<郡上踊り>
その土地に旅してみたいと、強烈に思うことがある。
わたしの場合、読んだ本の舞台となっている土地の描写に触発されたりすることもあるが、テレビや映画、雑誌、ポスターなど、画像からのことが多い。
ただし、行きたいと思ってもすぐにはいかない。
たっぷりの時間、寝かせて熟成させるのである。軽い熱程度の行きたい気持ちであれば忘れてしまう。だいたい熟成の途中で忘れたりするようなものは、けっきょくその程度のものだ。この段階を経ると本当に行きたいところだけが残るのである。
わたしはとにかく執念深い。
これは悪い意味ではけっしてなく、何年でもかけてもそこに行くのだ。
たとえば、1986年に放送したテレビドラマ「ライスカレー」で舞台になった、カナダのバンフにある湖に面したお城のようなホテルは、いまだに忘れていない。大の飛行機嫌いではあるが、必ず行きたいといまだに思っている。(そのころは飛行機はへいちゃらだったのだ)
郡上八幡も同じだ。
郡上八幡に行ってみたい、郡上踊りを踊ってみたいという気持ちも相当に長い間ずっと思い続けていたものだ。
これも郡上八幡が舞台となったテレビドラマをみていて思ったのだった。
古い話で、題名も荒筋も主人公もなにも覚えていないが、新橋から子どもたちが次々と川に飛び降りるシーンと、郡上踊りのシーンは覚えているのである。
(オレもいつか徹夜踊りを踊ってみたい・・・)
と思った当時はパワフルな中高生のころだろうから、いまから「うん十年」前だろう。
それから訪れること二度目、徹夜踊りなど無理な体力となってしまったが、今夜ようやく踊れるのだ。
けいちゃん定食を食べて、通りにでるとまだ明るい。
今日の郡上踊り会場は郡上八幡旧庁舎記念館前の広場である。踊りが始まるまでまだすこし時間があるので喫茶店にはいった。
メニューを見てみると、ちょっと変わっている。珈琲の種類にかわさき、まつざか、ちよ、と書いてあるのだ。
「あの・・・この『かわさき』とか『まつざか』ってなんですか?」
「郡上踊りの囃子の種目でして、かわさきが普通のブレンドで、まつざかが深煎りになっています」
「なるほど、ではかわさきで」
ちよは、山内一豊の妻「ちよ」の生まれた土地であることからだなと察せられる。
通りを歩く下駄の音が増えてきたので、支払いをすませて外に出ると夜の帳がすっかり降りている。気温も驚くほどさがって、快適である。
会場のほうから威勢のいい音楽が聞こえていて、思わず足を速めた。
お囃子を演奏する大きな屋形の周りで、たくさんのひとが下駄を鳴らして踊っている。
「おぉ~、郡上踊りだ!」
万感の思いで、つぶやいてしまう。
いったいどこから湧いてきたのか、と思うほどの人出である。
踊っているひとのほうが圧倒的に多く、観ているひとの割合がすくない。
とりあえず博打用語でいう「見(ケン)」の態勢にはいった。決め打ちしたひとの踊りをじっとみて、それに合わせてかすかに身体を動かす。
二曲ほど真剣に取り組む。
(助さん、格さん、もういいでしょう)
そう、呟いて踊りの輪に加わった。
踊りながら、周りを観察して微修正を繰り返す。
江戸時代から続く盆踊りである。楽しい。よーし、もう一曲踊れば完璧に体得できそうだ。
ところが、次の曲が始まると曲調がまったく違って踊りも変わってしまって、また観客に戻らざるをえなくなってしまった。
あとでわかったのだが、お囃子の郡上節は「かわさき」、「春駒」、「三百」、「ヤッチク」、「古調かわさき」、「げんげんばら」、「猫の子」、「さわぎ」、「甚句」、「まつざか」と十曲あり、それによって踊りが違うそうである。
さすが、深い。
また必ず挑戦するぞと秘かに誓うわたしであった。
→「けいちゃん」の記事はこちら
→「水の町」の記事はこちら
