観光地


今朝は、地元、藤木地区の伝統行事「梵天引き回し」が当YHにも来て頂きました。これも一つの来訪神の流れ?男鹿の伝統行事「なまはげ」に通じるところがあるかと思います。「梵天」は、火消しのまといのようなもので、この地域では、その年に42歳の厄年になる男衆が藤木八幡神社に奉納しますが、奉納前に地域をまわって、厄払いをしていく行事です。



おおむね、一生に一度だけのイベントで、この年には同窓会にもなるそうですで、今年は昭和53年会。例年、吹雪の中だったり、大雪をかき分けてだったりするのですが、今朝は気温も大きく下がらず、雨だったりと、ここ数年で一番いい天気だったかも。一応、神社の使者的な役割もあるので、お祓いをして頂き、お札や鏡餅を頂けます。



この梵天奉納は秋田市や県南周辺の一部地域のみの行事で、その発祥はよくわかりませんが、最大の秋田市の三吉神社では水争いが起源のようですし、大仙市太田地区(清水)の八坂神社では、戦国時代に領主からの振舞米を祝ったものといい、横手の旭岡山神社では江戸中期の巻狩りに端を発するとも云われているようです。

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冬祭り⑨かまくらの語源?

2019-01-30 23:37:22 | 観光地

(六郷かまくら行事・鳥追い小屋とお堂っこ)

かまくらという言葉は、横手では雪室の作り物を指しますが、六郷や角館では行事自体を指し示すと、意味も使われ方も異なります。語源については①台所の「かまど説」、②後三年の役で戦った「鎌倉権五郎=鎌倉大明神説」、③二階堂(六郷)氏や小野寺氏により伝わった「鎌倉幕府行事説」、④唄の歌詞にある「鳥追い小屋説」、⑤祭りの神が降りてくる神倉(カミクラ)説、などがありますが、どれも決め手に欠けるようです。

ここでポイントとなるのはその歴史。横手のかまくらや湯沢の犬っこ祭りも、元は六郷のかまくら行事のような鳥追い小屋が作られ、鎌倉大明神を祀っていたとの話があります。鎌倉大明神というのは、この地域だけで使われるもので、神社として祀られるところはほとんど聞きません。

鎌倉権五郎とは、後三年の役で16才にして片目を矢で射抜かれても勇敢に戦い、のちに片目カジカの伝説にもなった鎌倉権五郎景政。柳田新田村(現秋田市)で作られた鳥追い小屋では「権五郎さん」と称される幣束を祀ったという。また近年復活した北秋田市葛黒地区の小正月行事でも、地元の乱暴者とされていますが、「かまくらの権五郎~」という呼び声が使われており、偶然の一致とは思えません。これはあくまでも勝手な解釈です。

時々一時

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大仙市、姫神温泉・西遊喜

2019-01-29 23:27:52 | 温泉(秋田)



昨日からの悪天候も夜半には収まりましたが、今日の午前中まで強風が吹き、先日修理したエアコンの室外機が飛ぶのではないかと、ハラハラしました。昨日は田沢湖方面で温泉を断念する状況でしたので、とりあえず近場、市内の西遊喜に。

当YHでも度々お客様をお連れする温泉施設。年末に行ったときに、お湯の状態が良くなかったので、年末年始は別な施設を利用していました。そろそろ状況が変わったかと思い、再チェック。源泉の渇水問題は解消されたものの、泉質(湯色)に変化が生じているため、ろ過機を使うか検討中とのこと。いずれ安定するとのことで、本日は比較的、以前と近いものになっていました。



ただ、大浴槽のお湯は以前より少ないようで、湯口から出る湯量も以前は盛大な滝状態でしたが、チョロチョロでもう少しかなという感じを受けました。たまたま時間的なものもあってか、一時は貸し切り状態になり、贅沢にも広い浴室でのんびりと入浴出来ました。銭湯代わりにするには、癖のあるお湯かもしれませんが、温泉感は強くなっていて、そう捉えるといいのかもとか。温泉分析表は、平成19年物でまだ古いままでした。

時々一時

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角館の「雪桜」

2019-01-28 23:59:22 | 観光地


昨日、弾丸温泉ツアーを断念しましたが、そろそろ大地のエネルギー不足になってきたので、今日は田沢湖方面に。大曲から角館までは道路の舗装も出ていたのですが、角館から雪になり、田沢湖近くに到着した時には路面に15cmほどの積雪でハンドルも取られるほど。

田沢湖畔に到着しましたが、観光客の車が路上ではまって動けなくなるほど。4輪駆動ではなく、チェーンも積んでいませんので、危険を感じて温泉どころから田沢湖での写真撮影もあきらめて、あっさりUターン。

