世界の歴史や日本の歴史を思うとき、なぜ日本の国民の代表をいまだに天皇陛下のみにおおせるのか?
戦争の責任は、人類全部の責任ではないのか?
この世の変遷の中で、今も過去も、人が人をいたぶり、殺す所作は、人類の心の癌ではないのか?
日本国民全部が署名して戦争の被害国に謝ったら、それは許されるのだろうか?
戦争は、永遠に許してはならない。
国民の自由を奪った独裁者が国民を扇動し、他国の国民を殺させたとしても、動いた国民は謝らなければならない。
天皇陛下はいつまでも国民の代表だから、いついつまでも、謝り続けねばならないのか?
66婆が謝ったって、他国の方々は納得しないからなぁ~
天皇陛下が謝ってくださるから、ひょっとして、我が父が戦争で人殺しをしたかもしれないことを、許してもらえるのだろうか?
戦争の責任は、やらせた者も、乗ってやった者も、みなみな、許してはならない
人間の心の闇、癌か?
それとも、叡智ある素晴らしき人間の判断?
政治に利用しようとされまいと、天皇陛下は、そのお立場上、戦争責任を今もそしてこれからも、ずっとずっと、宿命のごとく背負っていかねばならないのか?
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/335176/
韓国訪問中の民主党の小沢一郎幹事長(67)は12日午後、ソウル市内のホテルで記者団に対し、天皇陛下の韓国ご訪問について「韓国の皆さんが受け入れ、歓迎してくださるなら結構なことだ」と語った。韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(67)は1910(明治43)年の日本の韓国併合から100年となる来年中のご訪韓を希望しており、“謝罪”を目的とした「天皇の政治利用」が懸念される。
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記事本文の続き ■陛下の謝罪を期待
李大統領は9月、共同通信との会見で「どのような姿勢で訪問するかということも非常に重要だ」と述べ、陛下の謝罪を期待した。84(昭和59)年に全斗煥(チョン・ドファン)大統領が来日した際、昭和天皇が「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」と述べられているが、さらに踏み込んだ表現を求めている可能性もある。
韓国メディアには、来年にご訪韓が実現した場合、「過去をどう謝罪させるか」と関心を示す報道も見られる。
ご訪韓について日本政府はこれまで、歴史問題に政治利用されることへの懸念などから断ってきた経緯がある。宮内庁の羽毛田信吾長官は9月24日の記者会見で「一般論として、両陛下の外国ご訪問は国際間の懸案事項や政治的課題を解決するためではない」と述べ、慎重な見解を示した。
天皇陛下の外国ご訪問をめぐっては1992(平成4)年、「天皇の政治利用だ」とする保守派の反対論の中で政府が中国ご訪問を決めたが、韓国併合100年のご訪韓にも強い反対が予想される。
天皇の政治利用をめぐっては、政府がルールを曲げて天皇陛下と中国の習近平国家副主席とのご会見を決めたことが明らかになったばかりだ。
■「政府の姿勢示す」
小沢氏は12日、ソウル市内の国民大学で講演し、日本の朝鮮統治について「現代史の中で不幸な時代があった。日本国、日本国民として謝罪しなければならない歴史的事実だ」と謝罪。
また、永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案について「日本政府の姿勢を示す意味でも、政府提案として出すべきだ。鳩山由紀夫首相も同じように考えていると思う。来年の通常国会でそれが現実になるのではないか」と述べ、来年1月召集の通常国会に政府が法案を提出し、成立させる見通しを表明し。
「日韓に存在するいくつかの問題を解決しなければならない。日本が積極的に解決策を提示しなければならない立場にある」と語った。
小沢氏はこの日夕から、韓国大統領府で李大統領との非公式な夕食会に臨んだ。ご訪韓や参政権問題について意見交換したとみられる。韓国大統領府によると、来年を「友好の100年の出発点」として交流を推進することで一致したという。
■天皇陛下ご訪中 天安門事件から3年後の1992年、天皇陛下は中国を訪問し、「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」とお言葉を述べられた。ご訪中は「天皇の政治利用だ」として保守派の間で根強い反対があった。当時の中国外相、銭其シン氏は回顧録で「日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮した」と中国側に政治的な効果があったことを認めている。
■韓国併合 日露戦争後、日本は日韓協約によって韓国に統監府を置いて支配したが、自国の安全と満州の権益を守るため必要だと考えて、1910年の「韓国併合に関する条約」などによって韓国を併合。朝鮮の人々は日本国民となった。統治機関として朝鮮総督府を設け、鉄道や潅漑の整備などの開発や土地調査を進めて民生は向上したが、創氏改名や日本語教育などの同化政策は朝鮮の人々に強い反感を残した。