<読んだ本 2012年11月>
大人になると、葬式とか別離とかよほど悲しいことを別にすれば、転ぶとか殴られるとかもまずあまりないので涙を流すことが少なくなる。
ましてや、なにかに感動したりして泣く、なんてことはもっと少ない。
砂町銀座に出かけてぶらついたとき、ついでに船堀でやっている映画祭にいってきた。
二日間の映画祭で上映されるのは「わが母の記」、「喜劇急行列車」、「ピンポン」、「ロボット」など十五作品ほど。
その昔に感動した名画が七百円で観られる。
前売りなら五百円だが、あまり混むようなら帰ってくるつもりなので当日券にした。
映写会場は小ホールで二百五十人くらいの収容で、百八十番台の切符なので買って会場に向かった。
選んだ映画は「ひまわり」で、今年も夏にDVDで観たばかりだが大きなスクリーンでやはり観たい。
映画館用の座席ではないので、座る部分が非常に固い。
映画は始まったころ、「あっらぁ~」とか「すごいわねぇー」とか、後ろのおばさんたちがいちいち画面に反応して喋るのには閉口したが、やがて静かになってくれた。
ひまわりでは、ラストシーンよりも、再会する場面で必ず感極まってしまう。恥ずかしながら鼻水が出るほど声を殺して泣いてしまった。
その涙もやがて乾き、ラストシーンではなんとかかんとか乗り切った。エンディングのテーマ音楽が流れるなか、鼻を啜ったりハンカチを眼に当てたりしているひとが多かった。わたしも椅子のせいで尻が痛く、別の意味ですぐには立ち上がれなかったが。
映画館でのたまの名画観賞もやっぱりいいな、と感じた。
さて、今月に読んだ本ですが、11月はあまり読めずに5冊、今年の累計で67冊です。
1.○鮎師 夢枕獏 文春文庫
2.◎やる気のない刺客 町医 北村宋哲2 佐藤雅美 角川文庫
3. ○悪の経典 (上) 貴志祐介 文春文庫
4. △悪の経典 (下) 貴志祐介 文春文庫
5. ◎ラスト・コヨーテ (上) マイクル・コナリー 扶桑社ミステリー
「鮎師」は、鮎に魅せられ、憑かれたようにのめりこんでいく男たちの話だ。
年魚といわれる鮎はせいぜい体長が尺(三十センチ)ぐらいが最高レベルだが、どうかして数年生き残って巨鮎が早川に棲みついている。
鮎用の毛鉤も餌も見向きもしない。友釣りでは囮の鮎が逃げ出して釣りにならない。だが、早川で知り合った釣り師が持っている毛鉤「黒水仙」」にはシーズンに一回か二回喰いつくのだ。その毛鉤の持ち主の釣り師と主人公が、体長五十センチを超す巨鮎を狂気のような執念で狙う、というストーリー。けっこう面白かった。
「やる気のない刺客」、佐藤雅美の本は安心して楽しく読める時代小説だ。
「悪の経典」については読後感が最悪だ。映画にもなったそうだが観る気もしない。
たいてい上巻より下巻のほうが面白くなるのだが・・・これはちょっと・・・。
いつになったらまた、あの「黒い家」みたいな本を書いてくれるのだろう。
ハリー・ボッシュシリーズの「ラスト・コヨーテ」、あいかわらず面白かった。
上司に暴力をふるって長期の強制休暇中のボッシュは、その昔に迷宮入りとなった自分の母が殺された事件を調べ直し、真犯人を追いつめていく。
「一匹の猫がいて、その猫は、たとえだれかが慰めたいと思ったり、可愛がりたいと
思っても、喧嘩早くて、だれにでも引っかき、警戒の声を向ける場合、それは仔猫の
ときに充分抱かれてなかったからなのだそうよ」
猫好きなので、このセリフ、ついつい気になってしまった。
「思うのだがお若いの、自分の人生に見事に合致する人物にたまたま出会ったと
しよう。合うと思えるだれかを見つけたら、命を賭けてしがみつくのだ。その女性が
過去におこなったことは問題ではない。そういったことはまったく問題ではない
のだ。離さないでいることだけが肝心なのだよ」
「その女性」がボッシュの母で、このセリフを言うのが、かっての母の恋人である。
→「砂銀で塩うどん」の記事はこちら
→「読んだ本 2012年10月」の記事はこちら
