Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

エフゲニー・スヴェトラーノフの「前奏曲集(6つの交響的映像)」を聴きながら、鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2012-04-29 06:13:48 | 古典~現代音楽ロシア編
一昨日はウォーキングを休みましたが、
昨日は鶴ヶ峰から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは、1928年生まれのスヴェトラーノフの作品。
指揮者として有名な彼は作曲家でもあり、
いくつか自作自演による録音を残している。
「前奏曲集(6つの交響的映像)」は1966年に作曲年代された。
聴いたCDはエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ソヴィエト国立交響楽団の演奏によるもの。
第1曲アンダンテは、弦楽器によりさざ波のように
奏する音型の上に木管楽器が絡んでいき、
金管楽器も加わり、いったん盛り上がりをみせ、
そのあとは幻想的な音楽となり、オーボエが入る。
そしてホルンが響き、平和な感じで最後終わる。
第2曲ラルゴは、オーボエが民謡風の旋律を奏でていく。
それをフルートが引き継ぎ、やがて弦楽器全体で奏し、
金管楽器も加わり、盛り上がりをみせて壮大な感じになる。
いったん静まったあと、再び木管楽器が主題を奏で、
ホルンや低弦がそれを引き継ぎ、最後はおだやかに終わる。

第3曲ヴィーヴォは、軽快で荒々しい旋律で始まる。
舞踏的な旋律が金管楽器と木管楽器が奏される。
中間部は弦楽器で叙情的な旋律が奏でられ、
再び冒頭の荒々しい旋律が現われて終わる。
第4曲レントは、オーボエによる歌うような旋律で始まり、
それはクラリネット・フルートなど木管楽器に受け継がれていく。
その叙情的な旋律が奏でられる一方で、
「怒りの日」の聖歌の旋律が顔を出す。
第5曲アダージョ・レシタンドは、
重々しい感じの悲愴的な雰囲気の曲である。
金管楽器も加わり、徐々に盛り上がりをみせる。
そのクライマックスが過ぎると最後穏やかに終わる。
第6曲ヴィーヴォは、木管楽器により民謡風の旋律が奏でられ、
軽快なテンポで展開されるリズミックな音楽である。
途中ストラヴィンスキーのペトルーシュカの音楽の一部が現われる。
そのあとは再び主題が奏され、別の旋律と絡みながら展開していく。
「怒りの日」の聖歌を思わせるような音型も顔を出しながら、
そのあとは回想的な感じの音楽となり、最後静かに終わる。
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ピョートル・チャイコフスキーの交響的バラード「地方長官」作品78を聴く

2012-04-27 06:19:25 | ピョートル・チャイコフスキーの作品
昨日はウォーキングを休みました。
今回取り上げるのは、1840年生まれのチャイコフスキーの作品。
交響的バラード「地方長官」作品78は、
1890年から1891年にかけて作曲された。
ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチの詩を、
プーシキンがロシア語に翻訳した詩に基づく作品のようだ。
ストーリーは地方長官が家に帰ってくると、
妻に昔の恋人が迫っているのを目撃した。
彼は下男にその恋人であった男を殺すように命令したが、
下男が放った銃弾は地方長官の頭の額に跳ね返ってくるというものだ。
聴いたCDはクラウディオ・アバド指揮、
シカゴ交響楽団の演奏によるもの。

冒頭はアレグロ・ヴィヴァーチェの暗いトーンの音楽で始まり、
弦楽器がせかすようなオスティナート風の旋律を繰り返していく。
これは、家に帰ってくる地方長官の足音と不安な気持ちを表すような音楽である。
それに金管楽器が絡んでいき、それが繰り返されて盛り上がっていく。
いったんその部分が終わり、静まってモデラートの部分に入り、
木管楽器やハープが入り、のどかな牧歌的な感じの部分になり、
叙情的な旋律が弦楽器によって奏されるが、
このあたりは妻とかつての彼女の恋人が会っているシーンなのだろう。
対比して現れる木管楽器とハープで奏される民謡的な旋律も美しい。
そして再び冒頭のオスティナートの部分が静かに繰り返され、
アレグロ・ヴィヴァシッシモの部分に入り、木管楽器が絡み、
突如として金管楽器が鳴り響き、劇的なクライマックスが訪れる。
交響曲第6番の第一楽章の終わりに見られるような、
息詰まる音楽となり、悲劇的な長官の最後を示すかのように静かに終わる。
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アレクサンドル・ロクシーンの交響曲第7番を聴きながら、西谷から三枚町まで歩く

