進む「看取りのオートメーション化」【時流◆30代医師が80代医師に問う、生と死の話】
西智弘氏による小堀鷗一郎氏へのインタビュー-Vol. 3
時流2018年9月3日 (月)配信 一般内科疾患一般外科疾患その他
若くして緩和ケアの世界に飛び込んだ西智弘氏による、長年癌患者の手術に邁進し、在宅医療の世界に進んだ小堀鷗一郎氏への「死」そして「終末期」に関するインタビュー第3回。地域包括ケアへの移行が進む中で、かかりつけ医を中心とした医療システムの構築が重要と考えられるようになっている。小堀氏は「看取りのオートメーション化」は避けられず、今後、多職種での看取りも加速するだろうと展望する。(まとめ:m3.com編集部・坂口恵)
「そういう医療はあるべきではないが、そうしないと持たない」
西: 今後、日本の終末期医療、在宅医療も含めてですが、どういう方向に進んでいくだろう、あるいは進んでいくべきだとお考えですか。
小堀: 進むのは、やはり在宅医療と看取りの「オートメーション化」でしょう。『死を生きた人びと』にも書きましたが、(長野県の)佐久医師会による休日当番制の看取りがその典型と言えます。僕自身はそれに対して批判的な見方を示しました。しかし、そういう医療は確かにあるべき姿ではないけれども、それをしないと医師や医療制度が持たない。そして、家族は「最期は医師に来てもらわないといけない」と思っています。「看取るのは家族」という精神が国民に根付いていない。そういう状況で死がどんどん増えればオートメーションでやらざるを得ないと。今年度からは一定の要件を満たせば、看護師による死亡診断書の代筆、交付が可能になりました。看取りも看護師の力を借りなければ、医師だけでは対応できなくなっている。医師が看取りをやるにしてもオートメーション化、そして、多職種がそれに関わる。そういう時代になるということです。
さはさりながら、やはり最期はずっと一緒に時間を過ごした医者や家族が患者のそばに付いてあげるというのが、自分にとっての「見果てぬ夢」ですね。先日、NHKのドキュメンタリー「在宅死“死に際の医療”200日の記録」で放映されたのですが、肺癌のお父さんを看病する娘さんに僕が「あなたのお父さんが死んだ時間はあなたが決めるんだよ」と話しかけるシーンがあります。でも、そういう看取りは、80歳の高齢の医師が、自分のできる範囲で看取りをやっているから、できる。あと何年、そういうことができるかは、分かりません。そして、それは全体的なことを言えば無理です。多死社会を迎えるのははっきりしているんだけど、医師や看護師、ヘルパーの数をそれに合わせて増やすというのは、ほぼ実現不可能でしょう。
看取りに近い医療者の意見表明は重要
西: なるほど……。僕自身、人を看取る仕事を10年ほどやってきて、自分の価値観を押し付けずに、その患者の生きたい生き方というのを達成できるようサポートしていきます、というような感じでやってきました。できるだけ、フラットな気持ちで対応をしているつもりではありますが、そうは言っても多くの患者に出会う中で自分がどう生きて、死んでいきたいのかみたいなことを考えます。その、先生ご自身は、自分だったら……
小堀: ああ、自分が死ぬときの話ね。
西: そうですね。
小堀: 僕が一番印象に残っているのは、パリ外国宣教会から派遣され来日し、静岡・御殿場の神山復生病院で院長を務めた、レゼー神父のエピソードです。神山復生病院は1886年に設立された、ハンセン病患者の収容施設が起源で、今も一般病院として残っている施設です。この病院は、ハンセン病の国家賠償訴訟の原告団に加わらなかった国内2施設のうちの一つで、それはレゼー神父たちが患者を差別しなかったというのが大きな理由だった。レゼー神父のお墓は患者たちと一緒に病院の敷地内にあるのですが、その墓碑銘が “J'AI CRU JE VOI”というのです。英語だと“I have believed, I am seeing”。つまり、「私は(これまで神を)信じてきた。私は今(死んであなたを)見ている」と。そういう信仰を持って死ねたらいいなと、自分の時にはね、思っています。
西: どう生きて、どう死んでいくのかというのは、ここ最近、かなり関心が高まっている話題の一つです。一般の人にもいろいろな見解があるのですが、そこに対して、小堀先生や僕のような、多くの患者を看取る医師や医療従事者が、自分たちの意見を表明していかないと、議論の軸が定まらないようにも思います。もちろん、医師や医療者にもいろいろな価値観や考え方がありますし、そこをどうやって擦り合わせて日本ではどういう方向に行くのかを議論していくことが必要と考えます。『死を生きた人びと』は、医療系の本によくある「在宅がベストで、病院はベストではない」という押し付けは全くなく、ただ、この人はこういう生き方だった、後は読んだ人が考えて欲しいというスタイルと受け止めました。これは、非常に今の時代に合っているように感じます。今日は本当にありがとうございました。