大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

 「食」とは

2015-01-18 | 食生活
当時、ハーバード大学教授を退官した方で、ピトリム・A・ソロキンというロシア出身の
社会学者がいました。随分年配の方です。その人には人間の「創造的な利他的愛」
についての研究があり、私は隣人を愛する心がどのようにして育つのか、膝を交えて
問いかけました。
 彼の研究は、カソリック聖者の隣人愛に関する膨大な資料に基づいています。
しかし彼は、「わからない」と言うのです。「なぜこの人たちが、心から隣人愛を実践
するようになっていったのか、私にはわからない」と。
 このとき私は、先の先輩たちの忠告に従い、回答は自分で見つけるしかない、と
決意したのです。
 それから二か月半、私は”人間観察”の日々を送りました。ニューヨークの五番街やタイムズスクエアに立って、あるいは
カフェテリアで一杯のコーヒーを長時間かけてすすりながら、道行く人々、カフェテリアに集う人々の容貌や体格、動作、
そして語り合う内容などを観察し続けたのです。
 アメリカは人種のるつぼ。目の前を行き交う人たちの容貌や体格はまさに種々雑多です。
この違いは何に由来するのだろうと考える一方、私は、
「なぜ人間は直立二足歩行するのか」
「なぜ人間は直立二足歩行するのか」
なぜ二つの眼が平面的についているのか」
「なぜ人間は直立二足歩行するのか」
「そもそも、歩き、話をし、笑い、哀しみ、怒るといった動作や思考、感情を司る心とは何なのか」
という疑問にも、自問自答を繰り返していました。
 二十代半ば、着た切り雀に近い服装の貧乏学生、日がな地下鉄の入り口近くや五番街やタイムズスクエアなどに立って
道行く人たちを眺める姿は、きっと異様に映ったことでしょう。

 「食」だけが自己コントロール可能な環境要素
 そしてある時、「そうか、そうなんだ」と、人間の違いをつくる根本的要因について自分なりの”答え”ひらめいたのです。
まさに天啓のようでした。「環境と食」が個々の人間の違いをつくっているのだた。
 しかし、「環境」はまず間違いないものの、その一部である「食」をそれほど重要視していいのか。自分のひらめきに対し
てそんな疑問をもった私は、環境といわれる要素をことごとくリストアップすることにしました。
 自然環境としては大気、太陽光線、月、星、河川・・・、人間環境でいえば社会、情報、家庭、職場・・・。思いつく限り
を書き帰したリストを眺めながら、私は「人間に対して、日常的・継続的な影響を及ぼし」かつ「人間が自らの意志で取捨
選択できる」という二つの条件を定め、おびただしい項目の中からその条件を満たす要素は何かを探ったのです。
 そして、天啓のとおり、最終的に「食」だけが残ったのでした。
 他お要素は、重要ではあってもその影響が日常的でなかったり、継続的でなかったりします。何より、自分の意志で
コントロールすることができません。しかし、「食」すなわち「食べ物と飲み物」だけは、第一の条件を満たすとともに、
唯一自己コントロールできるものなのです。
 そのとき、かつて指導を受けた桜沢菜央如一先生の次のような言葉ー対して気にもかけず、その後ずっと忘れていた
言葉が、急に私に私の脳裏によみがえりました。

世界平和を実現しようとするなら、食べ物がその重要なカギになるということに、
                                                やがて君は気づくだろう」


                               久司道夫著 「マクロビオティックをやさしくはじめる」から 抜粋

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