Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

アントニン・ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第8番を聴きながら、二俣川からかしわ台駅まで歩く

2008-05-25 06:18:34 | アントニン・ドヴォルザークの作品
昨日は家で餃子を午前中から昼にかけて60個作りました。
(だから夕飯は餃子。ただし、皮は市販のものを使いました)
午後から二俣川からかしわ台駅まで歩きました。
途中雨も降り出し、服はぬれてしまったが、
何とかしてさがみ野の駅を過ぎてから、かしわ台駅方面に歩き、
県道42号線との交差点を左に曲がり、
綾瀬市の寺尾中4丁目付近を右に曲がり住宅街の中を歩く。
目的地のブラジル食品スーパーのSUPER FOOD’S Brasilで
ポン・デ・ケージョの粉を探すが、なかなか見つからず、
やっと戸棚の中から探して、レジで購入する。
何かここは空間が日本とは違い、ブラジルである。
(といいながら、私はブラジルに行ったことはない。
しかし、店内はブラジルの人たちばかりで賑わっていた)
そのあと住宅街をぬけてかしわ台の駅にたどりついた。
時間としては2時間半くらいかかった。

途中聴いたのは、1841年チェコ生まれのドヴォルザークの作品。
以前買ったままにして聴いていなかった
プラハ弦楽四重奏団による全集の中から、
第8番と第9番を聴くことにした。
弦楽四重奏曲第8番ホ長調作品80(B.57)は、
1876年に作曲された作品で、4楽章からなる。
第1楽章アレグロは、ところどころスラヴ的な部分がみえる。
明るい部分と暗い部分をみることができ、対比的である。
少し寂しげに聴こえるのは、長女を失った悲しみからだろうか。
十分にしっかりとした構成となっており、終わり方もさわやかである。
第2楽章アンダンテ・コン・モルトの冒頭は、
悲しみにあふれているが、その悲しみの旋律で終わらず、
そのあとの優しい音楽がいいバランスを作っている。
亡くした長女との想い出がそこにあるような感じがして、
人間らしいドヴォルザークの側面をみることができる。

第3楽章アレグロ・スケルツァンドは優雅な音楽で、
前の2つの楽章とは対照的に明るい感じで始まり、
舞曲風の音楽であるが、中間部は一方の陰の部分が顔を出す。
最後はそれを忘れるかのように冒頭の優雅な舞曲風の音楽が、
再現されて、明るい感じで終わる。
第4楽章フィナーレ:アレグロ・コン・ブリオは、
悲劇的な感じが最初のところからあふれている。
スラヴ的な舞踏的な要素はところどころで出ているが、
悲劇的な主題と対照的な明るい主題を使い曲は展開される。
その主題の扱い方には熟練したものを感じる。

弦楽四重奏曲第9番ニ長調作品34(B.75)は、
1877年に作曲された作品で、同じく4楽章からなる。
第1楽章アレグロは冒頭から深い悲しみに陥ったような、
悲しみにあふれているが、これも長女を失ったことの影響が、
ここにおいても残っているといっていいのだろうか。
曲はスラヴ的な舞踏的な部分を示しつつ、
主題の扱いや展開のしかたなどの構成面はすばらしい。
再現部で再び最初の主題が登場するとはっとさせられる。
最後のコーダにも成長のあとがみられる気がする。
第2楽章アラ・ポルカ:アレグレット・スケルツァンドは、
弾んだポルカの感じで始まり、軽快な感じがいい。
とてもスラヴ的な感じもして、彼らしさが出ている気がする。
中間部のトリオはそれまでの感じとは違い、
田園的・牧歌的な感じをただよわせる曲である。
最後は再びポルカ風の音楽が奏され、
ところどころで陰はあるが、最後は明るく終わる。
第3楽章アダージョはおだやかでゆったりとした曲。
一つの主題に基づく変奏曲形式の曲で書かれているようだ。
第4楽章フィナーレ:ポコ・アレグロは、
主題に基づき展開されていくのだが、
ブラームスの音楽からの影響を感じる。
ベートーヴェンの交響曲第5番第3楽章からの
影響もあるような箇所もあり、ドイツ風で、
構成がしっかりした楽章である。
ドヴォルザークの弦楽四重奏曲もなかなかである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドヴォルザークの「レクイエム」を聴きながら、西谷から二俣川まで歩く

