Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

グラズノフの「性格的組曲」を聴きながら、西谷駅から二俣川駅まで

2007-06-30 06:43:43 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は西谷駅から二俣川駅まで歩いた。
途中聴いた曲は1865年生まれのグラズノフの作品である。
悲歌「英雄の思い出に」、性格的組曲、抒情的な詩、
そして交響詩「ステンカ・ラージン」で、
どれも初期の作品で20歳代前後に作曲されたようだ。
CDの解説書はロシア語で書いてあり、
何が書かれているかさっぱりわからないので、
ここでは性格的組曲を中心に聴いた感想を述べたい。

第1曲導入―ロシアの踊りから、魅力にあふれている。
物悲しげな主題が最初弦楽器によって奏されるが、
その後舞踏風の素朴な旋律が弦楽器・木管楽器を奏し、
その旋律を中心にさまざまな形に展開される。
第2曲間奏曲スケルツァンドは軽快な曲で、
中間部ではロシア風の変拍子の主題が流れ、印象的だ。
第3曲カーニヴァルは、フルートなど木管楽器が、
打楽器などの軽快なリズムにのって活躍する。

第4曲パストラーレはフルートが吹くのどかな旋律が
牧歌的で、他の楽器にも受け継がれ、
他の民謡風の旋律と絡み合いながら展開されていく。
第5曲東洋の踊りはこの作品の中で最も印象的で、
東洋的な主題がとてもよく、打楽器が活躍する。
リムスキー=コルサコフのシェヘラザードとは
また一味違ったグラズノフらしい音楽である。
第6曲悲歌は重々しい感じの旋律が、
鳴り続く打楽器にのって奏される。
第7曲行列は金管楽器が活躍し、
最後華々しいフィナーレとなり終わる。

交響詩「ステンカ・ラージン」はリストの影響を受けた曲で、
あの有名なステンカ・ラージンの旋律が一風変わった形で
アレンジされ展開されていき、おもしろい。
その旋律とは別に途中登場するロマンティックなメロディが、
とても魅力的なのだが、やはりステンカ・ラージンの旋律から
離れられず、思い出したように時々その旋律が顔を出す。
ここまでこの旋律を大げさに扱うのかとも思ったりもする。

ところでこのグラズノフは40歳代半ばには、
作曲活動に行き詰まり、アルコール中毒になったようだ。
ロシアで革命が起こるとパリに移住したが、
ロシアへの想いは断ち切ることができず、
ホームシックにもかかったようだ。
しかし、革命によってもはや彼の愛するロシアは、
もうこの世には存在しないのだからかわいいそうだ。
やはり、作曲家も大変なもんだなあ。
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カリンニコフの「西洋杉と棕櫚」、そして横浜駅から星川駅まで

2007-06-29 05:07:18 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は横浜駅から星川駅まで歩いた。
途中聴いた曲は1833年生まれのカリンニコフの作品である。
カリンニコフは、交響曲第1番が何といっても名曲だが、
組曲ロ短調も26歳の若い頃に作曲されたいい作品だ。
第1曲のアンダンテは思い引きずるような旋律と、
民謡調の美しい音楽が魅力的である。
第2曲アレグロ・スケルツァンドは流れるように軽快な曲だ。
第3曲のアダージョは感傷的な旋律が魅力的である。
第4曲アレグロ・モデラートは力強い主題に始まり、
複数の旋律が絡み合い、交響曲のような展開をしながら、
金管楽器を中心に最後は盛り上がり、華々しいうちに終わる。

交響的絵画「西洋杉と棕櫚」は1、
897年から1898年にかけて作曲された。
ハイネの詩「叙情的間奏曲」という作品に基づいている。
1822年から23年にかけて書かれたこの詩の内容は、
愛する女性に対する思い、愛の喜びから失恋の悲しみ、
そして苦しみを描いた作品のようである。
アポロン・マイコフという詩人が、
ロシア語に翻訳したそうで、ロマンティックである一方、
最後は愛のつらさを伝えているように静かに終わる。

序曲「ブイリーナ」は、1892年から1893年に作曲された。
この作品に使われる旋律も魅力的で、美しく、ロシア的だ。
しかし、初演されたのは1950年7月になってのことのようだ。
カリンニコフへの評価は最近になって高まってきたが、
あまり知られていないのが残念である。
若くして亡くなったため、作品は少ないのだが、
ロシア音楽にどっぷりつかりたい人にはオススメ。
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だったん人?ポロヴェッツ?ボロディンを聴きながら

2007-06-28 07:09:54 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日はウォーキングをお休みしました。
今日とりあげるのは1833年生まれのボロディンの作品である。
ボロディンといえば、交響的絵画「中央アジアの草原にて」。
やはり、名曲であり、何度聴いてもいい曲だ。
この曲はアレクサンドル2世の治世25周年の行事の
音楽として1880年に作曲され、「東方の調べ」と
「ロシアの歌」という曲を用いて作ったということで、
だからこそ旋律が魅力的なのだろう。

もう一つ、歌劇「イーゴリ公」の序曲とだったん人の踊りだが、
歌劇「イーゴリ公」自体が未完成であるだけでなく、
序曲についてはグラズノフがオーケストレーションを手がけ、
「だったん人の踊り」はリムスキー=コルサコフが
オーケストレーションを手がけ、1879年に初演されたようだ。
もちろん、この作品も旋律は魅力的である。
「だったん人の踊り」の原題は「ポロヴェッツ人の踊り」であり、
だったん人という訳は実は適切ではない。

