・・・先日の新聞のある記事に目を引かれた。
その内容は、近畿財務局の文書改訂問題で自殺された方がいて、
その方の奥さんが民事訴訟で、文書を改ざんした経緯を記した文書の開示を求めた裁判で国は、最初、ある事も認めなかったのが、その文書の存在を認めたというニュースが報道されているのを聞いた。
まことにもって、とても、我々まじめに生きている人間からすると信じられない嘘がまかり通る政治家・官僚の世界がある。
其の事を知ったときに、歴史好きの私は、魏志倭人伝に書かれた、上の表題の言葉を思い出した。
弥生時代の終わりの邪馬台国時代に倭(日本の国)の事情を書いてある「魏志倭人伝」の記事中に次の文章がある。
「海を渡って、中国に行く時は乗組員の一人を「持衰(じさい)」と読んで航海中の無事を祈る役目があった。
その人は航海が無事終われば、ご褒美に、奴隷や財物を得る、しかし、航海中に嵐にあったり、病が出たりして、航海が上手く行かなかったら、彼は殺される。」と書いてあります。
古代日本では、責任の所在と賞罰がはっきりしていたらしい。
今の日本の国の政治家や官僚の上部は国を動かす、いわば国民を乗せた船の航海中に、自分たちが日本を代表しているので、上記の持衰(じさい)とおなじで、国家運営の結果の責任と賞罰ははっきりすべきある。
それなのに、安倍首相のように自分の勝手で、森友事件の様な問題を起こした時は潔く職を辞さないばかりか、彼と彼を忖度して、彼の意のままに動いた局長は知らないと言い、一緒に航海してた財務の下位官僚に責任を押し付け自殺させるなどは、まったく、弥生時代の人たちが聞けば憤慨するようなことをしています。
同じ様な事件に、韓国の場合を考えると、国民情緒政治とは言われていますが、韓国では、大統領が任期を終えて、辞めた時に、不始末があると、国民の総意によって、大統領を自殺させたり、死刑の判決を与えるなど、まったく、魏志倭人伝の「持衰」のやり方を国がしている。
邪馬台国は、国として、未発達で、法律がなく国民の情緒による政治のやり方だったと思うので、現在の韓国と類似しているのがおもしろい。