じーんときた。
イイハナシダナー。
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心の扉を開く言葉 寮美千子
空が青いから白をえらんだのです
これは奈良少年刑務所の受刑者が書いたたった一行の詩だ。
題名は「くも」。
ひと目見て、心を鷲づかみにされた。
なんと美しい言葉だろう。
主語はない。
その代わりに題名が、空に浮かぶ雲の一人称であることを示している。
徹底的に省略を効かせた詩的な言葉…なのか、それとも、単なる舌足らずな表現なのか?
わたしが奈良少年刑務所に出会ったのは2006年のこと。
前年、長編小説で泉鏡花文学賞をいただき、それをきっかけに首都圏脱出を図って奈良に移住した。
古い文化の良づく古都への悩れだった。
引っ越してすぐに、東大寺そばの丘の上に、明治の名煉瓦建築である刑務所があると知った。
建築見たさに訪れたのが縁となり、わたしは刑務所から、「社会性涵養プログラム」の講師を依頼されてしまった。
受講生は、強盗、殺人、レイプ、放火、違法薬物などの罪で服役している少年たちだという。
恐ろしくてとても一人では行けない。
夫の松永洋介といっしょに参加することを条件に承諾した。
ところが、そこで会った少年たちは、わたしが漠然と抱いていた「犯罪者」のイメージとはまるで違う人々だった。
不器用で、孤独で、傷つきやすい子たちだったのだ。
みな、加害者になる前に被害者であったような、過酷な暮らしをしてきた。
「くも」を書いた子の頭には大きな傷があった。
刑務所ではみな丸刈りだから、隠しようもない。
父親から金属バットで殴られ、頭が割れたという。
この子には軽い言語障害があった。
自分に自信がないので俯いて早口でしゃべる。
自作の詩を朗読してもらったが、言語不明瞭だ。
短いので何度か挑戦してもらうと、ようやく耳で判別できる言葉になった。
すると、教室から盛大な拍手が湧いた。
生まれて初めて受ける心からの賞賛の拍手に、彼は一瞬戸惑い、それから恐る恐る手を挙げて言った。
「先生、ぼ、ぼ、ぼく、話したいことが、あ、あ、あるんですが、は、は、話してもいいですか」
自分からは発語したことのない子のこの発言にわたしは驚いて「どうぞ、どうぞ」と促した。
「ぼくのお母さんは、今年で七回忌です。おかあさんは体が弱かった。
けれどもお父さんはいつもお母さんを殴っていました。
ぼくはまだ小さかったので、お母さんを守ってあげられなかった。
お母さんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。
「つらくなったら空を見てね。わたしはきっとそこにいるから』と」
たった一行の向こうにこんな思いがあったとは!
受講生が手を挙げ「○くんはこの詩を書いただけで親孝行やったと思います」と発言した。
みんながそれに続く。
なんてやさしい。
詩をきっかけに心を表現する。
それを真摯に受けとめてくれる友がいる。
それだけで彼らは癒され、無用な鎧を脱ぎ捨てて、心の扉を開いてくれた。
そのときにあふれでてきたのは、いつもやさしさだった。
どんな重い罪の人にも必ずやさしさがある。
足かけ十年にわたる授業で、わたしはそう確信した。
彼らのお陰で人間観も世界観も変わった。
人間は基本的にいい生き物なのだと思った。
みんな今頃、どこでどうしているだろう。
幸せであってほしい。