Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

セルゲイ・プロコフィエフの交響曲第3番ハ短調作品44を聴きながら二俣川から五反田まで歩く

2008-09-29 07:26:17 | セルゲイ・プロコフィエフの作品
昨日は二俣川の自宅から9時47分頃出発し、五反田駅まで歩きました。
天候も涼しく、ウォーキング向きなので挑戦しました。
二俣川から出発して鶴ヶ峰までは27分、西谷駅付近は40分、
新横浜駅付近は1時間43分で通過し、
大倉山は2時間3分、綱島までは2時間19分、
日吉は2時間41分、元住吉が2時間58分でした。
ここで昼食を19分くらいとって、再び綱島街道を歩き、
中原街道に合流し、丸子橋を渡りきると3時間44分、
雪が谷大塚駅は3時間56分で、洗足池駅通過が4時間10分。
その後中原街道を五反田駅方面にひたすら歩き、
五反田駅に着いたのは家を出てから4時間59分で、
時計をみたら時刻は2時46分でした。
昼食の時間を引くと純粋に歩いた時間は、
横浜の二俣川から東京の五反田まで4時間40分ということになる。
五反田駅ではブラジル領事館の上にある
kyodaiのストアでポンデケージョの粉を買う。
そして渋谷のバーのバルキーニョでライヴを聴きに行く。

途中聴いたのは1891年生まれのプロコフィエフの交響曲。
彼についての経歴については省略する。
交響曲第3番ハ短調作品44は1928年の間に作曲された作品だ。
第1楽章モデラートは、ソナタ形式で書かれている。
激しい序奏から始まる音楽は、静かに歌われる第一主題と、
ファゴットの伴奏により弦楽器により奏される第二主題が提示され、
これらの主題をもとに展開されていくが、これら主題の素材は、
「炎の天使」というオペラの曲であることは有名である。
序奏は「レナータの絶望」、第一主題は「炎の天使マディエルへの愛」、
第二主題は「騎士ルブレヒト」であるようだ。
この楽章は随処で劇的なところがあり、
聴き方によっては交響曲らしくないところもあるが、
彼らしい斬新さをロシア的な美しさを持った作品である。
第2楽章アンダンテは、前楽章とは対照的な静かな楽章である。
三部形式による楽章の主題は「僧院の場」を材料に使っているらしい。
神秘的な美しさを持った曲で、ヴァイオリンのソロが印象的である。
第3楽章アレグロ・アジタートは、スケルツォ楽章で、
前半は人のざわめきの声を感じさせるような悪魔風の奇妙な感じの音楽で、
中間部は対照的にゆるやかで夢の中のような美しい音楽である。
最後は前半部の主題が再現され、打楽器や管楽器が加わり、
激しく荒れたような音楽になり、解決できない感じで終わる。
第4楽章アンダンテ・モッソは、自由なソナタ形式による。
第二幕第二場の悪魔の音楽を使用しているようで、
やはり激しく荒々しい音楽が展開されていく。
最後の終わり方は悲劇的な感じを残し、
解決されることなく短調で終わるところが彼らしく斬新である。
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セルゲイ・プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番変ロ長調作品83を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-08-13 05:10:30 | セルゲイ・プロコフィエフの作品
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1891年生まれのプロコフィエフの作品。
プロコフィエフは、いまさら説明の必要はないが、
1939年から1942年の間で作曲された作品、
ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調作品83は、
第二次世界大戦中勃発前から大戦中中に書かれたため、
前後の第6番、第8番とあわせて「戦争ソナタ」と称される。
ピアニストとしての実力もあった彼が書いたこれら三部作は、
演奏技術面からも、内容的な部分でも、充実した作品となっている。
初演者はリヒテルであるが、今回はアシュケナージの演奏で聴いた。

第一楽章アレグロ・インクィエートは、ソナタ形式で書かれ、
戦争中の不安さをかきたてるような音楽で始まる。
無調的で叩きつけるような荒々しい第一主題と、
物思いにふけるような第二主題を中心に音楽は展開される。
行進曲的な部分は軍隊的な響きにも思えるし、
音楽はある時は悪魔的で、戦争の悲惨さを感じさせる。
第二楽章アンダンテ・カロローソは、ゆったりとした曲で、
シューベルト風の歌うような旋律が、
平和への希求を示しているようでもある。
束の間の平安ともいうべき平和を祈るような音楽は、
前後の楽章とは対照的である。
第三楽章プレチピタートは、トッカータ風で、
軽快でリズミックな音楽であり、プロコフィエフらしい。
無調的な旋律を奏でながら邁進していく音楽は、
激しさを増しながらクライマックスを迎え、
興奮のうちに短い楽章を終える。
彼らしさが十分に発揮された作品である。
それにしてもここで聴くことのできるアシュケナージの演奏はいい。
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プロコフィエフのカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」を聴きながら鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2008-03-13 06:33:47 | セルゲイ・プロコフィエフの作品
昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで歩きました。
イタリア・スペイン・ポルトガル編は終わりにして、
今回からはロシア編に入りたいと思う。
途中聴いたのは、「アレクサンドル・ネフスキー」である。
プロコフィエフがもともと映画音楽として作曲された作品を、
1939年にカンタータとして完成させたものである。
この曲を知ったのは高校時代であり、
トーマス・シッパーズが指揮するレコードを買って、
何度も聴いてからで、今回も彼の指揮するCDを聴いた。
トーマス・シッパーズの演奏は軽快であり、
プロコフィエフの演奏はなかなかいい。

