Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ハンソンの「青春時代の主題に基づく幻想的変奏曲」を聴きながら

2007-08-31 06:43:57 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、朝は二俣川から鶴ヶ峰まで歩き、
夕方は横浜から星川まで歩いた。
横浜から星川まで歩く途中で聴いたのは、
1896年ネブラスカ州生まれのハンソンの作品で、
弦楽オーケストラとピアノのために作られた
「青春時代の主題に基づく幻想的変奏曲」である。
ハワード・ハンソンはイーストマン音楽学校の校長をつとめ、
前日に触れたスティルに作曲の指導をした作曲家である。
スウェーデン系移民の両親のもとに生まれた彼は、
イタリアに留学し、管弦楽法をレスピーギに学んでいる。
作品の中では交響曲第2番「ロマンティック」が有名だろう。

CDの解説によると、「青春時代の主題に基づく幻想的変奏曲」は、
この曲は彼が青春時代の1915年から1916年の間に学び、
助手として教育活動にも従事したノースウェスタン大学の、
創立百周年を記念して1951年に作曲され、同年2月18日には
彼自身の指揮によりノースウェスタン大学で演奏されている。
この曲の冒頭に登場する主題は彼が1920年代に作曲した
弦楽オーケストラとピアノのための室内協奏曲のものだと、
彼自身の回想の中で述べているようだ。

最初の変奏は、1933年の歌劇「メリー・マウント」に見られる音色を使い、
二つ目の変奏では、衝撃的なリズムが
流れるようなピアノのパッセージにとって替わられる。
三つ目の変奏ではピアノによる簡単な伴奏に乗って
弦楽器が心に訴えかけるような旋律を奏するのが特徴で、
ついに第四の変奏では劇的なクライマックスを築き上げ、
穏やかな、そしてあきらめたようなコーダへと作品が進み、
静かに終わるといった内容のことが、CDの解説では書かれ
私の聴いた印象もほぼ同じである。
(ただ、歌劇「メリー・マウント」はどんな曲かは知らない。)
とはいえ、随所でロマンティックであり、彼らしい作品である。
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スティルの「サージ」を聴きながら、鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2007-08-30 05:53:22 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで雨降る中歩いた。
途中聴いた曲は、スティルの「サージ」である。
ウィリアム・グラント・スティルは、
1895年ミシシッピ州生まれの黒人作曲家である。
代表作の一つに「アフロ・アメリカン交響曲」があり、
黒人意識に目覚めて、作曲活動を進めたようだ。
CDの解説によると、高校時代にはヴァイオリンを演奏し、
大学に入ってからはクラリネットを演奏したということである。
W.C.ハンディの楽団で編曲者としても活躍したようである。

2部から構成されるバレエ音楽「サージ」は、
イーストマン音楽学校にいた1931年に
ハワード・ハンソンの指導のもと作曲された作品のようだ。
この合唱を伴った作品の特徴は絶えず聴こえてくる打楽器の音だ。
このころ彼は、アフリカ音楽やアフリカの伝説を学んでいたようで、
そこからの影響が、この作品に出ているのだろう。
原始的で野性的な感じを伝えてくれるこの作品は、
アフリカ的であり、その一方で西洋的な響きもあり、
かと思うとネイティヴ・アメリカンの音楽の要素も
ある程度感じとることができ、聴いていてその点がおもしろい。
音楽は彼の師エドガー・ヴァレーズの影響を
受けている部分があるという指摘もあるが、
どちらかというと聴いていると私には
ストラヴィンスキーの音楽からの影響を感じたりもする。

この作品は、中央アフリカのアザンデ族の
狩の祭りを描いている。
サージとは、そのアザンデ族の酋長
コノブジュの愛妻の名である。
とはいえ、サージはコノブジュの甥で
後継者であるムラボーに夢中である。
酋長コノブジュが、狩の遠征に出かける間、
サージとムラボーは酋長を裏切る。
数週間して狩人たちは日没に
亡骸となった酋長を運んで帰ってくる。
部族の慣習に従うと、酋長の愛妻は夫が亡くなった時に
自分の命をいけにえとして捧げなければいけない。
そこで彼女は死の誓いへの忠誠を果たすのか、
生への希求・ムラボーへの愛という間で選択に迷い、
酋長コノブジュの棺の前で踊りを続けるのだが、
最終的には死を選択し、いけにえの短剣を
自分自身の胸に突き刺すのである。
音楽は最後おおきな人々のため息で終わる。

