・・・先月の新聞の見出しに、「育休 夫も朱徳将来への先行投資」という記事があった。
記事の趣旨は1990年代に育休を取った夫婦の経験談である。
その当時は育休取得率が0.02パーセントの時代で、夫は学校の教員で、校長が理解があって育休が採れたと書いてあった。
今考えると、経験談を語った夫婦は、育休によって、お互いの立場を変わることによって、相手への気配りや、短期的に、仕事を離れてマイナス思考になることや、夫婦関係の在り方など、多くの事を学んだので、若い夫婦が将来において、人生で対処すべき考え方の基本となった、という。
この話を読んで、私の場合は、若い時に、育休ではなく、病気による長期休業したことを思い出した。
そのことを経験したことによって、それからの会社での基本的な考え方や自らの立場について、長期的な考え方、大きく言うと人生の基本方針が変わったことを思い出した。
会社で、若くて仕事ができ、面白い時期は、自分がいなくては仕事が回らなくて、みんなが困っている、などと思って、少々の病気でも、無理を押して仕事をしがちであるが、私の場合は物理的に一か月の療養が必要だった。
長期休暇を取ったときは、仕事を休んだ最初の一週間くらいは、じっとしておれない気持ちでいたが、しばらく休んでいると、会社での自分の周りの状況は休む前と何も変化がなく、「ゆっくりと休んでください」という状況であったことを知り、自分が考えるほど、職場での人の存在は大きくはないと言う事を知り、それからの自分の人生観、特に会社での立場、取り組み姿勢に大きな影響があった。
新聞やテレビで、高齢になっても働いている、政治家などを見ていると、一度も立ち止まらないで、人生を走っていって、仕事以外の世界を知らないままに、人生を終わるように思えて、特に最後に失敗をして退く等を見ると、哀れに見えます。