・・・朝のジョギング時はラジオを聞きながら走っている。
「早朝のジョギングコースの風景、遠くに鈴鹿山系が見える」
・・・何時も同じ時間に走っているので、聞いているラジオの番組や出演者は馴染になる。
土曜日の早朝にバイオリン演奏家の千住真理子さんの「クラシックでお茶を」と云う番組があって、今週の放送では「年齢と演奏」と云う主題で放送がありました。
放送の内容は、二人の有名なピアノ演奏家の青年時代と25年後の同じ演奏を聴き比べて如何に違うかと云う解説を出演者がしていました。
同じ人が同じ楽譜で演奏しているにも関わらず、年齢の違いだけによる演奏の違いを放送から私は感じました。
・・・ジョギング中にラジオを聞いていて、そのあとのニュースの放送中で菅総理大臣が今回の民主党の代表選の討論会において、1996年の橋本内閣時代の厚生大臣として、HIV非加熱製剤の承認遅れから厚生省が大きな問題を引き起こし、それに対して、大臣として、謝罪して社会から、大きな評価を得たことを自分の功績として話をしていたことが放送されていました。
・・・このニュースを聞いて、先の千住真理子氏の放送の内容である「同じ曲を演奏しても、同じプレーヤーが年をとると随分表現が変わる」と云うことと思い合わせると、政治家も15年も前の功績を持ちだして、今も、その人に、同じようなパーフォマンスが期待できるというのはおかしいだろうと思ってしまいました。
かえって、政治家としては年を取り、地位を手にした管総理としては、今の危機に対する対応力としては切れが悪くなると思う。
話は少し変わるが、最近の彼の政治手法を見ていると彼は自分のオリジナリティと想像力の無ささを、学者や専門家の説を取りこんで、自分の新しい政策として、急に行動するパターンをチョクチョク見かける。
そういえば、先の1906年の彼が功績としている、厚生大臣時代の「官僚の説明責任」と彼が云いだしたとされているようなことも、実は彼はオランダのジャーナリストの著作『人間を幸福にしない日本と云うシステム」の中から、彼との対談の中からヒントを得て、自分の政策に取り込んだというのがもっぱら云われていることです。
今の日本の経済的な危機に関しての政治家の行動は、他人の理論とか他人の考えを、思いつきで政策に用いるのでなく、政治家自身の今までの人生と経験から得た信念で政策を作るべきでないと揺るがない指導力は発揮できないように思う。