Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

マルコム・アーノルドのギター協奏曲作品67を聴きながら、三枚町から西谷まで歩く

2010-09-30 05:17:32 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1924年生まれのアーノルドの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
ギター協奏曲作品67は、1959年作曲された。
ギター奏者ジュリアン・ブリームの委嘱を受け作曲された。
聴いたCDは、ジュリアン・ブリームのギター、
サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団の楽団員の演奏による。
楽器編成は一人ずつの弦楽器群とフルート、クラリネット、
ホルンといった小編成にギターが加わる室内楽的なスタイルである。
第一楽章アレグロは、ソナタ形式で書かれている。
弦楽器のピッチカートとフルート・ホルンに導かれ、
ギターが入り、リズミックで軽快な第一主題が展開される。
一方でロマンティックな第二主題がギターに現れ、
この二つの主題は繰り返し演奏され、第二主題のところで展開部に入る。
短い展開部では二つの主題を中心に展開され、
フルートの音で再現部に入り、最後は第一主題が現れて終わる。

第二楽章レント-ヴィヴァーチェ-レントは、
1953年に没したジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトへの哀歌で、
レントで始まるゆったりした中で、ゆれるような弦楽器の伴奏の上で、
独奏ギターが甘美な旋律を奏でていき、フルートがその旋律を受け継ぎ、
ホルンなども絡みながら、独奏ギター中心に音楽は進行していく。
その旋律はホルストの惑星の木星の中に現れる旋律の一つに似ている。
中間部はヴィヴァーチェとなり、軽快に管楽器が活躍していく。
再びレントの部分となり、最後静かに終わる。
第三楽章コン・ブリオは、ロンド形式で書かれている。
古風な旋律がギターで奏され、他の楽器もそれを引き継ぐ。
対位法風に扱われ、軽快なテンポでギターと他の楽器の競演が続く。
ギターのやや長いトレモロが終わり、叙情的な旋律がギターに現れ、
再び古風な旋律がギターに現れ、他の楽器もそれを受け継ぎながら、
やや長いギターのトレモロを経て、テンポは速まりコーダに入り、
最後は、からいらしい感じで軽快に終わる。
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トレヴァー・ダンカンの「コルシカの娘」を聴きながら、三枚町から西谷まで歩く

2010-09-29 05:17:13 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
昨日聴いたのは1924年生まれのダンカンの作品。
ロンドンのカンバーウェルに生まれた彼は、
12歳の頃からピアノを弾くことができたが、
正式な音楽教育を十分に受けることはできなかったようで、
トリニティ音楽大学で1年間ヴァイオリンや和声などを
学ぶことはあったようだが、ほとんどは独学だったようだ。
18歳にBBCの音響技師や音楽番組のプロデューサーを経て、
ライト・ミュージックの作曲家として活躍するようになった。
「コルシカの娘」は、BBCのテレビ番組のために1959年作曲された。
聴いたCDは、ロバート・ファーノン指揮、
BBCノーザン交響楽団の演奏による。
「コルシカの娘」は異国情緒のある小品で、
カスタネットがリズムを刻み、スペイン風である。
弦楽器が叙情的な旋律を奏で、旅行気分にさせる曲である。
回想風にフルートやホルンが絡み、最後静かに終わる。
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エドムンド・ラッブラの交響曲第10番(室内交響曲)作品145を聴く

2010-09-28 05:11:29 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日はウォーキングを休みました。
昨日聴いたのは1901年生まれのラッブラの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第10番(室内交響曲)作品145は、1975年に作曲された。
ノーザン・シンフォニアの芸術文化振興会(arts council)から委嘱を受け、
1975年1月にルドルフ・シュヴァルツの指揮によって初演された。
作品は4つの部分で構成され、全体はソナタ形式で書かれている。
提示部にあたる第一部レント、展開部にあたる第二部スケルツァンド、
再現部にあたる第三部レント、コーダの第四部アダージョとなっている。
ただし、最後のコーダは5小節のみとなっている。
聴いたCDは、ハンス・ヘルベルト・シェンツラー指揮、
ボーンマス交響楽団の演奏による。

