大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

熊本大地震に歴史学者の「耕論」

2016年04月19日 08時52分22秒 | 日記
 4月18日の週明け~まだ熊本大地震が続いています。熊本から阿蘇そして大分へ震源地が動いています。このことから熊本大地震との命名は九州大地震に変えたらとの声も出ています。
そうした中、各新聞は被災地の状況・訴えや救援・支援活動等を報道するとともに、地図上の断層を紹介、識者の提言、見解を掲載しています。その中で、歴史学者・磯田道史さんの「歴史の例に学び警戒必要」に注目しました。
 磯田氏によりますと「熊本市と周辺には東西方向に断層が走っています。これが動いてM6前後の震源の浅い地震が起きたとみられる記録がこれまでに3、4回」あるそうです。(~エーッツそうなんだ!)
《記録》によりますと、「1619年、八代にあった麦島城(八代城の前身)が『城楼崩壊し・・死傷するもの無数・・都会たちまち荒陵と変ず・・』それからわずか6年後の1625年には熊本で大地震が来ました」「この時は天守はもちろん、場内の家は瓦や建具が『ことごとく、おちくずれ、城中に人、50人程死し、塩硝蔵(火薬庫)』が地震の火災で爆発。城の瓦が『5里6里(20~24キロ)の外』迄吹き飛んだとされています。
そして約380年後2000年にも今回と同様に益城町を中心とした震度5弱の地震が発生しました。」とあります。
磯田氏がさらに指摘されるのは1619年の8年前、1611年に東北で<慶長三陸地震>が起き、8年後14年後には熊本地震発生、そして1633年小田原地震が起こっている事実です。現在の地震の発生状況に類似していることを強調されています。
「17世紀前半の例では、東北の震災後に、まず熊本、その次に小田原を中心とした関東の都市直下型地震でした。今回の熊本地震は、《西国》の出来事として見過ごさずに、家具の固定や建物の補強など関東でも警戒が必要です。」と強調されています。
 その《西国》での今回の地震はその規模からして17世紀前半よりひどいのではないでしょうか?また《西国》には17世紀前半にはなかった~東北大震災後の日本で最初に再稼働した「川内原発」もあるのです。一層の警戒備えが必要です。何かあってからでは取り返しのつかない事態になります。地震の今後はどうなるか?未知の部分が多いと匙を投げたような意見も出されてます。過去から・歴史からも学ぶ必要があるようです。身近な歴史・《東北》の経験からも学び《西国》の地を守る警戒が必要ではないでしょうか。
(下:2016年4月16日朝日新聞<耕論>欄 磯田道史さん(歴史学者、国際日本文化研究センター准教授)「歴史の例に学び警戒必要」~聞き手・山口栄二より)