昨日は西谷から二俣川まで歩きました。
歩きながら、あることを考えていると、
まとまらなかった考えが、まとまったりするのでいい。
途中聴いたのは、1818年生まれのグノーの作品。
オラトリオ「死と生」は、1884年に作曲された。
聴いたCDは、、バーバラ・ヘンドリックスのソプラノ、
ナディーヌ・ディニーズのアルト、ジョン・アレールのテノール、
ジョセ・ヴァン・ダムのバリトン・バス、オルフェオン・ドノスティアッラ、
クリストフ・クールマンのオルガン、ミッシェル・プラッソンの指揮、
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団の演奏によるものである。
今回は第一部「死」の中から、プロローグとレクイエムを聴いた。
プロローグはティンパニが弱い音を叩く中、おだやかな感じで始まり、
すぐに低音の利いた金管楽器の上に合唱がドラマティックに歌っていく。
それを何度か繰り返し、バリトン独唱が入り歌い続ける。
その後オルガンとともに合唱が入り、盛り上がって終わる。
レクイエムに入り、入祭唱とキリエの部分になると哀愁漂う音楽となっていく。
合唱による部分がしばらく続き、やがて独唱者たちが入り、重唱となり、
合唱もこれに加わっていき、おだやかな音楽となり、
合唱はキリエ・エレイソンを繰り返して終わる。
続く合唱によるアカペラの部分は美しい音楽である。
「怒りの日」は金管楽器がファンファーレのように鳴り響き、
いかにもそれを感じさせ、合唱が不安な感じで歌い始める。
最後の部分ではオルガンが鳴り響く中で合唱が歌い、
盛り上がりをみせ、静まってから次の曲に移る。
「その時哀れなる私は何を言えばいいのですか?」の部分は、
テノール独唱から始まり、アルト独唱に続いていく。
そしてソプラノ独唱が歌い、バリトン・バス独唱も歌い、
それぞれが絡み合っていく重唱の部分となり、途中から合唱も加わる。
この音楽が穏やかに終わってから、ソプラノ独唱が歌う。
「私を探し求め」の部分は、ソプラノとアルトの二重唱である。
やがて合唱が入り、金管楽器が鳴り響いて最後は静かに終わる。
次の「私は嘆く」はソプラノ独唱から始まり、テノール独唱が入る。
さらにバリトン・バス独唱とアルト独唱も入り、絡み合っていく。
グノーらしい間奏曲のような美しい曲で、オペラの二重唱のように響いていく。
「私を羊の群れの中に置いて」は、素朴な旋律に続き、
テノール独唱が歌う牧歌的なおだやかな歌である。
「呪われた者たちが退けられ」は、独唱者と合唱による曲である。
金管楽器が鳴り響き、合唱が歌い、緊張感ある音楽が繰り返される。
いったん静まったあと、テノール独唱が入り、オーボエに導かれ、
アルト独唱が歌い、ソプラノとバリトン・バスの独唱が入り、
アルト独唱と絡んでいき、テノール独唱も再び入り、重唱となる。
終わりの方で、独唱と管弦楽との掛け合いがあって最後静かに終わる。
「涙の日」は、合唱と独唱者による曲である。
合唱が歌ったあと、それぞれの独唱者が入り、合唱が再び入る。
終わりの方は静かに悲しみに満ちた音楽となって終わる。
「奉献唱」は、合唱とソプラノ独唱による曲である。
合唱が最初「主なるイエス・キリストよ、栄光の王よ」と弱々しく歌い始める。
この曲は徐々に声量を上げていく中,ティンパニの音が弱く響く。
ソプラノ独唱が入り、明るい希望を見せるかのように歌い、
トランペットが鳴り響いたあと、合唱は歌を管弦楽と絡みながら、
フーガ風に展開していき、堂々とした音楽になっていく。
その音楽が盛り上がっていったあと、いったん静まり、
合唱が静かに歌い始めていくが、徐々にまた盛り上がりをみせ、
管弦楽が華やかな音楽を奏でる中、堂々とした感じで終わる。