その土地に旅してみたいと、強烈に思うことがある。
わたしの場合、読んだ本の舞台となっている土地の描写に触発されたりすることもあるが、テレビや映画、雑誌、ポスターなど、画像からのことが多い。
ただし、行きたいと思ってもすぐにはいかない。
たっぷりの時間、寝かせて熟成させるのである。軽い熱程度の行きたい気持ちであれば忘れてしまう。だいたい熟成の途中で忘れたりするようなものは、けっきょくその程度のものだ。この段階を経ると本当に行きたいところだけが残るのである。
わたしはとにかく執念深い。
これは悪い意味ではけっしてなく、何年でもかけてもそこに行くのだ。
たとえば、1986年に放送したテレビドラマ「ライスカレー」で舞台になった、カナダのバンフにある湖に面したお城のようなホテルは、いまだに忘れていない。大の飛行機嫌いではあるが、必ず行きたいといまだに思っている。(そのころは飛行機はへいちゃらだったのだ)
郡上八幡も同じだ。
郡上八幡に行ってみたい、郡上踊りを踊ってみたいという気持ちも相当に長い間ずっと思い続けていたものだ。
これも郡上八幡が舞台となったテレビドラマをみていて思ったのだった。
古い話で、題名も荒筋も主人公もなにも覚えていないが、新橋から子どもたちが次々と川に飛び降りるシーンと、郡上踊りのシーンは覚えているのである。
(オレもいつか徹夜踊りを踊ってみたい・・・)
と思った当時はパワフルな中高生のころだろうから、いまから「うん十年」前だろう。
それから訪れること二度目、徹夜踊りなど無理な体力となってしまったが、今夜ようやく踊れるのだ。
けいちゃん定食を食べて、通りにでるとまだ明るい。
今日の郡上踊り会場は郡上八幡旧庁舎記念館前の広場である。踊りが始まるまでまだすこし時間があるので喫茶店にはいった。
メニューを見てみると、ちょっと変わっている。珈琲の種類にかわさき、まつざか、ちよ、と書いてあるのだ。
「あの・・・この『かわさき』とか『まつざか』ってなんですか?」
「郡上踊りの囃子の種目でして、かわさきが普通のブレンドで、まつざかが深煎りになっています」
「なるほど、ではかわさきで」
ちよは、山内一豊の妻「ちよ」の生まれた土地であることからだなと察せられる。
通りを歩く下駄の音が増えてきたので、支払いをすませて外に出ると夜の帳がすっかり降りている。気温も驚くほどさがって、快適である。
会場のほうから威勢のいい音楽が聞こえていて、思わず足を速めた。
お囃子を演奏する大きな屋形の周りで、たくさんのひとが下駄を鳴らして踊っている。
「おぉ~、郡上踊りだ!」
万感の思いで、つぶやいてしまう。
いったいどこから湧いてきたのか、と思うほどの人出である。
踊っているひとのほうが圧倒的に多く、観ているひとの割合がすくない。
とりあえず博打用語でいう「見(ケン)」の態勢にはいった。決め打ちしたひとの踊りをじっとみて、それに合わせてかすかに身体を動かす。
二曲ほど真剣に取り組む。
(助さん、格さん、もういいでしょう)
そう、呟いて踊りの輪に加わった。
踊りながら、周りを観察して微修正を繰り返す。
江戸時代から続く盆踊りである。楽しい。よーし、もう一曲踊れば完璧に体得できそうだ。
ところが、次の曲が始まると曲調がまったく違って踊りも変わってしまって、また観客に戻らざるをえなくなってしまった。
あとでわかったのだが、お囃子の郡上節は「かわさき」、「春駒」、「三百」、「ヤッチク」、「古調かわさき」、「げんげんばら」、「猫の子」、「さわぎ」、「甚句」、「まつざか」と十曲あり、それによって踊りが違うそうである。
さすが、深い。
また必ず挑戦するぞと秘かに誓うわたしであった。
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