大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

「世界初の露日辞典ができた時」

2023年04月28日 05時22分19秒 | 日記

「300年前の露薩辞典」が紹介されました。露とはロシア、薩とは薩摩です。正式には『新スラヴ・日本語辞典 日本版』とあって、「1730年代にできた世界初の露日辞典を整理し、1985年に刊行された」そうです。「実態は《露薩辞典》。薩摩(鹿児島)出身のゴンザが書いたため、日本語は薩摩言葉になっている」そうです。例えば、「ムゾカ(かわいらしい)、ニセ(若者)、ナンカカル(もたれかかる)、カカジル(ひっかく)、ウッスル(捨てる)---」と言った風で「これ等を覚えたロシア人が来日したとしても通じなかったろうな」と察せられてます。〜思わずおかしくて笑っちゃう!《薩日辞典》が必要ですよ〜。日本にはたくさんの方言があるのを思い出します。
 新聞ではゴンザという方の経歴が紹介されています。「11歳のゴンザは船頭の父と共に船に乗り、大阪に向かった。嵐に遭いカムチャッカ半島に漂着し、現地人に襲撃される。乗組員17人のうち生き残ったのは青年ソウザとゴンザだけ。役人に救われ、4年かけてロシアを横断しサンクトペテルブルクまで歩く。アンナ女帝に謁見し辞書作りを命じられた」そうです。ゴンザの辞典の「収録(語)は1万2千語に上る」そうです。「ゴンザは辞書完成の翌年、21歳で逝った」とのことです。〜本当に命がけの仕事だったのです。
 鹿児島には「鹿児島弁ゴンザ顕彰会」があるそうです。会長の和紙作家でもある種子田(たねだ)幸広さん(72)は、ロシアのウクライナ侵攻について「もしゴンザが生きていたら。『悲しむでしょうね。ゴンザはロシアの人たちに助けられて生き延びたから』と話」されています。
 「侵攻を受け、ロシア語を学べる多くの大学は声明を出した。黒か白かの二項対立に陥らないこと。言葉の力を信じ、多様な背景と考えを持つ人々との対話を継続することー。」〜ロシア語、日本語、外国語を学習している沢山の方々、ゴンザの熱意を思い出し、辞典を大事にしましょう。
(下:2023年3月21日 西日本新聞〈風向計〉欄-論説委員・酒匂純子「300年代前の露薩辞典」より)