http://allabout.co.jp/contents/sp_mothersday_c/1460/67458/index/
母の日は亡き母の追悼からはじまった?
亡き母の追悼記念式から国民の祝日へ
現在に伝わる母の日の起源はアメリカにありますが、国によって日にちも違えば歴史的背景も違います。
今から100年前のことです。アメリカのフィラデルフィアにアンナという女性がいました。その母は1905年5月に亡くなってしまったのですが、その2年後、アンナは、母の命日にあたる日に追悼記念式を開き、そこで母が好きだった白いカーネーションを参列者ひとりひとりに手渡しました。これが5月の第2日曜日だったそうです。
母を深く愛していたアンナは、母に感謝する日を祝日にすることを提唱し、支援者とともに訴え続けます。そしてついに、1914年にウィルソン大統領の提唱でアメリカの議会を通過、5月の第2日曜日が母の日として国民の祝日となりました。
平和を願う母を思い…母の日が注目されるようになったのには、訳があります。それはアンナの母、アン・ジャービスの生き様に人々が共感したから……。
アン・ジャービスは、1858年に「母の日仕事クラブ」を結成し、募金活動をしたり公衆衛生のための活動をしていました。
南北戦争がはじまると、「母の日仕事クラブ」は戦争で傷ついた南北双方の兵士の看病をするのですが、戦争が終盤になると今度は「母の友情の日」という企画を提唱。南北双方の兵士や地域の人を招いて交流を持つイベントを開催し、大成功をおさめました。
このような社会的貢献があったからこそ、アン・ジャービスの追悼記念式は注目を浴び、たくさんの人が集まったのでしょう。
やがて、アンナは自分の母だけでなく、すべての母親に対して感謝する記念日をつくりたいと思い、1908年から「母の日」を祝う会がアンドリュー・メソジスト教会で開かれるようになりました。以来、この教会は母の日の誕生の地の総本山ともいわれるようになりました。
白いカーネーション
昔は母が健在の子は赤、亡くした子は白のカーネーションを胸につけることもありましたが、現在は色で分ける習慣は少なくなっています。
母の日とカーネーションの関係については、アン・ジャービス本人が生前に好んだ花だからといわれていますが、それだけではなさそうです。
カーネーションは十字架に掛けられたキリストを見送った聖母マリアが流した涙の跡に咲いた花だという逸話があり、それ以降、カーネーションは母と子の関係を象徴する意味を持つ花となりました。また、色にも意味があるそうで、白いカーネーションは十字架にかけられる前のイエスとマリアをあらわし、赤いカーネーションは復活したキリストを象徴するといわれています。つまり、白いカーネーションは母性愛を意味しているのです。
ですからアンナが追悼記念式でカーネーションを用意したのも、単なる思い付きというより意味を知って配った可能性が高いですね。
ちなみに、白いカーネーションは日本でも葬儀でもよく登場します。キリスト教式(※注)や無宗教式で行われる献花では、白いカーネーションが使用されることが多いようです。
※注:日本のキリスト教式献花は、欧米と異なる独自の方法で行われているものです。
母の日にお墓参りアンナが母の日を提唱した頃から比べると、現在の母の日はカーネーションが高値で取引されたり、母の日ギフト商戦が白熱するなど、商業的なイベント色が強くなってしまいましたが、それでも母への敬意や感謝を形にする日として特別な意味がある日に違いはありません。
母の日にお墓参りをするのもお勧めです。お花とお香は最高のプレゼント。心を込めて選んでくださいネ。
以上記事より
母の日は亡き母の追悼からはじまった?
亡き母の追悼記念式から国民の祝日へ
現在に伝わる母の日の起源はアメリカにありますが、国によって日にちも違えば歴史的背景も違います。
今から100年前のことです。アメリカのフィラデルフィアにアンナという女性がいました。その母は1905年5月に亡くなってしまったのですが、その2年後、アンナは、母の命日にあたる日に追悼記念式を開き、そこで母が好きだった白いカーネーションを参列者ひとりひとりに手渡しました。これが5月の第2日曜日だったそうです。
母を深く愛していたアンナは、母に感謝する日を祝日にすることを提唱し、支援者とともに訴え続けます。そしてついに、1914年にウィルソン大統領の提唱でアメリカの議会を通過、5月の第2日曜日が母の日として国民の祝日となりました。
平和を願う母を思い…母の日が注目されるようになったのには、訳があります。それはアンナの母、アン・ジャービスの生き様に人々が共感したから……。
アン・ジャービスは、1858年に「母の日仕事クラブ」を結成し、募金活動をしたり公衆衛生のための活動をしていました。
南北戦争がはじまると、「母の日仕事クラブ」は戦争で傷ついた南北双方の兵士の看病をするのですが、戦争が終盤になると今度は「母の友情の日」という企画を提唱。南北双方の兵士や地域の人を招いて交流を持つイベントを開催し、大成功をおさめました。
このような社会的貢献があったからこそ、アン・ジャービスの追悼記念式は注目を浴び、たくさんの人が集まったのでしょう。
やがて、アンナは自分の母だけでなく、すべての母親に対して感謝する記念日をつくりたいと思い、1908年から「母の日」を祝う会がアンドリュー・メソジスト教会で開かれるようになりました。以来、この教会は母の日の誕生の地の総本山ともいわれるようになりました。
白いカーネーション
昔は母が健在の子は赤、亡くした子は白のカーネーションを胸につけることもありましたが、現在は色で分ける習慣は少なくなっています。
母の日とカーネーションの関係については、アン・ジャービス本人が生前に好んだ花だからといわれていますが、それだけではなさそうです。
カーネーションは十字架に掛けられたキリストを見送った聖母マリアが流した涙の跡に咲いた花だという逸話があり、それ以降、カーネーションは母と子の関係を象徴する意味を持つ花となりました。また、色にも意味があるそうで、白いカーネーションは十字架にかけられる前のイエスとマリアをあらわし、赤いカーネーションは復活したキリストを象徴するといわれています。つまり、白いカーネーションは母性愛を意味しているのです。
ですからアンナが追悼記念式でカーネーションを用意したのも、単なる思い付きというより意味を知って配った可能性が高いですね。
ちなみに、白いカーネーションは日本でも葬儀でもよく登場します。キリスト教式(※注)や無宗教式で行われる献花では、白いカーネーションが使用されることが多いようです。
※注:日本のキリスト教式献花は、欧米と異なる独自の方法で行われているものです。
母の日にお墓参りアンナが母の日を提唱した頃から比べると、現在の母の日はカーネーションが高値で取引されたり、母の日ギフト商戦が白熱するなど、商業的なイベント色が強くなってしまいましたが、それでも母への敬意や感謝を形にする日として特別な意味がある日に違いはありません。
母の日にお墓参りをするのもお勧めです。お花とお香は最高のプレゼント。心を込めて選んでくださいネ。
以上記事より