教員だったたかばあさんの20年以上前の文章。
ここに保存しておく。
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「先生お願いです!」
二人の女生徒が、突然、雪の上で土下座して言いました。
「先生、女子サッカー部をつくりたいの。顧問になってください」
スキー授業中の出来事でした。
突然の申し出に、驚いて言葉も出ません。
体育とはいいながら、女子大出身の私にはサッカーはさっぱり分かりません。
それに、当時既に体操部の顧問をしていましたし、今更屋外のクラブを担当して、これ以上シミやソバカスを増やしたくないなあ、と考えたりしながら、返事に窮していました。
彼女たちも必死でした。
やってくれそうな先生方には全部当たって断られ、私が最後の頼みの綱だったのです。
「先生、お願い」
との彼女たちの懇願に困り果て
「じゃあ、まあ少し考えとくわ」
と返事を濁すのが精一杯でした。
その返事を「脈あり」と受け取ったA子とB子は、以来連日の波状攻撃です。
「ね、先生、お願い」
「先生が、最後の望みなの」
私の息子は二人ともラグビー部で汗を流し、友だちにも恵まれ、夢を持たせてもらいました。
そのことを思うと、もし私がここで断ったら、この女の子たちの夢は、無残にも砕け散ってしまうのです。
とてもそんなことはできません。
思案を重ねた末、とうとうみんなの前で宣言することになってしまいました。
「サッカーについて、何も知らないけど、そんな私でいいの」
引き受けてくれるかどうか心配だった二人の表情がパッと明るくなりました。
「ええ、もちろんです」
「先生、ありがとう!」
「あなたたちの熱意には負けたわ、清水の舞台から飛び降りる覚悟で顧問になります。でも私の言うことだけは、ちゃんと聞いてよ」
女子サッカー同好会の誕生です。
4月の新学期から、さっそく部員募集です。
待ってましたとばかりに23人がドッと入部してきました。
しかし、練習場所がありません。
ゼロからの出発です。
玄関前の空き地を利用しての練習。
しかし、車が通るたびに中断。
ある時などは、ボールが車の下に挟まって、車が動けなくなったこともありました。
事故の心配もあるし、適当な練習場所がないかと探していたときに、学校の前に笹や雑草、樹木が生い茂る谷地がありました。
調べてみると、3人の地主さんの所有地でした。
さっそくお願いにあがりました。
「しばらく使うあてもないからいいでしょう」
とのご返事。
ならばと恐る恐る
「草や木を切ってもいいでしょうか」
と聞くと、
「ああ、いいよ」
「まだあるんです。凸凹を直してもいいでしょうか」
「ゴールを置いてもいいでしょうか」
すべて快諾してくれて、貸してくださることになりました。
今度は、谷地をグラウンドにするための整地です。
同好会ですし、ましてや人の土地ですから、予算など1円もありません。
そこで、部員のお父さんたちにお願いしたところ、
「わかった」
と二つ返事です。
すぐ、グレーダーを2台持ち込んでくれ、あっという間に整地されてしまいました。
さらに、そのお父さんが見よう見まねで手作りのサッカーゴールを寄贈してくれたのです。
生徒たちの喜びは言葉では表現できないほどでした。
顧問が決まるまでの1年間、遠慮がちに練習していた女子サッカー同好会。
それが自分たちのグラウンドにゴールまで付いているのです。
スイカの産地ですから砂地ですが、立派なサッカーコートでした。
練習に熱が入ったもの当然です。
そして、翌年の6月、初めての公式戦が「北海道高等学校女子サッカー選手権大会」でした。
出場できることさえ夢だった大会が、現実のものとなったのです。
しかし、試合は甘くはありません。
初戦は、全道連覇し連勝中の強敵。
走っても走ってもボールはすぐ相手取られてしまい、守り一方です。
こちらはゴール前に全員が集まって林のようになって防戦しても、次から次へと得点され、終わってみれば15対0。
2回戦も8対0の完敗です。
生徒は体じゅう傷だらけなのに次の日も試合があるのです。
私は、元男子サッカー部のキャプテンをしていた教え子に無理を言って来てもらい、コーチをしてもらいました。
生徒たちの動きは見違えるように良くなり、3回戦は前半を終わって0対0。
ところが後半も残り少ないところで反則をとられ大ピンチです。
相手の蹴ったボールは、ゴールポストの隅に。
「あっ。入れられた」
と思った瞬間、キーバーだったキャプテンのA子が、横っ飛びで見事防いだのです。
ウルトラCどころか、ウルトラX・Y・Zとでも言いたいほどのファインセーブでした。
ついに0対0で試合終了。
見事負けなかったのです。
女子サッカー同好会を設立したメンバーは、初めて出場した念願のこの大会を最後に引退しました。
卒業する時、B子が自分の思いを手紙に託してくれたのです。
彼女は試合の前に故障し、出場できなかったのです。
「先生へ サッカーをやりたいと思ってよかった。
サッカーをやってよかった。
先生に顧問を頼んでよかった。
顧問を引き受けてくれた時、嬉しくて嬉しくてどうしようもなかった。
