Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ホアキン・トゥリーナのセビーリャ交響曲作品23を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-10-31 06:50:49 | 古典~現代音楽スペイン編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは1882年セビーリャ生まれの
スペインの作曲家トゥリーナの交響曲。
彼の略歴は以前管弦楽曲編で触れたのでここでは省略する。
セビーリャ交響曲作品23は、1920年に作曲された交響曲で、
同年9月11日にエンリケ・フェルディナント・アルボスの指揮、
マドリッド交響楽団の演奏でマドリッドにおいて初演されている。
第一楽章「パノラマ」の冒頭の弦楽器を中心によって奏される音楽は、
霧がかかったような情景を感じさせる印象主義的な曲である。
ゆったりとした中にスペインを感じさせ、
オーボエなどの木管楽器が奏する旋律は民族的で美しい。
弦楽器と打楽器が奏する舞踏的なリズムもいい。
第二楽章「グアダルキビル川に沿って」は、
最初に現れる甘美で哀愁を漂わせるヴァイオリン・ソロが印象的だ。
それに絡み合うオーボエ・ソロは異国情緒をも感じさせ、
ゆったりとした音楽の中、スペインの風景を感じさせる。
カスタネットの刻むリズムがスペイン的である。
第三楽章「サン・ファン・アスナルファラーチェの祭」は、
活気のある軽快な曲で、祭りのにぎやかさを感じさせる。
金管楽器が活躍し、闘牛士が登場しそうな音楽も流れる。
ロマンティックで、スペインの情景を感じさせる曲である。
最後は金管楽器を中心にブルックナー的な感じの
華やかなフィナーレで堂々と終わる。
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ムツィオ・クレメンティの交響曲第2番ニ長調と第4番ニ長調を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-10-30 05:25:32 | 古典~現代音楽イタリア編
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1752年ローマ生まれの
イタリアの作曲家クレメンティの交響曲。
彼の略歴は以前管弦楽曲編で触れたのでここでは省略する。
クレメンティの交響曲は第4番のみが、
ほぼ完全な形で残っているものの、多くは不完全で、
ピエトロ・スパダにより復元されたことで、
演奏可能となったものがほとんどである。

交響曲第2番ニ長調は、1819年から作曲を始めたようだ。
第一楽章アダージョ-アレグロは、
厳かで悲劇的な感じの序奏から始まる。
提示部に入ると、一気にハイドン風の音楽になる。
明るく軽快な主題は、展開部でダイナミックさを持ち、
展開され、再現部に入ってもその感じは続き、
堂々と華やかなコーダを経て、終わる。
第二楽章ラルゲット・カンタービレは、
弦楽器によって奏される歌謡風の主題をもとに展開する。
オーボエなど管楽器により奏されるソロの旋律が美しい。
ベートーヴェンのような劇的な部分もあるが、
基本的にはおだやかで優雅な感じの楽章である。
第三楽章メヌエット-アレグレットは、舞踏的で、
三部形式の華やかなハイドン風の楽章である。
トリオの部分の管楽器のソロが牧歌的でいい。
最後は冒頭の部分が繰り返される曲である。
第四楽章フィナーレ、プレストは、軽快な感じの主題で始まり、
展開部の短調に転じたりする主題の扱い方は、ハイドン的である。
その一方で劇的な部分はベートーヴェンを感じさせる。

交響曲第4番ニ長調は、1822年に初演されたらしい。
第一楽章のアンダンテ・ソステヌートの序奏部は、
悲劇的な感じで、ベートーヴェン的である。
主部のアレグロ・ヴィヴァーチェに入ると、
明るくおだやかな主題と流れるような主題が奏されるが、
劇的でダイナミックなところは、ベートーヴェン的である。
短い展開部では、主題は短調に転じ、悲劇性を帯びる。
再現部に入りのどかな主題の再現のあと、
音楽は金管楽器により華やかさを持ち、豪快に終わる。
第二楽章アンダンテ・カンタービレは、夢見るような
のどかな音楽で始まるが、そこにはわずかながら陰もある。
歌うような旋律は、フルートなどの楽器に受け継がれたりし、
中間部では金管楽器も加わり劇的でダイナミックな音楽になる。
優雅な中にも、劇的な部分を持たせた楽章で、
ベートーヴェンとの近さを感じさせる楽章である。
第三楽章メヌエット-アレグレット・モデラートは、
哀愁を感じさせる旋律による舞踏風の曲で、
モーツアルトやシューベルト的な部分も感じさせる。
中間部のトリオは軽快な感じでありながら、
一部は劇的で荒々しい部分も感じさせる。
ブルックナーのスケルツォ楽章さえ思わせるところがある。
第四楽章フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァーチェは、
軽快でありながら、ダイナミックさをもった楽章である。
短いフィナーレ楽章であるが、リズミックなところもあり、
最後にかけての盛り上がりも金管楽器が加わり、壮快である。
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ルイジ・ケルビーニの交響曲ニ長調を聴きながら西谷から二俣川まで歩く