俗に「だったん人の踊り」と言われているので、
今さらという感じではあるが、
歴史学的にいえば、ポロヴェッツ人は11世紀末から
キエフ公国にとって脅威となっており、
キエフ公国もポロヴェッツに何度か遠征したりしている。
ポロヴェッツ(キプチャク)草原にいた彼らが、
その後モンゴルの支配に入り、タタールとよばれ、
この語の由来がモンゴルの一族である韃靼から来ているため
この言葉を使うようになったのだが、実は正しくない。
民族という概念が遊牧民族にあてはまるかというと、
そういうわけではないので、ある意味では複雑だ。
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カバレフスキーの組曲「道化師」を聴きながら横浜から和田町まで

2007-06-27 05:59:10 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は横浜から和田町まで歩いた。
途中聴いた曲は1904年生まれのカバレフスキーの曲だ。
前回触れたグリンカとはちょうど100年の開きがある。
ミャスコフスキーから学んだ彼の有名な代表作といえば、
ズバリ、組曲「道化師」であろう。

児童劇のために1938年に作曲したこの曲は、簡素で明快で、
第2曲の「道化師のギャロップ」は、
運動会でよく使われるので誰もが聴いたことがあるだろう。
第3曲「行進曲」の小太鼓が叩くリズムなんかを聴くと、
ショスタコーヴィッチの交響曲第7番の第一楽章の、
小太鼓が叩くリズムを、思い出してしまうし、
第6曲「間奏曲」の冒頭のフルートは、チャイコフスキーの
「くるみ割り人形」の中の「葦笛の踊り」を思い出す。
いかにもロシア風な旋律だなと思うのは、
第7曲「叙情的小シーン」であり、あじわい深い。
第10曲のエピローグを聴くと、社会主義レアリズムの
代表的な作曲家なんだなとようやく実感したりする。

これ以外であげる曲は、オペラ「コラ・ブルニョン」序曲だ。
モダンな感じのするこの曲は、1938年に作曲された
4分から5分の短い曲だが、彼の巧みな管弦楽法が聴け、
不協和音が響いたりし、現代的な作品で印象的である。

交響詩「春」は、作曲家自身の指揮で1960年に初演された。
映画音楽の中のさまざまな主題に基づく作品である。
同じ年に初演された悲劇的序曲は、主題がロマンテックで、
社会主義レアリズム的な作品であり、いい曲だ。
アレクセイ・トルストイの小説に基づいた映画音楽の
一部として作曲されたことが解説書に書いてある。
ちなみにあの有名なレフ・トルストイとは別人であるが、
このアレクセイ・トルストイも有名な作家らしい。

ロシアの作曲家による管弦楽曲の紹介だが、
とりあげるときりはないけど、まだまだ続きます。
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グリンカの幻想曲「カマリンスカヤ」を聴きながら希望が丘から上星川まで

2007-06-26 05:46:47 | 古典~現代音楽ロシア編
昨日は希望が丘駅から上星川駅まで歩いた。
帷子川沿いを歩きながら、ふと思ったのは、
春の時期まであまり目立たなかった草が生い茂っており、
道にはみ出してしまうまでになっていた。
いくつかの民家に紫陽花が咲いているのを見ると
そんな時期なんだなという季節の移りかわりを実感する。

途中聴いた曲は1804年生まれのグリンカの作品である。
彼は、ロシア国民学派の祖とも言われている。
グリンカの管弦楽曲では歌劇「ルスランとリュドミラ」の
序曲が有名であろうし、確かに実際聴いてみると名曲である。
ここでは、それ以外の作品2つをあげてみよう

まずは歌劇「皇帝に捧げし命」から、序曲と3つの踊りである。
彼の作曲した歌劇は「ルスランとリュドミラ」とこの曲しかない。
1836年に作曲されたこの歌劇の序曲は、10分近くの曲で
一部の歌うような旋律の中にシューベルトからの影響が、
旋律の展開方法などにメンデルスゾーン影響が認められ、
ドイツ風の音楽からの影響が強く出ているのが、
彼のその後の作品を思わせる独自性も認められる。

3つの踊りは、ポロネーズ、パ・ド・カトルそして、
クラコビアクの3つの曲から成る。
ポロネーズはポーランドの代表的な三拍子系の踊りの曲。
優雅な感じ、中間部の金管楽器の吹奏が心地よい。
パ・ド・カトルも軽快なテンポにのって演奏される。
途中のチェロで奏される旋律が印象的である。
クラコビアクはポーランドの舞曲の一つ。
愛らしいフルートと全体の踊りの旋律が絡み合い、
最後はテンポをあげて盛り上がりをみせて終わる。

幻想曲「カマリンスカヤ」はチャイコフスキーが絶賛した曲で、
ロシアの交響楽のすべての作品の源流が、
「カマリンスカヤ」にあると言わしめた曲で、
ロシア民謡を題材に使い、最後は華やかに終わる。
これを聴けば彼がロシア国民学派の祖であると、
言われることも納得できる。

ところで歌劇「皇帝に捧げし命」のそもそも原題は、
「イワン・スサーニン」であった。
スサーニンは17世紀に実在した農民で、
ロシアに侵入するポーランド軍に対して戦い、
祖国を守った国民的英雄であったようだ。
皇帝ニコライ1世はこの歌劇の上演の際に、タイトルを
「皇帝に捧げし命」にして上演するよう命じたということだ。
一農民の愛国心が皇帝の都合によって政治的に利用された。
グリンカはこんなことをどう思ったのだろうか。
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