グラウンドができて、ゴールができてよかった。
合宿に行ってよかった。
今の1年生と2年生が入ってきたとき、嬉しくてどうしようもなかった。
先生には、ずっと女子サッカーの顧問をやっていてほしい。」
などと手紙には「よかった」という文字が16も踊っていました。
顧問をずっと続けようと思ったのは、この手紙をいただいてからです。
以来、今年で6年になります。
この間、さまざまな生徒との関わりがありました。
校則に収まらない服装や茶髪の子もたくさんサッカー部に入ってきます。
その中で一貫して変わらないのは、サッカーの技術を教えることのできない私の存在です。
中には、
「ふん、サッカー知らないくせに」
と面と向かって突っかかってくる生徒もいます。
そのときから、私は、徹して生徒たちの世話役になろうと決めて、今まで取り組んできました。
生徒たちの荷物運びから負けたときは、鼻水をすすりながら一緒にラーメンをすすって激励するなど、部員を励まし、守り、支え、寄り添うように努めてきました。
すると、それまで突っ張っていた生徒が、いつしか愛らしい生徒になっていくのでした。
平成10年のリーグ戦でうちのチームは初めて3位になり、さらに、3年生のK子が8チームの全選手中、見事、準得点王になったと知らせがきました。
すぐにK子にメモを書き連絡しました。
すると、昼休みにK子が職員室に飛び込んできました。
「先生、これ、ここんとこ、最後の一行、感激です」
と興奮して言うのです。
「ここんとこ」と言ったのは、私のメモの
「お母さん、K子さんにサッカーをやらせてくださってありがとうございます。」
という最後のくだりでした。
実は、K子はサッカーをやることを親から反対されていたのです。
部活のあと、「疲れた」とか「体が痛い」とか言うたびに、親とのいさかいが絶えなかったのです。
この日、K子の家にも電話を入れました。
あいにく留守でしたので、感謝のメッセージを入れておきました。
翌日、K子が職員室に来て、
「先生、昨日電話も入れてくれたんですね。母から手紙を預かってきました。母は手紙を書くのが慣れていなくて、とても長い時間をかけて一生懸命書いていました。」
手紙を開いてみるとわずか6行。
しかし、思いがいっぱい詰まった6行でした。
「先生、
ありがとうございました。
K子は頑張ったんですね。
捻挫したりいろいろありましたが、
終わったんですね。
ありがとうございました。」
親と子の葛藤が「いろいろありましたが」という言葉に込められていました。
「終わったんですね」という言葉には、ホッとした気持ちとわが子の輝かしい活躍を認めてくれたお母さんの優しい心がありました。
「サッカーをやって初めて、努力する素晴らしさを知りました。」
K子が引退式で言った言葉を、そのとき思い出していました。
親も子も大きな心になって解けあい、流れ合う愛情が私の心にも流れ込み、胸がいっぱいになりました。
今の1年生が3年生になって引退するとき、私も教員生活にピリオドを打ちます。
私がいなくなっても、先輩と後輩たちがずっとつながりを持ってもらいたいと思い、今年の夏、OG戦を計画しました。
その知らせにさっそく発足の功労者、B子から便りが寄せられました。
中には、かわいいミッキーマウスのマスコットが入っていました。
「OG戦に参加できなくて残念です。
サッカー部ができたことで、私は、何でも挑戦すればできるんだという自信を持つことができました。
大学を卒業し、かねてから希望していたデザイナーになるという目標をつかみました。
就職して5カ月。苦労も多いですが、サッカー部で学んだ負けない心で頑張っています。
今、サンリオやディズニーのキャラクターのついた玩具などをデザインしています。
先生に送ったのは、私の最初の作品です。」
と書かれていました。
あの「よかった」「よかった」と16も書いてきたB子が今、社会人1年生として懸命に頑張っているのがよくわかりました。
A子からの返事はお父さんが書いてきたものでした。
「娘は、いつも高校時代は充実していたと誇りを持って語っています。
卒業してハワイへ留学したのも高校時代にサッカー部をつくったことが自身になったからとよく言っていました。
今はアメリカのユタ州にいます。
自分たちの作った部が今でも後輩たちに受け継がれていたことに特別の感慨を持っているようです。
卒業して5年も経つのに、OG戦のお便りに心が熱くなりました。
娘から先生と皆さんによろしく伝えてくださいとのことです。」
とたくさんのジュースとともに届けてくださいました。
現在、女子サッカー部の技術指導は、生徒のお父さんがグループ編成して当たってくれています。
また、一昨年からは「女子サッカー部父母の会」もでき、試合のたびに応援に駆けつけてくれます。
主役の部員たちを父母や先輩たち、大勢の脇役たちが固めてくれています。
生徒たちの成長に貢献できることは、誰だって嬉しいことなのです。
思えば、父母の皆様、町内の方など大勢の方の共感を得て、使命の道を歩めることは私の無上の喜びです。
21世紀を担う子どもたちのこみ上げる思いを大切にして頑張ってまいります。