今回は1874年生まれのアイヴズが、
1910年から1916年にかけて作曲した交響曲第4番を取り上げる。
聴いたCDはクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮、
クリーヴランド管弦楽団の演奏による。
第一楽章前奏曲(マエストーソ)は、重々しく荒々しく始まる。
ピアノやチェロ、コントラバスが旋律を奏でた後、
混声合唱が入り、讃美歌「夜を守る友よ」が歌われる。
この合唱を中心に音楽は進行していき、最後静かに終わる。
第二楽章アレグレットは、ピアノと弦楽器中心に始まる。
独奏ピアノが活躍する中、徐々に荒々しい感じになり、
機関車を思わせるような音など騒々しい響きが聞こえ、
このあたりはアイヴズらしいところがみられる。
色々な音楽のメロディーと騒音が混在し、
音のカオスを作り出していき、目まぐるしく変化していく。
ピアノと弦楽器、金管楽器が統制のないようにみえる音楽を、
それぞれの楽器が勝手に展開していくような感じだが、
それがアイヴズらしさであり、壮大な音の実験となっている。
行進曲が金管楽器によって突然現れ、
「ヤンキー・ドゥードル」の旋律も出てきて面白い。
第三楽章フーガ(アンダンテ・モデラート)は、
弦楽器がゆったりと讃美歌「きたのはてなる」の旋律を奏でて始まる。
讃美歌「あまつみつかいよ」の旋律も現れて、フーガ風の展開をしていく。
前楽章とは打って変わってある意味統制のとれた音楽が繰り広げられる。
美しく荘厳な感じで、最後は穏やかに終わる。
第四楽章非常に遅く-ラルゴ・マエストーソは、
打楽器の微かな音で始まり、静かな感じは、
様々な楽器が加わっていくことで打ち破れていくが、
再び混沌とした音楽が展開され、予測不能な方向に進んでいく。
讃美歌「とうときわが主よ」をヴァイオリンが奏で、
やがて音は厚みを増していくようになり、
混声四部合唱で讃美歌「主よみもとに」が歌われる。
最後は打楽器の音のみが残り、静かに終わる。
アイヴズにとっては最後の交響曲となった作品だが、
この謎めいて混沌とした作品に対して、作曲者自身は、
「なぜ、生きるのか?」という人生の問いをかかげている。
それは難しい問いでもあり、簡単な問いでもある。
だから、音楽も難解なようにみせて、本当は易しいのかもしれない。
意欲的で挑戦的な作品であり、人生同様に深いものがある。
1910年から1916年にかけて作曲した交響曲第4番を取り上げる。
聴いたCDはクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮、
クリーヴランド管弦楽団の演奏による。
第一楽章前奏曲(マエストーソ)は、重々しく荒々しく始まる。
ピアノやチェロ、コントラバスが旋律を奏でた後、
混声合唱が入り、讃美歌「夜を守る友よ」が歌われる。
この合唱を中心に音楽は進行していき、最後静かに終わる。
第二楽章アレグレットは、ピアノと弦楽器中心に始まる。
独奏ピアノが活躍する中、徐々に荒々しい感じになり、
機関車を思わせるような音など騒々しい響きが聞こえ、
このあたりはアイヴズらしいところがみられる。
色々な音楽のメロディーと騒音が混在し、
音のカオスを作り出していき、目まぐるしく変化していく。
ピアノと弦楽器、金管楽器が統制のないようにみえる音楽を、
それぞれの楽器が勝手に展開していくような感じだが、
それがアイヴズらしさであり、壮大な音の実験となっている。
行進曲が金管楽器によって突然現れ、
「ヤンキー・ドゥードル」の旋律も出てきて面白い。
第三楽章フーガ(アンダンテ・モデラート)は、
弦楽器がゆったりと讃美歌「きたのはてなる」の旋律を奏でて始まる。
讃美歌「あまつみつかいよ」の旋律も現れて、フーガ風の展開をしていく。
前楽章とは打って変わってある意味統制のとれた音楽が繰り広げられる。
美しく荘厳な感じで、最後は穏やかに終わる。
第四楽章非常に遅く-ラルゴ・マエストーソは、
打楽器の微かな音で始まり、静かな感じは、
様々な楽器が加わっていくことで打ち破れていくが、
再び混沌とした音楽が展開され、予測不能な方向に進んでいく。
讃美歌「とうときわが主よ」をヴァイオリンが奏で、
やがて音は厚みを増していくようになり、
混声四部合唱で讃美歌「主よみもとに」が歌われる。
最後は打楽器の音のみが残り、静かに終わる。
アイヴズにとっては最後の交響曲となった作品だが、
この謎めいて混沌とした作品に対して、作曲者自身は、
「なぜ、生きるのか?」という人生の問いをかかげている。
それは難しい問いでもあり、簡単な問いでもある。
だから、音楽も難解なようにみせて、本当は易しいのかもしれない。
意欲的で挑戦的な作品であり、人生同様に深いものがある。