アメリカの黒人作曲家スティルは、
自分のルーツをその物語の世界に求めたのだろう。
やはり、アメリカという国の作曲家らしい気がする。
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マクブライドの「メキシコ狂詩曲」を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-08-28 22:01:48 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、ウォーキングをお休みしました。
そして、今日は横浜から星川まで歩きました。
この夏の状況というと、特に体重に増減の変化はない。
夏の時期はともすれば体重が増えてしまうことがあるので、
ともかく、現状維持ができればいいかなというところである。

さて、今日ウォーキングの途中で聴いた曲は、
マクブライドの「メキシコ狂詩曲」である。
ロバート・マクブライドは、1911年アリゾナ州生まれの作曲家で、
ダンス・バンドで働き、クラリネット奏者として活躍した。
そんなこともあってか、彼の音楽は、
ポピュラー音楽との関係が深く感じられる。

「メキシコ狂詩曲」は、1934~1935年に作曲された作品で、
メキシコのポピュラー音楽のメドレーといった感じだ。
「メキシカン・ハット・ダンス」や「エル・ランチョ・グランデ」、
「ラクラカチャ」などの有名な曲をつなげている。
それらの曲名を知らなくとも、
この曲どこかで聴いたことあるなあと思わせる作品で、
色々な打楽器を使うことでラテン的な華やかさを作り出している。

とはいえ、この曲だけでは、オリジナリティはないし、
彼の音楽はどんなものかは語れないのだが、
あいにく、他の作品のCDはない。
バレエ音楽や合唱曲、五重奏曲やソナタなど、
いろいろ作品はあるらしいのだが、
日本ではほとんど知られていない。
この曲が、彼の音楽の魅力を十分に
伝えているかどうかは疑問である。
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二俣川から西谷までグローフェの「ミシシッピ」を聴きながら歩く

2007-08-27 07:31:31 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、二俣川から西谷まで歩いた。
途中聴いた曲は、1892年生まれのグローフェの作品。
ポール・ホワイトマン楽団に、
ピアニスト・編曲者として入った彼は、
ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」初演時の、
オーケストレーションをしたことで有名になったのだが、
彼の作品自体はあまり知られておらず、
組曲「グランド・キャニオン」は有名だが、
その他の曲はあまり知られていないのが現実だ。

昨日聴いた曲は、組曲「ミシシッピ」と、組曲「死の谷」である。
組曲「ミシシッピ」は、1932年に作曲された作品。
組曲「死の谷」は、1949年の作品である。
高校時代に組曲「グランド・キャニオン」の
グローフェの自作自演盤とスラットキンの演奏した盤の
両方を比較する「2つのグランド・キャニオン」の企画盤を買った。
この中にスラットキンの指揮する組曲「ミシシッピ」と、
グローフェの指揮する組曲「死の谷」が入っていた。

「ミシシッピ」は、ミシシッピ河の大自然をうたった作品。
第1曲「河の父」はアメリカ版モルダウのようで、
ゆったりと流れる大河、ミシシッピ河の様子が描写される。
第2曲「ハックルベリー・フィン」は作家マーク・トウェインの
小説「ハックルベリー・フィンの冒険」の主人公を描いた軽快な曲。
この物語がミシシッピ河を舞台としているのでとりあげられている。
第3曲「思い出のルイジアナ」は、冒頭から弦楽器の伴奏にのり、
オーボエを中心にロマンティックな旋律が奏され、始まる。
開拓時代のルイジアナへの郷愁をうたった曲。
第4曲「マルディ・グラ」は、ウルトラ・クイズでよく使われた曲。
マルディ・グラは謝肉祭の最終日に盛大に祝う祭りで、
ニュー・オリンズで行われる祭りのようすを描写した華やかな曲。

