非常に考えさせられる内容。
真の住民サービスとは何なのか?
必要な事業かどうかは、常に住民本位で決定されるべきであるが、
現在の二元代表制は健全に機能しておらず、それを担保しきれていないということか?
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出典:
大沼瑞穂のまめとらブログ
竹原元阿久根市長
竹原元阿久根市長の話を構想日本が主催するJIフォーラムで聞きました。
竹原氏の言動・行動は、「独裁的だ。おかしい」として新聞でたたかれ、竹原氏は先の選挙では破れました。
しかし、その差は、864票。こうした評判にでも、7645票を取った竹原氏とはどんな人物か。
とても関心がありました。
竹原氏の話した内容は、大きく分ければ二つ。
一つは、公務員という身分制度によって、住民の真の主権が奪われている。公務員は、自分たちの身分を守るために、無駄な事業を肥大化させ(課の予算を減少させ事業をやめたものは出世できず、課の予算を増大させ、たくさんの事業を並べたものは出世するというおかしな実態)、天下り先を創設し、身分制度を固辞しようと必死である。事業仕分けも、こうした実態がなければそもそも必要ないのである。公務員が本当に公のために、住民と同じ視点で住民のために働くような体制にはない。阿久根市においては、公務員の給与と一般の人たちの給与は三倍程度の差がある。住民に真の主権を取り戻すためには、まずは、こうした実態を明らかにしていかなければならない。
この身分制度があることに住民が気付き、住民自らが自治体業務を行えるような、そこに住むすべての人間が平等な立ち位置で地域のため、公のために働くというフラットな自治でなければ自治ではない。という内容でした。
二つ目は、議会は単なる儀礼をおこなう「儀会」にしか過ぎない。二元代表制というのが日本に存在しているというのは真っ赤なウソで、日本に二元代表制など元々ない。議会は、行政を監視するという建前があるが、実態は、役人に資料を作らせ、答弁をする。行政の監視どころか行政と結託し、自らの身分を守ることにのみ必死である。こうした議会はそもそも全く意味がない。議会改革などは全く意味がなく、二元代表制や議会そのものが「存在しない」という本質を知らなければならない。
という内容でした。
自治体改革や議会改革プロジェクトを担当する自身にとっては、大きなショックでした。現状の自治体を「良くしたい」、議会を「良くしたい」という「現状」が出発点で、現状からの改善、改革という視点に自分がいるのに対し、竹原氏は、それよりももっと深いところに立っていて、
そもそも自治体や議会の形そのものを壊さなければいけないという立場でした。
竹原氏の思想は、住民がその地域に必要なサービスは何かを自ら考え、自治体を自らの力で作り上げたアメリカ社会に原点を見出しているように感じました。中央によって県・市がおかれ、公共サービスが提供されてきた日本の根本を覆そうとする思いと発想は、自分にとって「自らのやっていることのそもそもの根底を常に疑え」という教訓を与えてくれたように思います。
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例えば立法機関として議会をみたときに、
議案提出権は首長と議会とそれぞれに付与されて
いるにもかかわらず提案件数の差は歴然としているが、
では両輪たるべき議会サイドにも人、モノ、金を手当てすれば
問題は改善されるだろうか。
いずれにしても、これだけは言える。
この時代は行政運営のいかなる場面においても、常に細心のコスト意識を持つこと。
それは人件費はもちろんのこと意思決定の課程においても例外とはならない。
すべては民主制のコストなんだと片付けられるだけの金も時間的余裕もない。
それだけ地方は疲弊している。それが現実だ。
(貧すれば鈍すると笑う人もいるかも知れないが)
民主制の対極に独裁制があり、それが一番低コストなのだとすれば
・・・うーん、どう考えればいいのか。
竹原氏に対しては賛否両論あると思うが、信念に基づく行動力は、評価されるべきだと思う。