歩きながら、あることを考えていると、
まとまらなかった考えが、まとまったりするのでいい。
途中聴いたのは、1818年生まれのグノーの作品。
オラトリオ「死と生」は、1884年に作曲された。
聴いたCDは、、バーバラ・ヘンドリックスのソプラノ、
ナディーヌ・ディニーズのアルト、ジョン・アレールのテノール、
ジョセ・ヴァン・ダムのバリトン・バス、オルフェオン・ドノスティアッラ、
クリストフ・クールマンのオルガン、ミッシェル・プラッソンの指揮、
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団の演奏によるものである。
今回は第一部「死」の中から、プロローグとレクイエムを聴いた。
プロローグはティンパニが弱い音を叩く中、おだやかな感じで始まり、
すぐに低音の利いた金管楽器の上に合唱がドラマティックに歌っていく。
それを何度か繰り返し、バリトン独唱が入り歌い続ける。
その後オルガンとともに合唱が入り、盛り上がって終わる。
レクイエムに入り、入祭唱とキリエの部分になると哀愁漂う音楽となっていく。
合唱による部分がしばらく続き、やがて独唱者たちが入り、重唱となり、
合唱もこれに加わっていき、おだやかな音楽となり、
合唱はキリエ・エレイソンを繰り返して終わる。
続く合唱によるアカペラの部分は美しい音楽である。
「怒りの日」は金管楽器がファンファーレのように鳴り響き、
いかにもそれを感じさせ、合唱が不安な感じで歌い始める。
最後の部分ではオルガンが鳴り響く中で合唱が歌い、
盛り上がりをみせ、静まってから次の曲に移る。
「その時哀れなる私は何を言えばいいのですか?」の部分は、
テノール独唱から始まり、アルト独唱に続いていく。
そしてソプラノ独唱が歌い、バリトン・バス独唱も歌い、
それぞれが絡み合っていく重唱の部分となり、途中から合唱も加わる。
この音楽が穏やかに終わってから、ソプラノ独唱が歌う。
「私を探し求め」の部分は、ソプラノとアルトの二重唱である。
やがて合唱が入り、金管楽器が鳴り響いて最後は静かに終わる。
次の「私は嘆く」はソプラノ独唱から始まり、テノール独唱が入る。
さらにバリトン・バス独唱とアルト独唱も入り、絡み合っていく。
グノーらしい間奏曲のような美しい曲で、オペラの二重唱のように響いていく。
「私を羊の群れの中に置いて」は、素朴な旋律に続き、
テノール独唱が歌う牧歌的なおだやかな歌である。
「呪われた者たちが退けられ」は、独唱者と合唱による曲である。
金管楽器が鳴り響き、合唱が歌い、緊張感ある音楽が繰り返される。
いったん静まったあと、テノール独唱が入り、オーボエに導かれ、
アルト独唱が歌い、ソプラノとバリトン・バスの独唱が入り、
アルト独唱と絡んでいき、テノール独唱も再び入り、重唱となる。
終わりの方で、独唱と管弦楽との掛け合いがあって最後静かに終わる。
「涙の日」は、合唱と独唱者による曲である。
合唱が歌ったあと、それぞれの独唱者が入り、合唱が再び入る。
終わりの方は静かに悲しみに満ちた音楽となって終わる。
「奉献唱」は、合唱とソプラノ独唱による曲である。
合唱が最初「主なるイエス・キリストよ、栄光の王よ」と弱々しく歌い始める。
この曲は徐々に声量を上げていく中,ティンパニの音が弱く響く。
ソプラノ独唱が入り、明るい希望を見せるかのように歌い、
トランペットが鳴り響いたあと、合唱は歌を管弦楽と絡みながら、
フーガ風に展開していき、堂々とした音楽になっていく。
その音楽が盛り上がっていったあと、いったん静まり、
合唱が静かに歌い始めていくが、徐々にまた盛り上がりをみせ、
管弦楽が華やかな音楽を奏でる中、堂々とした感じで終わる。