(国道341号先達交差点近く)

国道46号線を戻る形で角館まで走り、この先は大丈夫かと思って、武家屋敷を通り抜けで写真をパラパラ撮ってみると、ここもボタ雪で、枝垂桜は見事なほどの「雪桜」となっていました。



角館から大曲への国道でも路面が雪で隠れるほどで、日中の除雪車も総出動となっていました。通常1時間ほどで田沢湖から戻れるのですが、今日ばかりは2時間近くかかりました。泊りでの弾丸温泉ツアーに出なくて、正解だったようです。田沢湖方面の温泉は、後日改めて雪辱戦を考えます。

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この時期の弾丸温泉ツアーは?

2019-01-27 23:05:01 | 温泉(非分類)

この週末は、天気はまずまずでしたので、一応飛び込みのお客様用待機をしていましたが、空振り状態。明日以降、寒気団が来るという予報と、一方で気温の予報を見ると、大きな低下にはならないようで、これなら温泉ツアーに出られる?かとも考えました。

寒気が来て、雪がまとまって降ることも考えられるので、青森の津軽地方、山形あたりは、厳しそう。そうなると奥羽山脈を越えて、岩手や宮城あたりとなりますが、盛岡は普段でも行けるし、安比や八幡平はこの時期、スキー客で賑わってる?!宮城も鳴子なら普段でもOKで、仙台以南は当YHで話すには場所的に微妙。海沿いとなると、点在でこの時期スピードも出せずに効率が悪い。

また別な切り口では、宿泊を伴ってとなると、夜遅くに営業している温泉がある程度まとまっていることが必要。またその地域に格安で自由が利きそうな宿があることも条件。新しい場所だと、宿探しから始まります。

あーだ、こーだと理由をつけて、結局、この時期の弾丸温泉ツアーは、やはり厳しそうです。もう少し暖かくなってから、再度検討することにしました。

のち

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冬祭り⑧横手かまくら祭り

2019-01-26 23:57:58 | 観光地


秋田の冬祭りで最も有名なのが、横手で行われる小正月行事「かまくら祭り」。ドーム状の雪室・かまくらで水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するのが本来の姿で、今でもかまくらの中には水神様が祀られています。

発祥は400~450年前に始まったと云われるが、極めて定かではありません。定説では、藩政(江戸)時代の旧正月には、市内を縦断する横手川東側の武家(内)町では、雪の箱を作り、しめ縄や門松を燃やすどんど焼き(左義長)が行われていました。また横手川西側の商人(外)町では、頻発する水不足を解消するため、共同井戸のそばに雪穴を掘り水神様を祀った。また農村部で行われていた鳥追い行事や子供たちが雪穴を掘りその中で遊ぶ習慣があったという。これらが長い時間をかけて融合し、現在のかまくらになったと云われています。



明治30年以降、各家にポンプ式の井戸が普及し、共同井戸に付随した水神祭りも影が薄くなり、子供の遊び場である雪穴の奥にお堂と祭場を移転させたとも云う。またその当時は内町のどんど焼きでは鎌倉大明神の火祭りであったが、明治になり、火災防止のため廃止され、水神祭りと習合されたとも。

雪室としてのカマクラも当初は、鳥追い小屋だったため、六郷で現在でみられるような雪壁にムシロ屋根のものが主流だったようだ。今のかまくらの形になったのは、昭和34年(1959)に行政がモデルかまくらを考案したことによる。昭和40年代になると、自動車の交通量が多くなり、交通の妨げにならないスリムな形になったり、カマクラの数自体の減少したため、ミニかまくら作りが始められたり、かまくら通りを作り観光客に対応するようになったという。六郷のかまくら行事や刈和野の大綱引きが国の重要無形文化財に指定されていて、横手のかまくら祭りがそうでないのは、こうした背景があるようです。

のち

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修験道とは?

2019-01-25 23:01:07 | 観光地

(矢島・木境大物忌神社)

先日から新しいテーマのお勉強に着手してしまいました。そのテーマは「修験道」。宗教がからむものなので、文章を書くのが難しいのですが、秋田や東北の歴史、温泉、名所などを調べていると、度々出てくるものです。

秋田では鳥海山、山形では出羽三山。マタギやこけしにもその発祥を調べると関連性があるようですし、肘折、蔵王、赤倉などの温泉地は修験道の信仰で栄えたようです。修験道と云えば、「山伏」ぐらいのイメージしかありませんでしたし、ブームになったのが鎌倉時代に一度、江戸時代に一度あり、明治になって廃仏毀釈などの影響から資料やその形跡がなくなっているものも多いようで、どこまで形になるかわかりませんが、秋田をはじめとした東北で観光する際に知っていると、いろいろ別な見方ができるようになるのかもしれません。

