・・・以前のこのプログの中で、「楽しみは 朝起きいでて 昨日まで無かりし花の 咲けるを見る時」という橘曙覧(1812~1868)の歌を紹介した。
「我が家に、今朝、咲いていた花」
・・・先日の朝刊に上記の橘曙覧の別の歌が紹介されていて、読めば読むほど味わい深いと私が感じたのが表題に載せた歌です。
・・・橘曙覧(1812~1868)は幕末の福井の歌人。
明治の俳人正岡子規は彼を〈歌人として実朝以後ただ一人の歌人なり〉と絶賛。
万葉以後千年に一人の歌詠みと云われている。
・・・表題の歌は彼の生き方を示した歌です。
彼はあばら家に住み、出身の福井の殿様である松平春嶽の招きにも応じないで極貧の生涯を送りました。
表題の歌の意味は、彼は正直に暮らし、うそをつかぬのは他人の為でなく自分の為で、正直に生きれば自分が、心安らかになれる。
物に乏しい時、願いがかなわぬ時、自分に物を、与えられると、嬉しい。
彼はそのささやかな幸福感を味わうことに努めた。
その気持ちをあらわしているのが、最初に載せてある、「楽しみは 朝起きいでて 昨日まで無かりし花の 咲けるを見る時」と云う彼の歌である。
・・・表記の歌は、そのような彼の生き方を、言葉として、あらわしたもので、私の気持ちに共鳴するものがありました。