2008-03-04 21:02:12 | アントニン・ドヴォルザークの作品
今日は西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたCDはドヴォルザークの「レクイエム」。
ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱と
合唱と管弦楽のための作品で、1890年に作曲されている。
1時間半以上の演奏時間を要し、13曲から成り、
ラテン語による「死者のためのミサ」のテキストに基づく、
伝統的なスタイルで書かれた作品である。

全曲通して聴いた感想というと、
素朴で純粋な音楽を聴いているという実感だ。
ドイツやフランスの宗教曲とは明らかに違い、
そこにチェコの自然の感じさせるのである。
だからといって、ヤナーチェクのように
どこまでもスラヴ的ではなく、
中間的な中で、独自の美しさを保っている。
きっと、ドヴォルザークという人物は、
純粋な信仰心を持っていたのだろうと
想像させるような美しい宗教曲なのである。

今回とりあげたの声楽曲・合唱曲東欧編に関するCD等の情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/vocal-music-cd-shoukai.html

を参考にしていただければ幸いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドヴォルザークと「謝肉祭」序曲

2007-08-12 07:31:18 | アントニン・ドヴォルザークの作品
昨日も主催するイベント行事の運営で忙しく、
打ち上げもあったため、ウォーキングはお休みしました。
今回とりあげるのは1841年生まれのドヴォルザーク。
ドヴォルザークの管弦楽曲もいろいろあるが、
ここでは「謝肉祭」序曲をあげておく。

「謝肉祭」序曲は、1891年に書かれ、
交響曲同様に魅力ある作品である。
ワグナーぽいところもあれば、
ブラームス的なところもあり、
しかし、しっかりスラヴ的で、
ドヴォルザークの強烈な個性がにじみ出ている。
短い曲ではあるが、なかなか聴きごたえのある曲である。

ドヴォルザークといえば高校生の頃、
チェコ・フィルが長野に来たことを思い出す。
ノイマンが指揮するドヴォルザークの交響曲第8番は、
最高の時間を私に与えてくれた。
チェコ・フィルの今はどうなっているのだろうな。
演奏を聴きたいようでもあり、
そうでもなく、複雑な心境ではあるなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大池公園の桜も満開!そしてドヴォルザークの交響曲第6番

2007-04-01 21:36:37 | アントニン・ドヴォルザークの作品
今日は二俣川から大池公園を経由して、
緑園都市駅までウォーキングした。

途中、すれ違う人たちは多くは
においからして、花見でお酒を飲んだようで、
一部の人は千鳥足で、かなり酔たようだ。
なんとも、のどかではある。

天気は昼まで晴れていたのに、
夕方には曇り始め、
私が歩く頃には小雨がぱらついた。
そのため早々引き上げる人たちが多かった。

桜の花はどうかというと、どこも満開で、
ピークは過ぎたとさえ思わせる咲き具合である。

今日はメジャーな作曲家ではあるが、
ドヴォルザークの交響曲第6番を聴きながら歩いた。
第三楽章が彼らしさが出ており、好きな楽章である。

話は変わるが春と言えば、カルミナ・ブラーナの世界である。
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」でも有名なように、
バイエルンのベネディクトボイレン修道院から
20世紀に入って発見された中世の詩には、
春に関係する詩も多く含まれている。

Veris leta faciesというタイトルの詩では、
(呉茂一氏はこれを「春の愉しい面ざしが」と訳している)
冬になって失われた色の世界が、
春になると花の女神が統治し、
色鮮やかな世界に変わっていく様子が述べられている。

まさに、このシーズンになると、桜の色も含め、
樹木が様々な色を見せ、自己主張し始めるのである。
春が来たなと思わせるのは、
まさにこのようなことに気づくときなのかもしれない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする