<読んだ本 2024年7月と8月>
ここのところPCのユーチューブで、ショパンの「ノクターン(第2番変ホ長調 作品9-2)」をよく聞いている。
わたしと同じく猫好きだったピアニスト「フジコ・ヘミング」のやつ。なにしろ猫を24匹飼っていたそうだから。フジコ・ヘミングといえば「ラ・カンパネラ」、でないところもいいでしょ。
アメリカのピアニスト「カーメン・キャバレロ」がポピュラー寄りにアレンジした「トゥー・ラブ・アゲイン」は映画「愛情物語」で使われ、大ヒットしたあの曲である。
「間違えたっていいじゃない。機械じゃないんだから」
そう言うフジコ・ヘミングが歩行器を使って辿りつき、弾きはじめるピアノはあくまでも力強く、そこはかとない「矯め」があって心に響く。
「あ、“アンダンテ・カンタービレ”・・・」
高校時代、「こっそり煙草でも吸おうぜ」と友達数人と入った喫茶店で流れていたBGMを聞いて、そう呟く。そのころ、音楽はイントロで曲名を、排気音で車の車種もピタリと当てるほど、耳には自信があった。
それにしてもクラシックのBGMは珍しいが、不良少年たちには不釣り合いのちょっと高級な喫茶店だった。
「なんだって?」
ナンダッテじゃなく、アンダンテだ。座るなりさっそく煙草を吸いだした、学年でも札が何枚も付いたワルなクラスメイトが聞き咎めた。
「ああ・・・いま流れている曲名だけど、たぶん『アンダンテ・カンタービレ』っていうヤツ」
「誰の?」
「えーと、たしか・・・“チャイコフスキー”」
ロシアのプロレスラーじゃないからね、と言いたかったがそこは黙る。
「スゲエ、驚いたな。白鳥の湖しかオレ知らねえぞ。ビートルズとかストーンズだけじゃなくて、お前、クラシックにも詳しいのかよ!」
なあに種を明かせば、子どものころ、家にあったレコードがメンデルスゾーンとか、ヨハンシュトラウスとかのクラシックの名曲全集だけしかなかったのだ。それ以外の音楽はすべてラジオから。
そんなことがあったせいなのか判らないが、それからはなぜか一目置かれて、学校が居やすくなったのである。
爪隠すのは能ある鷹だけじゃない、猫も、である。
好きな音楽が吉幾三からチャイコフスキーまでなんてエことは、当たり前だが絶対に言わない。要するに“秘すれば花”は大事な処世術のひとつ。なにごともすべてを克明にさらけ出す必要はないだ。
さて、7月と8月に読んだ本ですが、前回に引き続き7冊、累積で28冊。
1. ○五十四万石の嘘 松本清張 中央公論
2. ○逃亡 上 松本清張 光文社文庫
3.○逃亡 下 松本清張 光文社文庫
4.○ハンティング・タイム ジェフリー・ディーヴァ― 文芸春秋
5.△回天の門 藤沢周平 文春文庫
6.○海色の壜 田丸雅智 文春文庫
7.○ショートショート診療所 田丸雅智 キノブックス
松本清張の「逃亡」上下2巻、けっこう長いが、飽きさせず読み終えた。ハッピーエンドっぽい最後に救われた。
それに引き換え、藤沢周平著「回天の門」は上巻で投げてしまった。図書館読みだからね。
なんか、ここのところ二度目だ。ちょっと前の「市塵」の新井白石、今回の幕末の志士清河八郎と、どちらも下巻を読む気を失った。
どうやら藤沢周平が書く伝記めいた本はわたしにはとことん合わないようだ。
ジェフリー・ディーヴァ―といえば、わたしの押しは<リンカーン・ライム>シリーズだが、今回読んだのは「ハンティング・タイム」は懸賞金ハンターの<コルター・ショウ>のシリーズの一冊。
なんとなく、気になった箇所があった。
コーエンは「方法論」でこう書いている。
『工学的手法とは、利用可能なリソースを生かしてほとんど解明されていない状況に最良の変化を起こすために
発見的手法(ヒューリスティクス)を使うことである。
ヒューリスティクスは、完璧を装うことなく問題解決を図るテクニックだ――たとえば試行錯誤を重ねたり、
経験則に従ったり。
肝心なのは、ある課題について百点満点の解決法が見つかることはめったにないということだ。まずは取りかかってみる。
そこから時間をかけてあちらを試し、こちらを試しながら、十分に近い答えに到達する。
― 略 ―
コーエンの主張では、“工学”は、産業や科学に限定されない、もっと広い範囲を指している。人は誰もが人生の
あらゆる分野のエンジニアなのだ。
― 略 ―
パーカーの頭に複数の案が浮かんだ。分析し、優先事項を定め、それぞれの段取りと結果を比較検討した。
一つの案を退け、
また別の一つを退け、さらにまた別の案が新たに浮かんだ。それもまた退けた。
最後に、現状ではこれがベストと思われる解決策が残った。
完璧ではない。さらに改善を重ねる必要があった。
だが、出発点にはなる。』
なんか、とっても気になる文章である。
誰もが一様に「そんなの絶対に無理でしょう!」という上司からの無理難題と思える指示に、「まあ、まずとにかくは、やってみようや!」と必ずいう、Oさんという大先輩がいたことを懐かしく思いだしてしまった。
「しょうがねえなあ、あの人が言うんじゃ」とやってみると、いつも不思議と難題を乗り越えられたっけ。
→「読んだ本 2024年5月と6月」の記事はこちら
