先日の本荘酒蔵巡りでは、稼働中に2軒に続き、廃業した酒蔵探し。
秋田誉酒造の隣が旧早川酒造<鶴舞城・花衣>。秋田誉が設立された際に本社工場になったところ。大正12年(1923)に創業され、戦時中の企業整備では隣接地に秋田誉酒造が設立され、第三工場として稼働を継続。昭和38年に秋田誉の本社工場となり、その後、秋田誉酒造が隣接地で増産投資を行い、昭和47年の共同醸造実施に伴い、旧早川酒造での醸造が廃止された。秋田誉酒造の隣には旧早川酒造の建物が残っており、酒蔵だったと思われる建物を敷地外から見ることが出来ました。
街中にあと一つ、長谷川酒造<延命長>がありました。明治時代に創業したとされ、その際に海岸近くの湧水を3キロも引き、途中で家庭用水としても供給して「武助水道」と呼ばれたりしたと云う。戦時中の企業整備で由利酒造製造設立時に廃止工場となり、その後復活したものの由利酒造製造第三工場に昭和28年合併され、実質廃業となった。その後の経過は不明だが、長谷川酒造創業者の名をとった、長谷川武助商店という酒屋がありましたので、その後は酒類卸業に転じたものと考えられます。
もう一軒、長谷川酒造近くに、武源商店という酒屋のがあり、矢島に武源酒造<竹廼友・玉泉>というのがあったので、その関連だと思いますが、矢島から本荘に移転した経緯等は不明。
さらに本荘には斎藤酒造<鶴の井>というのがありました。これは現在の斎弥酒造の本家にあたる酒蔵で、斎弥酒造の東、現在のうどん製造所の隣辺りにあったと思われますが、跡形はなさそうでした。斎藤酒造は明治19年(1886)に創業、戦時中の企業整備で本荘第二工場として操業継続したが、昭和47年の本社工場での共同醸造開始と共に操業廃止となったとのこと。本家が廃業し、分家(斎弥酒造)が残ると云うのは、この業界では時々あることのようです。
この日は時間切れですが、本荘市街地にあった酒蔵は、これで大体廻れたようです。
のち時々