ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

古代史の謎

2021年01月14日 07時08分51秒 | 日本古代史

・・・日本の国の始まりについては、文字記録がないことで良く分からないことが多い。

   特に、古墳時代の始まりの頃は考古学的な遺物・遺跡はあるが、それが日本の国の始まりと、如何つながるのかが不明なことが多い。
   日本書紀に書かれている日本国の始まりの話とは一致しないことが多い。

   さて、最近読んでいる本によれば、日本書紀が書かれた(8世紀)頃の、百年ほど前の推古天皇の頃も日本書紀の記述が必ずしも真実でないらしい。
   推古天皇の頃、摂政であった聖徳太子が中国の隋に遣隋使の小野妹子を送っていると日本書紀にあるが、その時、返礼史として、日本に来た裴世清の旅行報告が隋書に載っていて、その内容と日本書紀の記載が大きく違うらしい。

   裴世清の報告では日本で彼が会ったの日本の天皇は男だったと書いている。
   しかし、日本書紀によれば、その時の天皇は、推古天皇の時代で、天皇は女だったのである。
   また、大和の朝廷の権力は九州まで及んでいなかったように書いてあるらしい。
   そのころの日本は裴世清の報告によると、大和朝廷との諸国の緩い連合国家であったらしい。

   かなり、面白い内容であるが、テレビなどの放送では、こんな内容については、今まで見たことがなかった。
   これから、少し勉強したい事柄である。

コメント
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