2008-10-29 06:15:59 | 古典~現代音楽イタリア編
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは1760年生まれのケルビーニの交響曲。
今日からはイタリア・スペイン・ポルトガル編に入る。
ケルビーニの略歴は以前簡単に触れたので省略する。
交響曲ニ長調は、ロンドン・フィルハーモニー協会の依頼で、
1815年に作曲された唯一の交響曲である。

第一楽章ラルゴ-アレグロは、ゆったりとした序奏のあと、
アレグロの主部に入るが、それはハイドンのように軽快である。
主題は展開部で転調を繰り返しながら、再現部に戻り、
明るく華やかな中で、歌劇の序曲のような終わり方をする。
第二楽章ラルゲット・カンタービレは、静かにゆったりと始まる。
宮廷的な雰囲気の中で、管楽器のソロは優雅である。
歌劇のアリアを思わせるようで、時に情熱的にもなる。
牧歌的なところも感じさせる一方、感傷的なところもある。
第三楽章メヌエット-アレグロ・ノン・タントは、
舞曲風であり、流れるように優雅で華やかな曲である。
中間部のトリオは、短調で少し寂しさを感じさせる。
第四楽章アレグロ・アッサイは、明るく軽快に始まり、
主題をもとに劇的な展開をみせ、モーツアルト風の部分がある。
当時からすれば時代遅れの感じはあったかもしれないが、
最後はオペラ作家らしく華々しい中で終わる。
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ロベルト・ディ・ドメニカの交響曲を聴きながら横浜から和田町まで歩き、善養寺惠介さんの演奏会に行く

2008-10-28 06:59:35 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのは1927年ニューヨーク生まれの
ロベルト・ディ・ドメニカの交響曲。
シェーンベルクやベルクの弟子であったヨゼフ・シュミットに
1956年から1962年の間師事したようで、
この時期の1961年に彼が唯一残した交響曲が作曲された。
初演は1972年11月15日ニュー・イングランド音楽院の演奏会で、
ニュー・イングランド音楽院交響楽団によって、
作曲家でもあるガンサー・シューラーの指揮で行われた。
そんなことがCDの解説書には書いてある。

第一楽章レント・セリオーソ-アレグロ・アッサイは、
最初ゆったりとした旋律が弦楽器中心に現れ、
小太鼓が加わり、木管楽器もやがて加わる。
最初に出てくる主題は色々な楽器に受け継がれ、
ベルク風な音楽となっていくが、
そこで突然聴いたことのあるフレーズが登場する。
何だろうと思ってよく考えてみると、
モーツアルトの交響曲第40番ト短調K.550の中の
第四楽章の1フレーズなのである。
CDの解説書にもそのことは書かれている。
第二楽章レント・ディ・モルトの部分は、
主題をもとに変奏曲風な展開が行われていく。
弦楽器を中心とした室内楽的な部分もあり、
管楽器などにより深遠な雰囲気が作られたりもし、
その中で、絶え間ない変奏が続いていく。
第三楽章スケルツァンドで
さらに主題は、フーガ風の展開をしていく。
木管楽器の動きが、新ウィーン楽派的な感じでもある。
金管楽器・打楽器も加わり、クライマックスが築かれる。
時計のような一定の刻みを弦楽器のピチカートが行う。
その一定の刻みの中、金管楽器も加わり、
トゥッティで盛り上がり、音楽はやがて静まっていく。
最後に主題が弦楽器中心に奏され、静かに終わる。