まだ中途半端な作業で止まっているテーマがいくつかあるし、修験道というテーマ自体、とっつきにくい話ではありますが、少しお勉強してみようと思っています。

時々
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冬祭り⑦六郷の竹うち(カマクラ行事)

2019-01-24 23:51:07 | 観光地


六郷のカマクラ行事は2月11~15日にわたって行われる一連の諏訪神社の小正月行事の総称で、豊作、安全繁栄を祈る「年ごい」と凶作や不幸を除去する「悪魔払い」、そしてその年の吉凶を占う「年占い」の三者が一体となった行事。多くの冬の小正月行事の中で、最も古く700年続くとも云われています。

その理由は、この地の地頭として六郷氏が入部し、その際、鎌倉幕府で行われていた「吉書初め」の行事をもたらしたのがこの祭りの起源と云われるからで、これもだいぶザクっとした話。六郷(二階堂)氏がこの地にいつ定着したかは、諸説あり定かではないが、諏訪神社縁起によると南北朝時代の至徳年間(1385年前後)という記述があり、その時点からは630年となる。

現在のカマクラ行事は、天筆まつり・鳥追い行事・竹うちの3つから成り立ち、最終日(15日)の竹うちでクライマックスを迎える。



竹うちが始まったのは、正確には不明だが、江戸時代とみられており、その起源も諸説あるが、ここでポイントとなるのが、秋田県が青竹の生育の北限を越えているということ。手近に竹があれば、自然発生的にとなるが、南から運んでくる必要があったとなるときっかげが必要だった。それが宿場町として栄えた六郷という地の利。水良し、米良しのため、羽州街道の宿場町で金も需要もあったことから、酒蔵も多く存在し、そのために酒樽業者もあったようだ。ここでタガとして使われていたのが竹材でこれを用いて天筆を掲揚していたとしても、自然なこと。

実際の日程は、11日蔵開き、天筆書初め、12日小正月市、天筆掲揚、鳥追い小屋づくり、15日天筆焼き、竹うちと続く。15日竹うちは夜8時より行われ、試合終了後に花火が打ち上げられる。

時々
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冬祭り⑥角館の火振りかまくら

2019-01-23 23:45:35 | 観光地


角館の冬の小正月行事「火振りかまくら」は、どんど焼きや左義長の一種とも云われる火祭り。わらで編まれた炭俵に1mくらいの縄を結び、その俵に火を付けて縄の先端を持ち、自分の体のまわりを振り回して、田んぼの厄を払うとともに、家族の無病息災・家内安全など、一年の無事を祈願するもの。400年以上の歴史があると云う。

2月13日は観光客向けに武家家屋敷近くの大型駐車場で行われ、来場者も自由に参加できる。参加料500円で、防火の専用ハッピや頬かぶりを貸してもらえるが、火の粉が飛ぶこともあり、焦げてもよい服が望ましい。14日は各町内ごとに行われるため、初日に行くのが望ましいようです。

元々、豊作を火に祈願する儀式で、火は稲の害虫を焼き払うという意味を持つ。当時の農民は、米俵や製炭用に使う俵に火をつけていた。俵に火をつけるのは、雪どけが早くなり、燃えかすが肥料にもなるという側面もあったようだ。これをどういうわけで振り回すようになったのかは不明だが、200年前の文化年間(1815年頃)には武家屋敷の門前で行われていたようだ。17時半から火振りかまくらが開始され、祭りのフィナーレには花火も打ち上げられます。

のち
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溜まった雪の処理

2019-01-22 23:40:29 | 畑・工作


1月下旬は例年、積雪のピークを迎える時期。今年は18日に横手の観測所で1mに達したものの、その後も大した雪にはならず、80~90cmの間で推移。当YHの簡易積雪計では、50~60cm程度でとどまっており、生活する者には助かる状態です。

それでもこれからまた、寒気が入ってくるだろうし、時間と体力がある時に、その準備をしておく必要があります。本日はこれまでに溜まってしまった玄関脇のプロパンや石油タンク前の雪の排除。先週の寒気団でも雪の下の方は凍結しなかったようで、3時間ほどの作業でかき出すことができました。



明日は駐輪場奥の雪山の取り崩しです。そのままの状態にしておくと、これから降った雪の行き場所がなくなってしまいます。久しぶりの肉体労働で、数日間は筋肉痛との戦いになります。これらも毎年の作業になっていますので、いずれはしなくとも良い「仕組み」を作ろうかと考えています。目標は、年をとって「冬にコタツで楽に過ごせる」状態です。

時々

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