温泉クンの旅日記

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一本桜

2007-02-11 | 旅エッセイ
  < 一本桜 >

 よくいわれるように花の命はたいてい短い。

 いつもあれほど絢爛満開に咲き誇っている桜の花も、強い雨がしばらく続けば
すっかり散り果て、どの桜も新緑の若葉を付け始める。歩道にうっすら残る薄汚れ
た花びらが、春の風が吹くたびに剥がされて寂しく舞う。
 関東で桜が終わっても、北に行けば、旅人はまた桜を存分に楽しめるのだ。



 東北のほうに向かって旅をしていると、広い畑や田んぼの群れのはるか向こう、
畦の片隅に一本の桜の木をみかけることがよくある。
 小さいころから桜を見慣れているせいか、あまり花の名前を知らなくても桜は
すぐわかるのだ。
 逆を言えば、花が咲いているから遠くからでも桜とわかるのであって、咲かない
ときにはきっと何の木かさっぱりわからないだろう。

 あの桜の木の根元で、田んぼの持ち主が親戚近隣一族郎党集まってワイワイ賑や
かな花見でもするのだろうか、などとうらやましく思ったりもしてしまう。
 ところが、どうやらまるで違うらしい。
 ただの観賞用ではないのである。

 雪が解けて暖かな日が続くと、遅い春の息吹が土壌から桜の根を、幹を、つたい
蕾として待機する。
 そして開花を始めるわけだが、春の訪れのその一歩一歩を桜の木で感知して、
今年の農作業のあれこれの準備を始めるそうなのだ。きっと、東北のあちこちの
一本桜は、代々綿々と近隣の人達に春を伝えてきたのである。

 一本桜とおなじように、高い山の尾根の雪解け跡(雪型)で農作業を始める地方
もあるという。白一色だった斜面をびっしり覆う厚い雪が解けだして、地面が顔を
だす。地上の畑から見て、その形がたとえば兎とか馬とかに見え出したら農作業を
開始する。



 もっともうろ覚えだから、地面が見え出したら農作業を始めて、その雪解け跡の
形ではその年の豊作を占うのだったかも知れないが。

 一本桜に雪解け跡か・・・。
 いずれにしても、知らず知らずにカレンダーの日付や曜日や時計の針にがんじが
らめにされている、都会の人間との違いにため息がでる。

 カレンダーの月で季節が変わったとたん、まだ寒い日が続いているのに「衣替え
だしな」とかいってコートを脱ぐ。月曜日にやたら低くなっちゃうテンションが
水曜木曜あたりからいつも上昇しはじめる。午前中はまるで死んだ鰯の眼みたいに
元気がないのに午後、それも退社時刻前になると生気に満ちた眼にかわる。
 カレンダーをみるたび「ああ今年も、もうそんなに過ぎたのか」と焦る。
 そんな自分てなんだろうか、とついついため息が「はあ」とでてしまう。

 自分にとっての「一本桜」みたいなものを、難しいだろうが密かに探してみたい
ものだ。もちろん、言葉どおりの桜ではないものだが。
 もしもそれを見つけたとしたら、自分を劇的に変化させてくれるような予感が
する。

 しかし運良く探せたとして、花はいったいいつごろ咲くのか、その花が咲いたら
わたしはなにをはじめるのか。肝心のところがいまのところすっぽり抜けているの
が情けないが。

 それにしても探そうとしている一本桜って、都会の場合には「ひと」かもしれな
いと、フト思う。

  → もう咲いている河津桜を観たいひとに・・・河津桜の記事

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