夕方は善養寺惠介さんの演奏会を聴きに行った。
最初の調子を前奏曲とし、秋風曲を続けて演奏するアイデアは、
なるほどと思ったものであるが、調子の曲を聴いて、
以前自分がやった調子の演奏はだめなんだなあと反省、
こうやって演奏するんだなあと感じた。
次の残月は筝、三弦、尺八の楽器による演奏であったが、
手事の部分が難しい曲のようだということは分かる。
尺八で外曲をやった人であれば分かるが、
息と指がよく続くなあと思わせるのである。
休憩後の布袋軒鈴慕は尺八の独奏曲で、地味ではあるが、
尺八の様々な奏法をみることができる。
聴いていると自然の情景がみえてくるような気がする。
演奏会のあとは渋谷にあるヒガシノさんのお店、
バルキーニョに飲みに行く。
ボドコ5年もののカシャーサをロックで飲みながら、
渋谷の夜はあっという間に過ぎていく。


なお、今回とりあげた補足分の交響曲北アメリカ編の
CD等の情報は、以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/syphony-cd- america.html
でNEW!と赤字で表示されているのが該当する曲です。
参考にしていただければ幸いです。
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スティーヴン・アルバートの交響曲第1番「リヴァーラン(川走)」を聴きながら二俣川から鎌倉まで歩く

2008-10-27 06:50:52 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は二俣川から鎌倉駅まで歩きました。
緑園都市から岡津に入り、瀬谷・柏尾道路に入り、
不動坂を越えて国道一号線に合流し、
そのまま戸塚方面に向かい、柏尾川に並行する道に入り、
東海道線に並行する県道を大船駅方面に向かう。
笠間十字路に出ると左に曲がり、鎌倉女子大の先を右折し、
そのままずっと歩き、横須賀線を越えた先を左に曲がり、
しばらく歩くと左に北鎌倉駅が見える。
その後もまっすぐ進むと鶴岡八幡宮に至る。
ここまでで出発から約3時間15分が経過。
そのあと小町通りを歩きながら鎌倉駅まで歩き、
この時点で出発から約3時間30分が過ぎていた。
そのあと長谷の方に向かい、30分ほど歩くと長谷寺に至る。
長谷寺を見学してから、高徳院に向かい5分ほどで着く。
有名な大仏を見学し、また鎌倉駅に戻る。

途中聴いたのは1941年生まれのアルバートの交響曲。
ニューヨークで生まれた彼の略歴については、
声楽・合唱曲編で簡単に触れたので省略する。
交響曲第1番「リヴァーラン(川走)」は1983年に作曲された。
ロストロポーヴィチとナショナル交響楽団などに献呈されており、
1983年ピューリッツァー賞を受賞した作品である。
ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」に影響を受け、
その冒頭に出てくる「RiverRun」からタイトルを採っている。
ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を訳した
柳瀬尚紀さんの訳を用いてここでは「川走(せんそう)」としておく。
ジョイスの作品には、色々な言葉の仕掛けがあり、
原語でなければ本当の意味では分からないところがあるだろうが、
その奥深い文学の世界と同じくこの曲の意図するものは、
深いものがあるのかもしれないが、その辺りはわからない。

第一楽章「雨の音楽」は、川の源を知らせるのを意味するようで、
導入部の鋭くアクセントのある和音が示される。
悲劇的で、重苦しい音楽のあと、一旦静かになった曲は、
ピアノが加わり、川の水源を示すかのように連打する。
音楽はやがて躍動感を持ち、動き始めていくが、
どこか音楽はストラヴィンスキー風であったり、
バルトーク的であったりするところがある。
ピアノが重要な役割を果たしているようで、
オスティナート風に一定の音型を奏していき、
金管楽器や弦楽器などが加わり、うねりのある音楽となる。
最後は冒頭の和音が示される中で終わる。
第二楽章「お葉容(はよう)のおしゃべり」は、
クラリネット・ソロから始まり弦楽器へと移り、
フルート、ピアノ、ハープが幻想的な世界を描いていく。
ここでもピアノは重要な役割を演ずる。
第三楽章「河の水のそばで」は、ピアノが伴奏的な音を奏し、
金管楽器が荒々しい音楽を演奏し、室内楽的な部分も見せ、
リズミックな動きと、叙情的な流れる旋律が印象的である。
その一方で、はしゃいだような軽快な音楽もあり、
いろんな音楽の要素が混在した楽章である。
第四楽章「河の終わり」は、ホルンの吹奏から始まり、
第一楽章の中の旋律などそれまでの楽章の旋律が、
再現されていくようで、最初に戻るような感じを抱かせる。
終わりは静かに、そしてまだ謎を秘めたまま終わる感じだ。
ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」に影響されたのもわかる。
しかし、秋の夜長にと思って読んでいるジョイスの
「フィネガンズ・ウェイク」は難解な作品である。
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