昨日は大船から藤沢まで歩いた。
大船駅を降り、川沿いにはしる道をひたすら歩く。
大船のフラワーセンターを通過してさらに歩くと、
道は東海道線の線路沿いを並行してはしるようになり、
そのあとTSUTAYAのあたりで道は線路とは離れるようになり
それもひたすら歩くとようやく藤沢市の中心がみえてくる。
東海道線は大船駅から藤沢駅までの一駅間の距離が長く、
約45分かかって藤沢駅に到着し、ピカソというお店に着いた。
途中聴いた曲は1899年メキシコ生まれのチャベスの作品だ。
指揮者・教育者としても活躍した彼の作品は、
土着的なネイティブ・アメリカンの音楽を素材にしたり、
スペイン風メキシコ音楽など様々な要素がまざりあう。
1940年代からの作品には新古典主義的な作風が加わり、
ストラヴィンスキーからの影響が強く出ている。
「管弦楽のためのトッカータ」は1947年に作曲された曲で、
オーボエに始まる主題は簡素で素朴なふしであるが、
音楽はその後木管楽器を中心に展開され、
弦楽器が入ってきて、新古典主義のような音楽を奏でる。
短い曲ではあるが密度の濃い曲である。
「メキシコの風景1」,「メキシコの風景2」は1943年の作品で、
民族色強い旋律が現れ、強烈なリズムを打楽器が刻んでいく。
それがロマンティックな旋律と絡み合い曲は盛り上がっていく。
「コルキスの娘」組曲は1943年の作品で、
最初の部分では木管楽器と打楽器が活躍する。
その木管楽器は土着的な旋律を奏し、
弦楽器はヨーロッパ的な旋律を奏でる。
曲の後半はなぜかコープランドの作品に似ていると思った。
まあ、メキシコもアメリカも同じ北アメリカであるから、
どちらかが影響を受けたのかもしれない。
「メキシコの歌」は1933年に作曲された短い作品で、
最初ネイティブ・アメリカンの音楽が、
ストレートに主題として現れる。
それが後半にはスペイン風メキシコ音楽が現れ、
これらの音楽が混ざり合うとてもわかりやすい曲だ。
一方1953年に作曲された交響的絵画「踊り」は、
その渾然とした世界が、新古典主義というスタイルをとりながら
簡素にまとめあげられた小品である。
ともかく、メキシコの文化はやはり重層的だと思う。
これらの曲を聴き、メキシコという国を考えると、
ネイティブ・アメリカンとスペイン人とそれぞれの持つ文化が、
渾然一体と混ざった多様性のあるチャベスの音楽自体が、
メキシコのすべてをあらわしているということなのだろう。
大船駅を降り、川沿いにはしる道をひたすら歩く。
大船のフラワーセンターを通過してさらに歩くと、
道は東海道線の線路沿いを並行してはしるようになり、
そのあとTSUTAYAのあたりで道は線路とは離れるようになり
それもひたすら歩くとようやく藤沢市の中心がみえてくる。
東海道線は大船駅から藤沢駅までの一駅間の距離が長く、
約45分かかって藤沢駅に到着し、ピカソというお店に着いた。
途中聴いた曲は1899年メキシコ生まれのチャベスの作品だ。
指揮者・教育者としても活躍した彼の作品は、
土着的なネイティブ・アメリカンの音楽を素材にしたり、
スペイン風メキシコ音楽など様々な要素がまざりあう。
1940年代からの作品には新古典主義的な作風が加わり、
ストラヴィンスキーからの影響が強く出ている。
「管弦楽のためのトッカータ」は1947年に作曲された曲で、
オーボエに始まる主題は簡素で素朴なふしであるが、
音楽はその後木管楽器を中心に展開され、
弦楽器が入ってきて、新古典主義のような音楽を奏でる。
短い曲ではあるが密度の濃い曲である。
「メキシコの風景1」,「メキシコの風景2」は1943年の作品で、
民族色強い旋律が現れ、強烈なリズムを打楽器が刻んでいく。
それがロマンティックな旋律と絡み合い曲は盛り上がっていく。
「コルキスの娘」組曲は1943年の作品で、
最初の部分では木管楽器と打楽器が活躍する。
その木管楽器は土着的な旋律を奏し、
弦楽器はヨーロッパ的な旋律を奏でる。
曲の後半はなぜかコープランドの作品に似ていると思った。
まあ、メキシコもアメリカも同じ北アメリカであるから、
どちらかが影響を受けたのかもしれない。
「メキシコの歌」は1933年に作曲された短い作品で、
最初ネイティブ・アメリカンの音楽が、
ストレートに主題として現れる。
それが後半にはスペイン風メキシコ音楽が現れ、
これらの音楽が混ざり合うとてもわかりやすい曲だ。
一方1953年に作曲された交響的絵画「踊り」は、
その渾然とした世界が、新古典主義というスタイルをとりながら
簡素にまとめあげられた小品である。
ともかく、メキシコの文化はやはり重層的だと思う。
これらの曲を聴き、メキシコという国を考えると、
ネイティブ・アメリカンとスペイン人とそれぞれの持つ文化が、
渾然一体と混ざった多様性のあるチャベスの音楽自体が、
メキシコのすべてをあらわしているということなのだろう。