<岡山・奉還町、たこ焼きのたこ福>
(ほっほォー、焼きあがりの色味も絶妙、こりゃあなかなか旨そうだな)
ふわふわの鰹節や青海苔が上に載っておらず、適量の紅生姜が鎮座しているのもバッチリ好みだ。
たこ焼きとかの粉モンは、粉の量を少なめにして、混ぜるのは水の代わりに多めの濃い目のだし汁を使ったほうが美味しい。けれども粉が少ないため、具材の青葱、揚げ玉、蛸(茹で)などを投入したら、火加減は一気の強火、この焼くのがかなり難しい。腕がいるのだ。
箸で一個つまみ、口に入れる。案の定、思い切り熱々だ。頬がゆるむ。ソースが飲兵衛には ちょっと甘めだが、肝心のたこ焼きは上モノで、すこぶる美味しい。そりゃあそうで、いつも安定した味を維持しなければ創業七十年も続かない。ソースがちょい甘いのも、客が老若男女の広範囲に渡っているせいかもしれない。
たこ焼きのメニューは6個、12個、15個とあったので、最低の6個とハイボールを注文した。餃子も(焼き鳥も)そうだが、四個とかハーフの個数とか最低数がメニューにもしもあると迷わずそれを頼む。ちょっとの時間の経過でぬるくなるのを極端に嫌う性格(面倒くせぇーヤツ)なのだ。ある意味、店泣かせの客ともいえる。
前の卓の先客は、15個にビールでわたしに比べれば上客の部類だ。もしかしたら子どものころからの常連客かもしれない。
有名な桃太郎像のある岡山駅後楽園口(東口)の反対側、西口から400メートル、徒歩で5、6分の便利のいいところにある奉還町商店街。
なんでも、奉還町商店街は廃藩置県で失職した池田藩の武士たちが、奉還金(退職金みたいなもの)を手に次々と移住して商売を始めたのが始まりだそうだ。昭和20年代、30年代はこの商店街の黄金期だったという。郊外型大型店舗進出で厳しい環境だが、庶民によりそい、人情たっぷり、下町情緒の魅力で頑張っている。
商店街はどうやら日曜はほとんど休業らしく、開いている店は数軒ほどだった。脇道に灯るはずの赤提灯もどうやらまだ少し時間が早いようである。
そんな商店街にある昭和28年創業の老舗「たこ福」は、席数6席(カウンター4席、テーブル2席)と小じんまりした店だが、いわゆるテイクアウト客が圧倒的に多いのだろう。
「あれっ! 灰皿あるの?」
カウンターの隅に、目ざとく小さい灰皿が積みあげているのに気づいた。
「外の席でしたら喫煙できますが・・・」
それ早く言ってよォ~、と思わず心の中で毒づくが、なあに今からでもかまわぬ。嬉しい。
「では外で、冷酒とたこやき6個」
あ、いけないソース少なめって言い忘れた。たこ焼きの皿を受取ってから気がつく。
ハイボールは安酒場での経験から、どうしても甘さを感じてしまう。追加注文した切れのいい、岡山の地酒「きびの吟風 蔵搾り生」のほうが、たこ焼きには俄然合うように思う。
大正のころに関西において、窪みを付けた鉄板に材料を流し込んで焼く「ちょぼ焼き」と、昭和の始めには、平らではなく丸い形に整えてコンニャク、紅ショウガ、すじ肉を入れてしょう油味で丸い形に焼いた「ラジオ焼き」と進化し、続くようにタコを具材として使用する「明石焼き」の三つの要素が集まったのが現在の「たこ焼き」といわれている。
明石の魚の棚(うおんたな)で、こいつは旨いと思わせてくれる明石焼きに出逢うことができた。
同じように、ぜひとも旨いたこ焼きを食べたい、と長い間ずっと思っていた。人知れずに。聖地である大阪で探したいが、コロナ禍の今はなんとも難しい。
さあて、さらにもうひと皿はやめて、この辺で満足してそろそろさっき開いてたパン屋を覗いてから脇道の赤提灯でも探そう。手ごろな喫煙できる居酒屋で、冷たい刺身で熱燗でもいきたいもんだ。
→「魚の棚で、明石焼き(1)」の記事はこちら
→「魚の棚で、明石焼き(2)」の記事はこちら
(ほっほォー、焼きあがりの色味も絶妙、こりゃあなかなか旨そうだな)
