温泉クンの旅日記

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寸又峡温泉(2)

2013-11-17 | 温泉エッセイ
  <寸又峡温泉(2)>

 あっ、ここだ。慌ててブレーキを踏んだ。



 本日の宿は、寸又峡温泉の一番入り口のすぐ近くにあった。
 掛けられた宿の年季の入った暖簾が誠に風格を醸し出している。



 玄関からなかに一歩入ると、静謐で重厚なロビーが迎えてくれる。



 わたしに用意された部屋は本館裏に建てられた新館で、意外にもとてもモダンな作りであった。





 着替えると、まずはなにを置いても温泉である。
 掛け湯をして、内湯に身を沈める。



 身体が温まったところで、露天風呂へ。美肌効果の高い、いい匂いの硫黄泉は「美女づくりの湯」といわれている。



 寸又峡温泉は昭和三十七年(1962年)に源泉開発され温泉街が生まれたそうだから、温泉地として歴史はとても浅い。
 しかし開湯の六年後に、その名が一躍全国に知られることになる。
 あれは四十五年前だから、いまからもう半世紀近く前のことになる・・・。

 昭和四十三年(1968年)二月二十日、俗に「金嬉老(きんきろう)事件」と呼ばれる大事件が発生した。
 静岡県清水市の繁華街で、手形がらみの借金で暴力団から返済を求められた金が、ライフルを乱射して暴力団員二名を射殺、翌日には、寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で経営者と宿泊客十三人を人質として籠城したのである。
 その逮捕までに至る八十八時間にわたった籠城は連日テレビのニュースや、ワイドショーで克明に実況中継され、「寸又峡温泉」の名が全国に周知されることになったのだ。

 ところで、寸又峡温泉から帰って数日後、偶然に観たテレビの二時間ドラマの舞台に千頭駅やらこの宿が出てきて吃驚してしまった。
 ドラマのなかで、この男湯の露天風呂が混浴という設定だったのが面白い。
 演出である。実際には男女別の内湯と露天風呂があり、時間制で男女が入れ替わる。女性のほうの露天風呂がすこし画像的には狭かったせいかもしれない。



 食事は二食とも一階の食事処でわたしは食べたのだが、ドラマのなかでは別の食事処でかなり豪華なものを食べていた。



 わたしのほうといえば、夕食に地酒をたっぷり呑んだことは忘れてはいないが、食べたものはなかなか思いだせない。たぶん、安いプランなので山の温泉にありがちな料理だったのだろう。



 それでも、山間の静かな温泉だけにゆっくりと流れる時間を満喫できた。

 寸又峡は紅葉の美しい十一月に観光客が一番多い。だが年間の観光客数は平成十九年をピークに毎年減少しているという。
 どうしようもなく狭い道路の長い連続が、リピーターを減らす原因のひとつになっているとわたしは確信している。
 道路事情が改善されたなら、そのときは喜んで訪れてみたい。


  →「寸又峡温泉(1)」の記事はこちら

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