・・・新聞記事に「備える歴史学」と云う連載コラムがあって、歴史に残っている災害について書いてある。
「現在の伏見城模擬天守閣」
1596年の伏見地震で豊臣秀吉が伏見城の倒壊で災害にあったことは有名である。 又、その時、真っ先に、秀吉のもとへ謹慎中の加藤清正が足軽三百人に金てこを持たして、駆けつけた逸話は歴史上、よく出てくる話です。 しかし、私の理解では、加藤清正が真っ先に駆け付けたと思っていたのですが、今日読んだ新聞のコラムでは彼は二番目に駆け付けただったそうで、最初に駆け付けたのは細川忠興だそうです。しかし、彼の場合は、一人で駆け付け、秀吉に地震見舞いをしただけだったそうです。
そして、この後、細川忠興は秀吉が死んだあとは、徳川家康がたについて行くような人で、とても、要領の良いゴマスリだったようです。
二番目に駆け付けた加藤清正は要領が悪く、秀吉が死んだ後、あくまで、豊臣に忠誠をつくし、その後、彼の一族は滅びていつた。
この逸話を読んで、いつの世も変わらない、人の性を感じました。