大人になると、葬式とか別離とかよほど悲しいことを別にすれば、転ぶとか殴られるとかもまずあまりないので涙を流すことが少なくなる。
ましてや、なにかに感動したりして泣く、なんてことはもっと少ない。
砂町銀座に出かけてぶらついたとき、ついでに船堀でやっている映画祭にいってきた。
二日間の映画祭で上映されるのは「わが母の記」、「喜劇急行列車」、「ピンポン」、「ロボット」など十五作品ほど。
その昔に感動した名画が七百円で観られる。
前売りなら五百円だが、あまり混むようなら帰ってくるつもりなので当日券にした。
映写会場は小ホールで二百五十人くらいの収容で、百八十番台の切符なので買って会場に向かった。
選んだ映画は「ひまわり」で、今年も夏にDVDで観たばかりだが大きなスクリーンでやはり観たい。
映画館用の座席ではないので、座る部分が非常に固い。
映画は始まったころ、「あっらぁ~」とか「すごいわねぇー」とか、後ろのおばさんたちがいちいち画面に反応して喋るのには閉口したが、やがて静かになってくれた。
ひまわりでは、ラストシーンよりも、再会する場面で必ず感極まってしまう。恥ずかしながら鼻水が出るほど声を殺して泣いてしまった。
その涙もやがて乾き、ラストシーンではなんとかかんとか乗り切った。エンディングのテーマ音楽が流れるなか、鼻を啜ったりハンカチを眼に当てたりしているひとが多かった。わたしも椅子のせいで尻が痛く、別の意味ですぐには立ち上がれなかったが。
映画館でのたまの名画観賞もやっぱりいいな、と感じた。
さて、今月に読んだ本ですが、11月はあまり読めずに5冊、今年の累計で67冊です。
1.○鮎師 夢枕獏 文春文庫
2.◎やる気のない刺客 町医 北村宋哲2 佐藤雅美 角川文庫
3. ○悪の経典 (上) 貴志祐介 文春文庫
4. △悪の経典 (下) 貴志祐介 文春文庫
5. ◎ラスト・コヨーテ (上) マイクル・コナリー 扶桑社ミステリー
「鮎師」は、鮎に魅せられ、憑かれたようにのめりこんでいく男たちの話だ。
年魚といわれる鮎はせいぜい体長が尺(三十センチ)ぐらいが最高レベルだが、どうかして数年生き残って巨鮎が早川に棲みついている。
鮎用の毛鉤も餌も見向きもしない。友釣りでは囮の鮎が逃げ出して釣りにならない。だが、早川で知り合った釣り師が持っている毛鉤「黒水仙」」にはシーズンに一回か二回喰いつくのだ。その毛鉤の持ち主の釣り師と主人公が、体長五十センチを超す巨鮎を狂気のような執念で狙う、というストーリー。けっこう面白かった。
「やる気のない刺客」、佐藤雅美の本は安心して楽しく読める時代小説だ。
「悪の経典」については読後感が最悪だ。映画にもなったそうだが観る気もしない。
たいてい上巻より下巻のほうが面白くなるのだが・・・これはちょっと・・・。
いつになったらまた、あの「黒い家」みたいな本を書いてくれるのだろう。
ハリー・ボッシュシリーズの「ラスト・コヨーテ」、あいかわらず面白かった。
上司に暴力をふるって長期の強制休暇中のボッシュは、その昔に迷宮入りとなった自分の母が殺された事件を調べ直し、真犯人を追いつめていく。
「一匹の猫がいて、その猫は、たとえだれかが慰めたいと思ったり、可愛がりたいと
思っても、喧嘩早くて、だれにでも引っかき、警戒の声を向ける場合、それは仔猫の
ときに充分抱かれてなかったからなのだそうよ」
猫好きなので、このセリフ、ついつい気になってしまった。
「思うのだがお若いの、自分の人生に見事に合致する人物にたまたま出会ったと
しよう。合うと思えるだれかを見つけたら、命を賭けてしがみつくのだ。その女性が
過去におこなったことは問題ではない。そういったことはまったく問題ではない
のだ。離さないでいることだけが肝心なのだよ」
「その女性」がボッシュの母で、このセリフを言うのが、かっての母の恋人である。
→「砂銀で塩うどん」の記事はこちら
→「読んだ本 2012年10月」の記事はこちら
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