アレクサンドル・ネフスキーは、
ノヴゴロド公として実在の歴史上の人物である。
ロシアに侵入しようとするスウェーデン人などに対して戦い、
氷上の戦いではドイツ人を中心とした軍に対して戦い、
勝利したことから英雄視されている。
もちろん、これらのことは歴史的には、
誇張されている部分もあるであろう。
それにモンゴルに対する彼の対応を考えると、
愛国的というよりは、現実的である。
しかし、そんなことを言っていると、
この作品がつまらなくなってしまうだろう。
でも、愛国的な部分が当時のソ連にとっても
きっと必要であったのかもしれない。
個人的に好きなのは氷上の戦いの場面である。
でもその次の曲で、メゾ・ソプラノ独唱の
死の荒野という作品もいい曲である。
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プロコフィエフの「アラとロリー」でストレス発散!

2007-06-16 10:37:41 | セルゲイ・プロコフィエフの作品
つい最近の職場の会話から
「いやぁ、ストレスがたまるよなぁ」
「えっ、おおくぼっちに、あるわけないでしょう!」
「何を言ってるんですか、ありますよ」
「いや、ない、ない」

何で私にストレスがないといいきれるのか?
ストレスがないのではなくて、
ストレスを発散しているのに。
クラシック音楽を聴いたりするのはその一つ。

世の中には周りから正しく理解されない不幸な人がいる。
熱があっても具合が悪いことを表現できず、
なぜか、元気そうに振舞ってしまう人、
つらいことがあっても、なぜか明るく振舞ってしまう人、
そんな人は本当の自分を理解してほしいのに、
そうは周りが思ってくれないものだ。

その一方で、「いやぁ、僕には能力ないから」と言い、
仕事を他人に押し付ける人をみると、
世の中うまくできていないなと思ってしまう。

仕事のストレスを音楽で発散したい時には、
やはり、元気の出るハチャメチャな音楽がいい。
今日からフランスからロシアの管弦楽曲にテーマを移す。
ソフトバンクの携帯電話のCMで使われたプロコフィエフ、
そこではバレエ組曲「ロミオとジュリエット」が流れていたが、
昨日は横浜駅からの帰り道で「アラとロリー」を聴いたので、
ここではそれを(スキタイ組曲ともいうが)紹介しよう。

スラヴの伝説を台本としたこの作品のあらすじは、
スキタイ人の崇拝する太陽神ヴェレスの娘アラを、
暗黒の邪教神チェジボーグが手に入れようとするが、
英雄ロリーがチェジボーグと戦い、その活躍によって
アラが救われ、愛し合う二人は結ばれるというものだ。

第一曲の「ヴェレスとアラの崇拝」は、
エネルギッシュな主題が最初から現れ、
いかにもプロコフィエフらしい音楽である。
中間部のフルートが短い音型を繰り返して始まる部分は、
神秘的で、原始的な感じを思わせなかなかいい。

第二曲の「邪教の神、そして悪の精の踊り」は、
チェジボーグと地下から呼び出した悪霊たちによる踊りで、
最初のダイナミックな主題が邪悪な感じがでている。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」の中の、
「カスチェイの凶悪な踊り」を思わせるような曲である。
もちろん、プロコフィエフのストラヴィンスキーからの影響は、
この作品において随所にみることができる。

第三曲の「夜」はチェレスタ、ハープと弦によって、
夜の怪しげな雰囲気が作りだされる。
チェジボーグと地下から呼び出した悪霊たちは、
この暗闇の中でアラを連れ去れるために襲いにやってくるが、
月の女神の力により、アラは危機を乗り切る。

第四曲の「ロリーの輝かしい出発と日の出」は、
やはり、プロコフィエフらしい音楽で、
次第に音楽は壮麗さを増して終わる。

プロコフィエフにとっては最初の2曲については
そのオーケストレーションは簡単だったようで、
あとの2曲のオーケストレーションに苦労したようである。
確かに楽器の使い方に、凝ったような感じを受け、
試行錯誤を繰り返したと思えるところもあるが、
逆に前の2曲に比べるとインパクトが弱く、
両者にはっきりとした違いを感じることができるが、
しかし、私は第二曲が好きで、それでストレス発散だ。
ええいっ、もう一回第二曲を聴いちゃえと思っているうちに
ゴール地点の星川駅が見えてきた。

なお、フランスの管弦楽曲編でとりあげたCDは、
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
に載っていますので参考にしてください。
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