<県コロナ担当課長 激動の1163日>「医療崩壊に片足突つ込んだ」
地域 2023年5月8日 (月)配信神戸新聞
兵庫県で新型コロナウイルス感染症の患者が初めて確認されたのは2020年3月1日。当時、県疾病対策課長だった山下輝夫さん(59)=現・県保健医療部長=は「ついに」と覚悟を決めた。あれから3年と2カ月。感染流行の大波が幾度も押し寄せ、医療は危機的な状況に陥った。山下さんら2人の歴代コロナ担当課長はそのとき、何を思ったか。「5類移行」までの1163日間を振り返る。
■県内1例目「ついに」と覚悟(20年3月1日:1日目)
それは日曜だった。「西宮市、40代男性」-。県内1例目の陽性者確認と、山下さんに連絡が入った。
年明け以降、中国で爆発的に感染が広がった新型コロナ。1月には国内初患者が確認され、2月にはクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での集団感染が連日、ニュースに。大阪、京都、奈良などでも感染確認が相次いだ。
兵庫では2月の間、感染の報告はなかった。「隠しているんじゃないか」「検査が足らん」。市民の恐怖心が高まると、批判が寄せられるように。「初確認」はその直後だった。
井戸敏三知事(当時)らと県庁の会見室に向かった山下さん。もともとは心臓血管外科医で、会見には慣れていない。感染者の発生は「想定内」と受け止めてはいたものの、「今から裁きを受けるんや」、そんな気持ちでカメラの放列の前に立った。
感染は日を追って広がった。患者はどこの誰か、と問い合わせが相次ぐ。「偏見、差別の温床になる」。当初に決めた通り、細かい居住地や行動履歴などは控えたが、どれだけ理解してもらえただろう。「国が公表の基本ルールをきちんと周知してくれていたら」との思いが胸をよぎった。
4月、安倍晋三首相(当時)は兵庫を含む7都府県に緊急事態宣言を発令。後に宣言は全国に拡大された。流行「第1波」はやがて収束するが...。
■「長くて1年」裏切られた予想(20年7月1日:123日目)
県庁に新たに感染症対策室と感染症対策課ができた。部署横断的に100人の体制が組まれ、専任は約20人。山下さんは室長に、対策課長には西下重樹さん(62)=現・県立健康科学研究所衛生検査専門員=が就いた。
もともと診療放射線技師だった西下さんは、阪神・淡路大震災(1995年)や新型インフルエンザ流行(09年)などで県の感染症対策を担ってきた。
「コロナも新型インフルのように数カ月。長くて1年ぐらいだろう」。だが、予想は裏切られる。西下さんは曜日に関係なく、会見に臨んだ。感染経路不明の事例が多くなり、「基本対策の徹底を」「帰省は控えて」と繰り返し訴えた。
夏の第2波、秋からの第3波を経て、翌春、変異株「アルファ株」による第4波がやって来ると、入院できず、自宅で亡くなる事例が相次ぐ。一方、高齢者らを優先としたワクチン接種が始まった。
■第4波が猛威「見えない災害だ」(21年4月10日:406日目)
第4波が猛威。病床使用率は75%超、入院など「調整中」も千人を超えた。県はこれまでの「自宅療養ゼロ」施策を転換する。
3月末で定年退職の予定だった西下さんは、続投を命じられた。自宅で体調が急変した患者対応。療養者の生活物資の調達。仕組みづくりに追われた。
山下さんは病院と交渉し続けた。「入院させて」という患者や家族。「これ以上は...」という医療現場の悲鳴。「もう右も左も回れへん状況。『医療崩壊』に片足を突っ込んでいた」
会見では「見えない災害だ」と危機感をあらわに。第4波の死者は第3波を大きく上回る777人。入院できず、自宅や施設で亡くなる人も多かった。
「残念ながら、救命できなかった患者さんがいらっしゃる。反省しないといけない」。山下さんは唇をかんだ。(高田康夫、井川朋宏)