<奈良、東大寺・二月堂へ(1)>
奈良の神社仏閣の人気ベスト5のうち、「東大寺・大仏殿」で3つ制覇した。
さて次は、残す2つの内の第5位「東大寺・二月堂」を訪れることにしようと、大仏殿の中門を出て、東側を囲う塀沿いを猫段方面に曲がってすぐのことだ。
(あれっ、なんだ・・・アレは?)
大仏殿での興奮状態を醒ますようにゆっくり歩いていると、右手の斜面の平らになっているところに、それを見つけたのだ。
「ひょっとして、あれが東大寺七重塔の『相輪(そうりん)』かな・・・」
京都・東寺の五重塔を見に行ったときの記事でこう書いた。
『近すぎて見えないが、塔の一番上にある金属製の部分は相輪(そうりん)と呼ばれ、下から露盤・伏鉢・請花・九輪・水煙・竜舎・宝珠で構成されているそうである。』
京都・東寺の五重塔と比べ東大寺の方は七重塔なので、先っぽだけの相輪とはいえ、高さ74尺(22メートル)と、さすがに“ドでかい”ものだ。
かつて、東大寺大仏殿の東西には、100メートルに達する七重塔(東塔・西塔)が配されていた。しかし、平安中期に西塔が落雷で焼失し、東塔も治承4年12月(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失してしまった。
南都焼討後、東大寺の再興に奔走した「俊乗坊重源」が元久元年(1204年)に東塔の再建に着手、重源没後も「栄西」と「行勇」に受け継がれ、約20年後の嘉禄3年(1227年)頃に完成した。しかし、その東塔も康安2年(1362年)に落雷で再び焼失してしまう。
昭和45年(1970年)、大阪で開催された<日本万国博覧会>の古河館に、古河グループが東大寺の七重塔を再現し出展。そして、万博終了後に塔は解体されたが、七重塔の頂に掲げられた「相輪」は東大寺に寄贈されたのである。
おっ、ここが「猫段」だな。
けっこう広くて歩きやすそうである。
「ン! 」
視界の隅でなにかが動く気配があった。猫段横の短い掘割に、一頭の鹿がいて、こちらからの殺気みたいな“気”を感じたのか、首をぐるりと廻してこちらを窺っていた。
猫段は、大仏殿東側斜面から鐘楼に向かうゆるやかな石段で、最初は緩やかな傾斜だが、途中からやや急になっていく。
無類の猫好きのわたしなので、この猫段の利用は外せない。猫段の名前は、かつてこの辺りに山猫が住んでいたことに由来するという。
この階段で転ぶと来世は猫に生まれかわると伝わっている。昔は石段ではなく坂で、「こけたら猫になる」という坂として伝わっていたそうである。
そういえば横浜でも、お墓で転ぶと寿命が短くなるとか、霊たちに引きずられて神隠しにあうなどと言われていたっけ。それに比べれば猫になる、なんて可愛いものだ。
あ、残念。
猫段でわたしを追い抜いた観光客の背中が、足早に小さな社に向かっていく。
「猫段」を登ったすぐ左手奥には「辛国(からくに)神社」があり、“天狗社”とも呼ばれるこの小さな社の創建由緒は不明だが、東大寺の創建に関わったと考えられている。
逡巡しているうちに、またしても追いついた女性グループが辛国神社に向かうのをみて、わたしはパスすることにきめた。
― 続く ―
→「京都・九条、東寺(1)」の記事はこちら
→「奈良・東大寺、大仏殿(1)」の記事はこちら
→「奈良・東大寺、大仏殿(2)」の記事はこちら
→「奈良・東大寺、大仏殿(3)」の記事はこちら
→「奈良・東大寺、大仏殿(4)」の記事はこちら
奈良の神社仏閣の人気ベスト5のうち、「東大寺・大仏殿」で3つ制覇した。
さて次は、残す2つの内の第5位「東大寺・二月堂」を訪れることにしようと、大仏殿の中門を出て、東側を囲う塀沿いを猫段方面に曲がってすぐのことだ。
(あれっ、なんだ・・・アレは?)
大仏殿での興奮状態を醒ますようにゆっくり歩いていると、右手の斜面の平らになっているところに、それを見つけたのだ。
「ひょっとして、あれが東大寺七重塔の『相輪(そうりん)』かな・・・」
京都・東寺の五重塔を見に行ったときの記事でこう書いた。
『近すぎて見えないが、塔の一番上にある金属製の部分は相輪(そうりん)と呼ばれ、下から露盤・伏鉢・請花・九輪・水煙・竜舎・宝珠で構成されているそうである。』
京都・東寺の五重塔と比べ東大寺の方は七重塔なので、先っぽだけの相輪とはいえ、高さ74尺(22メートル)と、さすがに“ドでかい”ものだ。
かつて、東大寺大仏殿の東西には、100メートルに達する七重塔(東塔・西塔)が配されていた。しかし、平安中期に西塔が落雷で焼失し、東塔も治承4年12月(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失してしまった。
南都焼討後、東大寺の再興に奔走した「俊乗坊重源」が元久元年(1204年)に東塔の再建に着手、重源没後も「栄西」と「行勇」に受け継がれ、約20年後の嘉禄3年(1227年)頃に完成した。しかし、その東塔も康安2年(1362年)に落雷で再び焼失してしまう。
昭和45年(1970年)、大阪で開催された<日本万国博覧会>の古河館に、古河グループが東大寺の七重塔を再現し出展。そして、万博終了後に塔は解体されたが、七重塔の頂に掲げられた「相輪」は東大寺に寄贈されたのである。
おっ、ここが「猫段」だな。
けっこう広くて歩きやすそうである。
「ン! 」
視界の隅でなにかが動く気配があった。猫段横の短い掘割に、一頭の鹿がいて、こちらからの殺気みたいな“気”を感じたのか、首をぐるりと廻してこちらを窺っていた。
猫段は、大仏殿東側斜面から鐘楼に向かうゆるやかな石段で、最初は緩やかな傾斜だが、途中からやや急になっていく。
無類の猫好きのわたしなので、この猫段の利用は外せない。猫段の名前は、かつてこの辺りに山猫が住んでいたことに由来するという。
この階段で転ぶと来世は猫に生まれかわると伝わっている。昔は石段ではなく坂で、「こけたら猫になる」という坂として伝わっていたそうである。
そういえば横浜でも、お墓で転ぶと寿命が短くなるとか、霊たちに引きずられて神隠しにあうなどと言われていたっけ。それに比べれば猫になる、なんて可愛いものだ。
あ、残念。
猫段でわたしを追い抜いた観光客の背中が、足早に小さな社に向かっていく。
「猫段」を登ったすぐ左手奥には「辛国(からくに)神社」があり、“天狗社”とも呼ばれるこの小さな社の創建由緒は不明だが、東大寺の創建に関わったと考えられている。
逡巡しているうちに、またしても追いついた女性グループが辛国神社に向かうのをみて、わたしはパスすることにきめた。
― 続く ―
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→「奈良・東大寺、大仏殿(1)」の記事はこちら
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