日々

穏やかな日々を

累積100ミリシーベルト以上

2011年05月01日 21時48分27秒 | 地域
泥縄緩和は許されない
2011年4月28日 提供:共同通信社

 【解説】厚生労働省が原発作業員の被ばくが許される放射線量の限度を緩和する方針を固めた背景には、全国に54基ある原発の定期検査に作業員を確保したい産業界の要請がある。高線量下で過酷な労働に従事する作業員の健康問題が十分検討されたかは疑問で、福島第1原発の事故対策に限った先の緩和と同様、泥縄式の事後決定とのそしりは免れない。

 放射線影響協会(東京)によると、作業員の被ばく線量を管理する放射線管理手帳を持ち、2009年度に全国の原発など原子力施設で働いた作業員は約7万6千人に上る。作業は電気、機械関係や清掃まで多様だが、原子炉内部の仕組みなど専門的知識を持つ技術者は数が限られるという。

 3月11日に福島で事故が起こった後、全国の作業員が東京電力や下請け、孫請けの会社などを通じて"緊急招集"された。待機を含めれば千人以上が関わっているとみられ、作業が長期化する中、今後も人数が膨れ上がることが確実だ。

 東電によると、27日現在、累積100ミリシーベルト以上被ばくした作業員は30人。多くは東電社員だが、下請け作業員も含まれる。厚労省は既に3月15日、事故対応に限定し緊急時の上限線量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに緩和したが、作業員を派遣した企業の多くは、現場の作業員の安全に配慮し、新基準に従っていない。


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原発労働者のがん

2011年05月01日 21時47分33秒 | 地域
35年間で10人労災認定 原発労働者のがん
2011年4月28日 提供:共同通信社

 厚生労働省は27日、がんになった原子力発電所の労働者のうち、過去35年で10人が累積被ばく線量などに基づき労災認定されていたことを明らかにした。福島第1原発の事故を受け、初めて労災の認定状況を公表した。

 1976年度以降、労災認定された10人のうち白血病が6人。累積被ばく線量は129・8-5・2ミリシーベルトだった。このほか多発性骨髄腫が2人で、それぞれ70・0、65・0ミリシーベルト。悪性リンパ腫も2人で、それぞれ99・8、78・9ミリシーベルトだった。

 厚労省によると、がんに対する100ミリシーベルト以下の低線量被ばくの影響は科学的に証明されていないが、線量が増えれば比例して発がん可能性も増すとの仮説があり、同省は「100ミリシーベルト以下での労災認定もあり得る」としている。

 白血病の場合は、年5ミリシーベルトの被ばくなどが認定基準となっている一方、他のがんは従事年数や業務内容、病気の経過など個別の状況に基づいて判断するという。

 同省補償課は今回の事故について「相当量の被ばくをしている人がおり、労災認定は今後、増えるのでは」とみている。

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明日は出勤の日

2011年05月01日 21時46分47秒 | 私自身や健康
明日は出勤の日
5月2日
今年は10連休の人もあることでしょうね。
実は婆もそうなんです・・・・・・・
出勤するお方に
ごめんなさい
実は婆も引越しをし、その片付けなのです。
でも、この前半、全く進んでいません。
娘はまあさっさと片付け、差をつけられています。
まあ、年齢の差・・・・
お茶を飲む時間がなが~~い婆だから
引っ越しといっても部屋を替わっただけですが、なんせ、20年の年輪の片付けだから、捨てるものの多さに驚きながらで、
捨てるものの決定は娘の判断に任せ
婆はのんきに構えていますから
ほんとはらく~~~にいくはず―――――なんですが・・・・・・
過去とのさよならにこだわっているからでしょうね

それにしても
今のテレビ
スケートは見とれてしまいます。

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4月29日は天皇誕生日

2011年05月01日 16時05分13秒 | 戦い
4月29日は天皇誕生日
今は昭和の日・・
年を取って
今どんな呼ばれ方をしているのか、昔のままなのか?
昔はどのカレンダーにも、○○の日って書いてあった・・
でも、今はないものが多い・・
5月5日は子どもの日
これは、日本がある限り、永遠にそうかね。
でも、なんで、5月5日を子どもの日にしたのかな?
男の子の節句?
でも、なんで、5月5日かな?
なんて思えば、人間の歴史の分からないことだらけだね
でも、たいして気にもかけずに、日々生活している。
でも、終戦の日・・・・
は、忘れてはいけないね、8月15日だった・・・・・
でも、実際は、、、、、、、、なんだね。

日本において第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)が終わった日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
1945年8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。イギリスやアメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日戦勝記念日として「V-Jデー(Victory in Japan Day)」と呼んでいる。国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多い。

現在の日本では、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」=終戦の日(玉音放送の日)とし、一般には終戦記念日や終戦の日と称し、政府主催の全国戦没者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。

4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。一方、沖縄では、この日以降も1972年5月14日まで、アメリカ軍による占領が更に20年も続いたことから、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人々もいる[1]。

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