<弁当が夕食の宿>
突然、旅先の宿で食べた「弁当箱」のような夕食を懐かしく思いだしてしまった。
(あれは、どこだったか・・・。たしか、ヘンな名前の温泉だったな)
記憶をたよりに地図にしばらく見入った。
ここだ、と指で押さえた場所は、和気(わけ)鵜飼谷(うがいだに)温泉だった。
鵜飼谷温泉の由来だが、この地は古くは鮎漁に使う鵜を飼育していた。谷から注ぎ出る水は、鵜の怪我や病気をたちどころに治し、老若男女の健康水として重宝していた。
平成五年に発見した温泉は、岡山県では珍しく四十度の高温で、湯量は一日百五十トンのアルカリ性単純温泉である。
イオン分を含み、美容や神経痛・関節痛・筋肉痛などに効能がある。
旅は不思議なものである。
旅の目的地の遠さで「距離感」がガラリと変わる。
たとえば車で横浜から北海道の旭川などへ長距離旅をすると、帰りのフェリーで大間とか青森に着くなり、もう横浜もそんなに遠くないな、と感じてしまう。
だから、三沢で一泊して、朝出発八百キロくらいを走って夕方ころには元気に横浜まで辿りつけるのだ。
九州へ行くときは、横浜を出発して、一刻も早く着きたい一心からほぼ徹夜で走り通し、いつも第一泊目が九州の大分県か福岡県になってしまう。根性と元気一杯なのだ。走行距離は千百キロから千二百キロくらいか。
さすがに帰りは違う。
根性の残量はまだまだあるが元気がいまひとつなので、本州に戻ってからたいがい中国か近畿地方で一泊する。
この九州旅のときは、熊本の平山温泉から約五百四十キロのところの、岡山の和気に泊まった。和気からは約六百キロちょいで横浜だ。三沢から帰るよりは距離だけについていえばずっと近い。
さて、九州の宿は当たりはずれが少なく、どこに泊まっても、まず満足できる施設が多い。夕食もレベルが高く、呑むと少食になってしまうわたしでさえも九州の宿ではかなりの量を食べてしまうほどだ。
九州を脱出したら軽い夕食ですませたい。
松花堂弁当ならぬ「清麻呂弁当」という名の夕食は、わたしにとって望むところのものであったのだ。
弁当に冠した「清麻呂」は、和気清麻呂からきている。和気は奈良、平安時代に活躍した和気清麻呂を輩出した地域で、隣接する磐梨郡とともに豪族和気氏の勢力下にあった。ちなみに和気神社(わけじんじゃ)は、和気氏発祥の地である岡山県和気郡和気町と、配流先の鹿児島県の霧島にある。
霧島のほうは、車で通ったときに横目でみた記憶がたしかにあった。
コンパクトに配置された料理は、量もベストで、夕食の彩りもそれなりにあった。
九州旅でだいぶ財布が軽くなったが、まだガソリン代を心配しなければならない。このシンプルな夕食だから宿賃が安いのがなにより助かったのである。
弁当が夕食・・・こういう宿もありだと思う。
→「続・平山温泉(1)」の記事はこちら
→「続・平山温泉(2)」の記事はこちら
突然、旅先の宿で食べた「弁当箱」のような夕食を懐かしく思いだしてしまった。
(あれは、どこだったか・・・。たしか、ヘンな名前の温泉だったな)
記憶をたよりに地図にしばらく見入った。
ここだ、と指で押さえた場所は、和気(わけ)鵜飼谷(うがいだに)温泉だった。
鵜飼谷温泉の由来だが、この地は古くは鮎漁に使う鵜を飼育していた。谷から注ぎ出る水は、鵜の怪我や病気をたちどころに治し、老若男女の健康水として重宝していた。
平成五年に発見した温泉は、岡山県では珍しく四十度の高温で、湯量は一日百五十トンのアルカリ性単純温泉である。
イオン分を含み、美容や神経痛・関節痛・筋肉痛などに効能がある。
旅は不思議なものである。
旅の目的地の遠さで「距離感」がガラリと変わる。
たとえば車で横浜から北海道の旭川などへ長距離旅をすると、帰りのフェリーで大間とか青森に着くなり、もう横浜もそんなに遠くないな、と感じてしまう。
だから、三沢で一泊して、朝出発八百キロくらいを走って夕方ころには元気に横浜まで辿りつけるのだ。
九州へ行くときは、横浜を出発して、一刻も早く着きたい一心からほぼ徹夜で走り通し、いつも第一泊目が九州の大分県か福岡県になってしまう。根性と元気一杯なのだ。走行距離は千百キロから千二百キロくらいか。
さすがに帰りは違う。
根性の残量はまだまだあるが元気がいまひとつなので、本州に戻ってからたいがい中国か近畿地方で一泊する。
この九州旅のときは、熊本の平山温泉から約五百四十キロのところの、岡山の和気に泊まった。和気からは約六百キロちょいで横浜だ。三沢から帰るよりは距離だけについていえばずっと近い。
さて、九州の宿は当たりはずれが少なく、どこに泊まっても、まず満足できる施設が多い。夕食もレベルが高く、呑むと少食になってしまうわたしでさえも九州の宿ではかなりの量を食べてしまうほどだ。
九州を脱出したら軽い夕食ですませたい。
松花堂弁当ならぬ「清麻呂弁当」という名の夕食は、わたしにとって望むところのものであったのだ。
弁当に冠した「清麻呂」は、和気清麻呂からきている。和気は奈良、平安時代に活躍した和気清麻呂を輩出した地域で、隣接する磐梨郡とともに豪族和気氏の勢力下にあった。ちなみに和気神社(わけじんじゃ)は、和気氏発祥の地である岡山県和気郡和気町と、配流先の鹿児島県の霧島にある。
霧島のほうは、車で通ったときに横目でみた記憶がたしかにあった。
コンパクトに配置された料理は、量もベストで、夕食の彩りもそれなりにあった。
九州旅でだいぶ財布が軽くなったが、まだガソリン代を心配しなければならない。このシンプルな夕食だから宿賃が安いのがなにより助かったのである。
弁当が夕食・・・こういう宿もありだと思う。
→「続・平山温泉(1)」の記事はこちら
→「続・平山温泉(2)」の記事はこちら
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