昨日は二俣川から三ツ境まで往復して歩きました。
途中聴いたのはマルティヌーの作品で、
1912年に作曲された「ニッポナリ~日本の和歌による歌曲集」H.68である。
聴いたCDは、ダグマル・ペツコヴァーのソプラノ 、
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮、プラハ交響楽団による演奏のもの。
小野小町や静御前、大津皇子などの和歌をドイツ語に訳したものを
チェコの詩人イリ・カラーセクがチェコ語にしたようだ。
歌曲は7つからなるが、タイトルはドイツ語のタイトルを参考にした。
第一曲「青の時間」(アンダンテ)は、ハープと弦楽器の前奏に続き、
ソプラノが歌う幻想的な歌で、ドビュッシーを思わせるような曲である。
第二曲「老年」(アンダンテ)は、ハープとヴァイオリンによる前奏で、
悲しげな感じがとてもよく、これにソプラノの歌が入る。
叙情的で美しくはかない感じがし、味わいのある作品である。
第三曲「思い出」(アンダンティーノ)は、ハープの伴奏に乗って、
プルートが旋律を奏で、やがてソプラノがその叙情的な旋律を歌っていく。
桜の時期が過ぎても、その香りが服の袖に残っているのを歌っている。
第四曲「夢のような人生」(アンダンティーノ)は、
弦楽器のみによる穏やかな感じの前奏に続き、
ソプラノが叙情的な旋律を歌っていく。
第五曲「雪の上の足跡」(モデラート)は、静御前の歌った和歌で、
「吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき」がこれにあたる。
明るい感じの前奏に続き、ソプラノが歌う旋律は幻想的でもある。
ドビュッシーの室内楽曲を聴いているかの感じでもある。
ハープも活躍し、弦楽器とともに歌を支えながら、最後は力強く終わる。
第六曲「見返り」(ラルゴ・レリジオーソ)は、
弦楽器と木管楽器による神秘的な感じの前奏が続く。
印象派風の作風を見せるなか、ソプラノが歌い始める。
変化していく音楽の動きがなかなか楽しい。
第七曲「磐余(いわれ)池のほとりで」(グラーヴェ)は、
「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」という、
大津皇子の歌った万葉集の和歌をもとにしている。
ハープの音と弦楽器、木管楽器の幻想的な音に導かれ、
ソプラノが歌いだし、幻想的で情熱的な音楽が展開される。
最後は解決されないような暗い感じで終わる。
途中聴いたのはマルティヌーの作品で、
1912年に作曲された「ニッポナリ~日本の和歌による歌曲集」H.68である。
聴いたCDは、ダグマル・ペツコヴァーのソプラノ 、
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮、プラハ交響楽団による演奏のもの。
小野小町や静御前、大津皇子などの和歌をドイツ語に訳したものを
チェコの詩人イリ・カラーセクがチェコ語にしたようだ。
歌曲は7つからなるが、タイトルはドイツ語のタイトルを参考にした。
第一曲「青の時間」(アンダンテ)は、ハープと弦楽器の前奏に続き、
ソプラノが歌う幻想的な歌で、ドビュッシーを思わせるような曲である。
第二曲「老年」(アンダンテ)は、ハープとヴァイオリンによる前奏で、
悲しげな感じがとてもよく、これにソプラノの歌が入る。
叙情的で美しくはかない感じがし、味わいのある作品である。
第三曲「思い出」(アンダンティーノ)は、ハープの伴奏に乗って、
プルートが旋律を奏で、やがてソプラノがその叙情的な旋律を歌っていく。
桜の時期が過ぎても、その香りが服の袖に残っているのを歌っている。
第四曲「夢のような人生」(アンダンティーノ)は、
弦楽器のみによる穏やかな感じの前奏に続き、
ソプラノが叙情的な旋律を歌っていく。
第五曲「雪の上の足跡」(モデラート)は、静御前の歌った和歌で、
「吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき」がこれにあたる。
明るい感じの前奏に続き、ソプラノが歌う旋律は幻想的でもある。
ドビュッシーの室内楽曲を聴いているかの感じでもある。
ハープも活躍し、弦楽器とともに歌を支えながら、最後は力強く終わる。
第六曲「見返り」(ラルゴ・レリジオーソ)は、
弦楽器と木管楽器による神秘的な感じの前奏が続く。
印象派風の作風を見せるなか、ソプラノが歌い始める。
変化していく音楽の動きがなかなか楽しい。
第七曲「磐余(いわれ)池のほとりで」(グラーヴェ)は、
「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」という、
大津皇子の歌った万葉集の和歌をもとにしている。
ハープの音と弦楽器、木管楽器の幻想的な音に導かれ、
ソプラノが歌いだし、幻想的で情熱的な音楽が展開される。
最後は解決されないような暗い感じで終わる。