ふわふわの鰹節や青海苔が上に載っておらず、適量の紅生姜が鎮座しているのもバッチリ好みだ。
たこ焼きとかの粉モンは、粉の量を少なめにして、混ぜるのは水の代わりに多めの濃い目のだし汁を使ったほうが美味しい。けれども粉が少ないため、具材の青葱、揚げ玉、蛸(茹で)などを投入したら、火加減は一気の強火、この焼くのがかなり難しい。腕がいるのだ。
箸で一個つまみ、口に入れる。案の定、思い切り熱々だ。頬がゆるむ。ソースが飲兵衛には ちょっと甘めだが、肝心のたこ焼きは上モノで、すこぶる美味しい。そりゃあそうで、いつも安定した味を維持しなければ創業七十年も続かない。ソースがちょい甘いのも、客が老若男女の広範囲に渡っているせいかもしれない。
たこ焼きのメニューは6個、12個、15個とあったので、最低の6個とハイボールを注文した。餃子も(焼き鳥も)そうだが、四個とかハーフの個数とか最低数がメニューにもしもあると迷わずそれを頼む。ちょっとの時間の経過でぬるくなるのを極端に嫌う性格(面倒くせぇーヤツ)なのだ。ある意味、店泣かせの客ともいえる。
前の卓の先客は、15個にビールでわたしに比べれば上客の部類だ。もしかしたら子どものころからの常連客かもしれない。
有名な桃太郎像のある岡山駅後楽園口(東口)の反対側、西口から400メートル、徒歩で5、6分の便利のいいところにある奉還町商店街。
なんでも、奉還町商店街は廃藩置県で失職した池田藩の武士たちが、奉還金(退職金みたいなもの)を手に次々と移住して商売を始めたのが始まりだそうだ。昭和20年代、30年代はこの商店街の黄金期だったという。郊外型大型店舗進出で厳しい環境だが、庶民によりそい、人情たっぷり、下町情緒の魅力で頑張っている。
商店街はどうやら日曜はほとんど休業らしく、開いている店は数軒ほどだった。脇道に灯るはずの赤提灯もどうやらまだ少し時間が早いようである。
そんな商店街にある昭和28年創業の老舗「たこ福」は、席数6席(カウンター4席、テーブル2席)と小じんまりした店だが、いわゆるテイクアウト客が圧倒的に多いのだろう。
「あれっ! 灰皿あるの?」
カウンターの隅に、目ざとく小さい灰皿が積みあげているのに気づいた。
「外の席でしたら喫煙できますが・・・」
それ早く言ってよォ~、と思わず心の中で毒づくが、なあに今からでもかまわぬ。嬉しい。
「では外で、冷酒とたこやき6個」
あ、いけないソース少なめって言い忘れた。たこ焼きの皿を受取ってから気がつく。
ハイボールは安酒場での経験から、どうしても甘さを感じてしまう。追加注文した切れのいい、岡山の地酒「きびの吟風 蔵搾り生」のほうが、たこ焼きには俄然合うように思う。
大正のころに関西において、窪みを付けた鉄板に材料を流し込んで焼く「ちょぼ焼き」と、昭和の始めには、平らではなく丸い形に整えてコンニャク、紅ショウガ、すじ肉を入れてしょう油味で丸い形に焼いた「ラジオ焼き」と進化し、続くようにタコを具材として使用する「明石焼き」の三つの要素が集まったのが現在の「たこ焼き」といわれている。
明石の魚の棚(うおんたな)で、こいつは旨いと思わせてくれる明石焼きに出逢うことができた。
同じように、ぜひとも旨いたこ焼きを食べたい、と長い間ずっと思っていた。人知れずに。聖地である大阪で探したいが、コロナ禍の今はなんとも難しい。
さあて、さらにもうひと皿はやめて、この辺で満足してそろそろさっき開いてたパン屋を覗いてから脇道の赤提灯でも探そう。手ごろな喫煙できる居酒屋で、冷たい刺身で熱燗でもいきたいもんだ。
→「魚の棚で、明石焼き(1)」の記事はこちら
→「魚の棚で、明石焼き(2)」の記事はこちら
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