2012-04-26 06:03:30 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は西谷駅から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは、1920年生まれのロクシーン(ロクシン)の作品。
CDの解説によれば、南西シベリアのビースクに生まれた彼は、
1936年モスクワ中央音楽学校(モスクワ音楽院付属高等学校?)で、
リチンスキーに師事し、翌年モスクワ音楽院に入学し、
ミャスコフスキーに師事をしたが、その後軍役に服し、
モスクワ音楽院は1944年に卒業したようである。
交響曲第7番(古き日本の詩より)は1972年に作曲された。
聴いたCDはニナ・グリゴリエワのコントラルト、
ルドルフ・バルシャイ指揮、モスクワ室内管弦楽団の演奏によるもの。
曲はフルートや金管楽器に導かれ、弦楽器が入って始まる。
新ウィーン楽派の音楽を思わせるこの導入部(コンモード)に続いて、
金管楽器の華々しい音で始まる主題(ソスティヌート)に入る。
木管楽器とチェロが絡み、再び金管楽器のファンファーレ風の音で終わる。

そのあとは6つの変奏が展開されていき、
第一の変奏(ラルゲット)で、コントラルトが入り、
歌と管弦楽による音楽が繰り広げられる。
第二の変奏(アニマート)は、管弦楽による軽快な音楽のあと、
歌が入り、管弦楽と絡んでいき、最後は木管楽器の音が残る。
第三の変奏(アダージョ)は、弦楽器を中心にゆったりと始まり、
ホルンが歌うように旋律を奏で、木管楽器が絡んでいく。
途中、ファンファーレ風の金管楽器の主題の部分も入り、
そのあとは歌の部分となり、ハープが響いたあと主題が現われ、
最後の方は金管楽器と木管楽器が絡み、弦楽器も加わり、静かに終わる。
第四の変奏(アレグレット)は、最初から歌が入る。
金管楽器や弦楽器が荒々しく音を絡ませ、最後に主題が現われる。
第五の変奏(アンダンテ)は、金管楽器と打楽器で激しく始まる。
やがて歌が入り、そのあとヴァイオリン独奏が活躍する部分が現われる。
金管楽器と打楽器により激しい音を繰り返した後、チェロ独奏が入り、
冒頭から歌が入る第六の変奏(レント)にそのまま入っていく。
最後は弦楽器中心に神秘的な雰囲気の中、静かに終わる。
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ミハイル・グリンカの「愛国的な歌」を聴く

2012-04-25 05:55:05 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日はウォーキングを休みました。
夜は天王町のぼんぐ里という店に寄ってみる。
日本酒がたくさん置いてあって、料理もいい。
ばくれんを飲んだ後、鍋島と能古見を飲んだ。
鍋島と能古見は佐賀の酒であるが、
これを置いている店も珍しい。

さて、今回とりあげるのは、1804年生まれのグリンカの作品。
「愛国的な歌」は1834年から1836年の頃にかけて作曲された。
原曲はピアノ独奏曲で、国歌のモティーフ ハ長調である。
指揮者のガウクが編曲したものを使っているようだ。
1991年から2000年の間ロシア連邦の国歌として使われたようだ。
聴いたCDはエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
ボリショイ劇場交響楽団の演奏によるもの。
金管楽器と打楽器が鳴り響き、華やかに始まる。
確かに国歌を思わせるような堂々とした感じの曲である。
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イワン・ハンドシキンの6つの古いロシアの歌を聴く、そして二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2012-04-24 05:16:51 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今回とりあげるのは、1747年生まれのハンドシキンの作品。
6つの古いロシアの歌は1783年頃に作曲されたようだ。
聴いたCDはアナスタシア・ヒトルークのヴァイオリン、
ドミトリ・ヤクポフスキーのヴィオラ、
キリル・エフトゥシェンコのチェロ演奏によるもの。
第一曲「道に沿って、この橋に」は、軽快なメロディであり、
民謡的な部分を感じさせるというよりも、古典派的な響きの中、
変奏曲風に展開され、ヴァイオリンの技巧的な演奏を聴くことができる。
第二曲「これが私の運命、これが運命?」は、チェロの伴奏に乗り、
ヴァイオリンが主旋律を奏でていく。優雅な感じの古典派風の曲である。

第三曲「小さな鳩よ、どうしてそんなに悲しそうに止まっているのか?」は、
ヴァイオリンが奏でるやや悲しげな旋律にロシア民謡の感じを思わせる。
チェロの伴奏の上で、ヴァイオリンが主題をもとにした変奏を展開していく。
ヴィオラがそれに絡んでいき、何となくバロック風でもある
第四曲「何が、どうして起きたのか」は、ヴァイオリンが奏でる旋律が、
やはり叙情的でロシア民謡の部分を感じさせるが、
ヴァイオリンの技巧的な演奏が、変奏曲風の展開の中で発揮される。
第五曲「かつては黄金の束を集めていた」は、
やはりヴァイオリンが奏でる叙情的な旋律の中に、
ロシア民謡的な部分を感じさせるが、スタイルは古典派的である。
変奏曲風に展開される中、チェロとの対話が繰り広げられる。
第六曲「かつては若者だった」は、明るく優雅な感じの曲である。
チェロの伴奏に乗って、ヴァイオリンが変奏曲風に主題を奏でていく。
ここでもヴァイオリンの技巧的な演奏技術が発揮される。
最後は華やかさの中で、優雅な響きの中に終わる。
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