ここのところPCのユーチューブで、ショパンの「ノクターン(第2番変ホ長調 作品9-2)」をよく聞いている。
わたしと同じく猫好きだったピアニスト「フジコ・ヘミング」のやつ。なにしろ猫を24匹飼っていたそうだから。フジコ・ヘミングといえば「ラ・カンパネラ」、でないところもいいでしょ。
アメリカのピアニスト「カーメン・キャバレロ」がポピュラー寄りにアレンジした「トゥー・ラブ・アゲイン」は映画「愛情物語」で使われ、大ヒットしたあの曲である。
「間違えたっていいじゃない。機械じゃないんだから」
そう言うフジコ・ヘミングが歩行器を使って辿りつき、弾きはじめるピアノはあくまでも力強く、そこはかとない「矯め」があって心に響く。
「あ、“アンダンテ・カンタービレ”・・・」
高校時代、「こっそり煙草でも吸おうぜ」と友達数人と入った喫茶店で流れていたBGMを聞いて、そう呟く。そのころ、音楽はイントロで曲名を、排気音で車の車種もピタリと当てるほど、耳には自信があった。
それにしてもクラシックのBGMは珍しいが、不良少年たちには不釣り合いのちょっと高級な喫茶店だった。
「なんだって?」
ナンダッテじゃなく、アンダンテだ。座るなりさっそく煙草を吸いだした、学年でも札が何枚も付いたワルなクラスメイトが聞き咎めた。
「ああ・・・いま流れている曲名だけど、たぶん『アンダンテ・カンタービレ』っていうヤツ」
「誰の?」
「えーと、たしか・・・“チャイコフスキー”」
ロシアのプロレスラーじゃないからね、と言いたかったがそこは黙る。
「スゲエ、驚いたな。白鳥の湖しかオレ知らねえぞ。ビートルズとかストーンズだけじゃなくて、お前、クラシックにも詳しいのかよ!」
なあに種を明かせば、子どものころ、家にあったレコードがメンデルスゾーンとか、ヨハンシュトラウスとかのクラシックの名曲全集だけしかなかったのだ。それ以外の音楽はすべてラジオから。
そんなことがあったせいなのか判らないが、それからはなぜか一目置かれて、学校が居やすくなったのである。
爪隠すのは能ある鷹だけじゃない、猫も、である。
好きな音楽が吉幾三からチャイコフスキーまでなんてエことは、当たり前だが絶対に言わない。要するに“秘すれば花”は大事な処世術のひとつ。なにごともすべてを克明にさらけ出す必要はないだ。
さて、7月と8月に読んだ本ですが、前回に引き続き7冊、累積で28冊。
1. ○五十四万石の嘘 松本清張 中央公論
2. ○逃亡 上 松本清張 光文社文庫
3.○逃亡 下 松本清張 光文社文庫
4.○ハンティング・タイム ジェフリー・ディーヴァ― 文芸春秋
5.△回天の門 藤沢周平 文春文庫
6.○海色の壜 田丸雅智 文春文庫
7.○ショートショート診療所 田丸雅智 キノブックス
松本清張の「逃亡」上下2巻、けっこう長いが、飽きさせず読み終えた。ハッピーエンドっぽい最後に救われた。
それに引き換え、藤沢周平著「回天の門」は上巻で投げてしまった。図書館読みだからね。
なんか、ここのところ二度目だ。ちょっと前の「市塵」の新井白石、今回の幕末の志士清河八郎と、どちらも下巻を読む気を失った。
どうやら藤沢周平が書く伝記めいた本はわたしにはとことん合わないようだ。
ジェフリー・ディーヴァ―といえば、わたしの押しは<リンカーン・ライム>シリーズだが、今回読んだのは「ハンティング・タイム」は懸賞金ハンターの<コルター・ショウ>のシリーズの一冊。
なんとなく、気になった箇所があった。
コーエンは「方法論」でこう書いている。
『工学的手法とは、利用可能なリソースを生かしてほとんど解明されていない状況に最良の変化を起こすために
発見的手法(ヒューリスティクス)を使うことである。
ヒューリスティクスは、完璧を装うことなく問題解決を図るテクニックだ――たとえば試行錯誤を重ねたり、
経験則に従ったり。
肝心なのは、ある課題について百点満点の解決法が見つかることはめったにないということだ。まずは取りかかってみる。
そこから時間をかけてあちらを試し、こちらを試しながら、十分に近い答えに到達する。
― 略 ―
コーエンの主張では、“工学”は、産業や科学に限定されない、もっと広い範囲を指している。人は誰もが人生の
あらゆる分野のエンジニアなのだ。
― 略 ―
パーカーの頭に複数の案が浮かんだ。分析し、優先事項を定め、それぞれの段取りと結果を比較検討した。
一つの案を退け、
また別の一つを退け、さらにまた別の案が新たに浮かんだ。それもまた退けた。
最後に、現状ではこれがベストと思われる解決策が残った。
完璧ではない。さらに改善を重ねる必要があった。
だが、出発点にはなる。』
なんか、とっても気になる文章である。
誰もが一様に「そんなの絶対に無理でしょう!」という上司からの無理難題と思える指示に、「まあ、まずとにかくは、やってみようや!」と必ずいう、Oさんという大先輩がいたことを懐かしく思いだしてしまった。
「しょうがねえなあ、あの人が言うんじゃ」とやってみると、いつも不思議と難題を乗り越えられたっけ。
→「読んだ本 2024年5月と6月」の記事はこちら
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