「死の谷」は、死の谷発見100周年を記念し、委嘱を受けた作品。
第1曲「葬式の山脈」は、朝から真昼そして日没までの砂漠の一日を描き、
メラメラと照りつける太陽など死の谷の過酷な自然環境を見ているようである。
第2曲「1849年の移住者の行列」カリフォルニアの黄金を求め、
西へ西へと移住する人々が難所死の谷を越えていく様子が描かれる。
時折聴こえるインディアン風の旋律は、
インディアンの襲来を描いているようである。
第3曲「砂漠の水飲み場」は、旅行者にとって大切な水飲み場に
人々が集まっていく様子が描かれ、フォスターの名曲が使われる。
「おおスザンナ」「オールド・ブラック・ジョー」などの旋律が、
次々と現れて、喜びまわる感じが伝わってくるようだ。
第4曲「砂嵐」は、ウインド・マシンを使いながら、
猛烈な砂嵐の襲来を描いた曲であるが、
最後に歓喜に満ちたフィナーレで締めくくる。

グローフェはこの他、ハドソン川組曲とか、
組曲「ナイアガラ大瀑布」など
アメリカの自然に関する作品を多く残している。
彼がアメリカの大自然をこよなく愛していることは、
「グランド・キャニオン」だけで十分伝わってくるのだが、
よくこれだけの自然に関する曲を作曲するものである。
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バーバー、「鎖を解かれたプロメテウス」、そしてシェリー

2007-08-26 08:27:18 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで歩いた。
途中聴いた曲は、1910年生まれのサミュエル・バーバーの作品。
ペンシルバニア州で生まれた彼は、カーティス音楽院で学び、
優秀な成績で卒業したが、その作風は全般的には保守的で、
ヨーロッパの伝統的な作曲法に基づいているため、
「最後のロマンティスト」とも評されるようだ。
有名な曲は弦楽のためのアダージョである。

昨日聴いた曲は、序曲「悪口学校」、
管弦楽のためのエッセイ第1番と、
シェリーによる一場面のための音楽である。
どれも1930年代に作曲された初期の作品である。

序曲「悪口学校」は、学生時代に作曲された作品。
18世紀のイギリス劇作家シェリダンによって書かれた喜劇が、
この作品の素材になっているようだが、その内容は知らない。
中間部のオーボエ・クラリネット・弦楽器を中心に奏される旋律がいい。
最後は、華麗に全合奏で締めくくられる。
管弦楽のためのエッセイ第1番は、
最初弦楽器を中心に静かに、そして穏やかに始まる。
やがて、金管が加わり、ファンファーレ風の音楽を奏す。
中間部はスケルツォ風の軽快な音楽で、
木管と弦楽器による幻想的な音楽が繰り広げられる。
冒頭の主題も時々顔を出しながらも、
音楽は激しさを増し、劇的な音楽になっていくが、
最後はまた弦楽器中心に静かな音楽に戻り、終わる。
シェリーによる一場面のための音楽は、映画音楽のようで、
最初は幻想的に始まるが、劇的な音楽となり、
最後はまた静かな音楽にもどり、神秘的に終わる。
シェリーの詩劇「鎖を解かれたプロメテウス」から
インスピレーションを得て書いた作品のようだ。

シェリー(バーシー・ビッシュ・シェリー)は、
1792年生まれのイギリスのロマン派詩人。
裕福な貴族の長男として生まれ、
若い頃からギリシアやラテンの古典や
啓蒙思想に興味を持ったようである。
「鎖を解かれたプロメテウス」は、
岩波文庫で翻訳本が出ているが、
ジュピターの怒りをかったプロメテウスが、
地の果てにある高い山の頂に鎖でつながれるが、
最後は解放されるようだが、
要約された本の内容をみてもよくわらん。
読んでみるしかないかなとも思う。
掘り下げると奥が深い話だ。
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