チェロが奏す重々しい旋律から始まり、弦楽器合奏の部分となり、
そのあとチェロが再び旋律を奏で、管楽器などが加わっていく。
ヴァイオリンが旋律を奏で、他の楽器が引き継いでいく。
徐々に弦楽器と管楽器により躍動的リズムを刻み、盛り上がっていく。
それが終わると一旦静まり、オーボエやフルートなど叙情的な旋律を奏し、
やがて盛り上がったあと、ゆったりとした部分となり、
イングリッシュホルンが哀愁帯びた旋律を奏でていく。
そして他の管楽器も絡み合っていき、室内楽的になり、
イングリッシュホルンとフルートによる音楽から、
やがて他の楽器が絡み、再び盛り上がったあとゆったりとした部分となり、
最後はイングリッシュホルンとフルートで終わる。
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ロバート・シンプソンの交響曲第6番を聴きながら、二俣川から緑園都市まで歩く

2010-09-27 07:07:00 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩き、往復しました。
途中聴いたのは1921年生まれのシンプソンの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第6番は、一楽章制の作品で、1977年に作曲された。
婦人科医のクラフトに献呈された作品で、
初期の胚が受精後の細胞から生命へと進化していく成長過程を
音楽にするアイデアをこの人物から得たことにあるようである。
聴いたCDは、ヴァーノン・ハンドリー指揮、
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による。

冒頭の弦楽器のみで始まる部分から、ニールセン風な音楽を感じる。
事実彼自身がニールセンの音楽の影響を受けていることは確かである。
この弦楽合奏に木管楽器が加わりながら、曲は進行していく。
フーガ風に展開しながら、この原初の段階から、徐々に動きが見られ、
曲は躍動的な音楽となっていき、金管楽器と打楽器が入り荒々しさが加わり、
生命が細胞分裂を繰り返しながら成長していく様子が描写されていく。
激しく幾度と叩き続けるティンパニの音と旋律などを聴くと、
ニールセンの交響曲第5番を想起させてくれる。
その盛り上がりの部分が終わると、やがて静かな音楽になり、
弦楽器の繰り返す音型の上にオーボエ、ファゴット、フルートなど
管楽器が絡み合っていき、さらにホルンも絡みあっていく。
そのあと再び弦楽器のみの合奏となり、また管楽器がリズミカルに絡んでいく。
このあたりの室内楽的な音楽はやはりニールセン風である。
やがて静寂さは徐々に失われ、躍動感のある音楽になっていく。
最後は金管楽器と打楽器が活躍し、輝かしく堂々とした感じで終わる。
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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの「ウェンロック・エッジで」を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2010-09-26 11:32:36 | ヴォーン・ウィリアムズの作品
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
午後は渋谷のバルキーニョに行くため、朝方歩きました。
途中聴いたのは1872年生まれのヴォーン・ウィリアムズの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
「ウェンロック・エッジで」は、1909年に作曲された。
アルフレッド・エドワード・ハウスマンが手がけ、1896年に出版された
『シュロップシャーの若者』という63の詩からなる連作の詩を
テキストに使い、6曲を作品にしたもので、シュロップシャーから
ロンドンに出て愛や苦悩に満ちた若者の声が表現された詩のようである。
ウェンロック・エッジのエッジ(Edge)というのは丘陵の意味で、
シュロップシャーにあるウェンロックの丘陵地帯を意味するようだ。
今回聴いたのはテノールと管弦楽によるものである。
聴いたCDは、ロバート・ティアーのテノール、
サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による。
第一曲「ウェンロック・エッジで」は、
丘陵地帯の変化する自然の様子を管弦楽が描写し、
テノールが歌う歌詞の中にもその自然について歌われるが、
古くローマ軍の時代のことにまで触れられ、奥の深い内容となっている。

第二曲「ずっと、夕方から朝まで」は、おだやかな旋律を
テノールが歌い、牧歌的でありながら、神聖な感じをもあたえる曲だ。
第三曲「僕の馬たちは耕しているのか」は、
やさしい弦楽器の伴奏に乗り、テノールが歌う。
遠くからホルンが響き、途中から少しドラマティックな感じになり、
ドビュッシーやラヴェルなど印象派音楽を感じさせる伴奏である。
若くして亡くなった若者と友人の対話となっているこの曲は、
いつもと変わらない田園の風景と、
遠くから聞こえる亡くなった若者の声をうまく描写しているようでもある。
第四曲「おお、僕が君を愛していた時」は、
テノールが牧歌的で民謡風の旋律を歌い、短い曲である。
第五曲「ブレドンの丘」は、神秘的な雰囲気を管弦楽が醸し出し、
その印象派風の音楽の伴奏に乗り、テノールが歌う美しい曲である。
昨年夏の幸せだった時の思い出と現実が対比される曲で、
教会の鳴り響く鐘の音がうまく表現されている感じがする。
第六曲「クラン」も牧歌風の美しい旋律の歌で、
最後は弦楽器のソロのやりとりが続き、消え入るようにして終わる。
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