・・・太田茶臼山古墳は大阪府茨木市太田にある古墳で、 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により第26代継体天皇の陵として、管理されている。
しかし、最近の考古学の研究成果により、この古墳は5世紀中期に築造されたことが分かっている。しかし、継体天皇は530年ころに亡くなったことが記録されている。継体天皇の陵に治定されているが亡くなった時期と約百年の食い違いがある。 付け加えると、継体天皇の真の墓としては、少し北に離れて位置する今城塚古墳が時代も史料の記述とも会うことが明確になっている。
それでは太田茶臼山古墳の真の被葬者は誰かと云うことに興味を持って調べてみたが、信頼できる歴史本には、明確なことは書いてないが、五世紀中葉の河内王権と関連する人の墓ではないかと書かれており、人名は特定されていません。
太田茶臼山古墳は、古市古墳群の市の山古墳(伝允恭天皇陵)とほぼ同形・同寸であることが分かっている。
信用度は少ないが、インタネットなどでは太田茶臼山古墳は継体天皇の曽祖父である意冨冨等王(おほほど王)の墓ではないかと書かれている。 また、意冨冨等王の同母妹は允恭天皇の皇后である忍坂大中姫と云われ、この太田茶臼山古墳と市の山古墳(伝允恭天皇陵)とが瓜二つの大きさと形で、とても意味深な関係に思える。
(参考) 允恭天皇は応神天皇の孫、意冨冨等王と忍坂大中姫(允恭皇后)も応神天皇の孫です。