夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

李朝民画 その4 双魚図

2011-04-19 06:34:43 | 掛け軸
骨董品を買うと時々、思いがけない損得をすることがあります。箱と中身が違って損することがありますが、いい絵だと思って購入したら著名な画家の作品であったり・・。

今回は額入りの李朝民画の後ろの書がありました。

李朝民画 双魚図
紙本水墨淡彩表装まくり
全体サイズ:縦1700*横330 画サイズ:縦*横

「朝鮮民画」の発見者であり名づけ親でもあるのが、ほかならぬ日本人の柳宋悦氏です。民画というのは壁に飾るための絵ではなく、生活に深く結びつきまた生活に役立つ絵のことです。
たとえば、日本では凧、絵馬、羽子板などの絵や大津絵などがあります。朝鮮では屏風に描かれることが多く、婚礼の時はもちろん、各部屋べやにも置かれました。特徴としては、無名の職人たちが流派から離れて自由に描いたもので、おおらかでのびのびとした画風です。



朝鮮民画(李朝民画)
韓国の民画には50以上にも及ぶ種類で形成されていて、その多くは色彩豊かに描かれる。民画は朝鮮王朝500年にわたって庶民の暮らしに重要な位置付けをした民族絵画であり、宮廷画家や学者層の画家達、いわば伝統絵画が主に美的鑑賞だけに目的をおいていたのに反して、一般庶民のお守り的感覚(縁起物)と同時に装飾品としても使われた。つまり一般庶民生活での冠婚葬祭や重要な儀式に無くてはならない必需品であった。民画には画家の烙印が押されていないのが特徴で、宮廷画家達が民画の署名入りを非芸術的だと言って反対したためだ。このように匿名にもかかわらず多くの民画家たちの美的感覚と技法は宮殿画家と違い自由な技法で描かれた作品には素晴らしいものが多く、また民画は李朝時代の儒教思想の普及にも大きく貢献した。


書「開世勢」 香椎浩平書
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横



李朝民画を購入に際して。その額内に表装されていた書です。書かれているのは「開世勢」と読めるようです。

香椎 浩平(かしい こうへ):1881年1月25日~1954年12月3日)は大正~昭和の旧帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍中将・香椎秀一の弟。皇道派。二・二六事件が発生した当時、香椎は帝都の治安を担う警備司令官の地位にあった。しかし事件は全く寝耳に水で、早朝に電話で知らされて初めて知ったという。同日午後、叛乱を穏便に収める目的で陸軍大臣告示が出されると、この中の「真意」という文言が「行動」に差し替えられたため、叛乱に参加しなかった各部隊が混乱するという不祥事があった。この読み替えは青年将校に同情的であった香椎の指示によるものであったことが明らかになっている。その後も警備命令を発して叛乱部隊を形式的に軍の統帥下に編入させたり、戒厳司令官に任ぜられた後も、28日まで天皇から維新の詔を引き出そうと試みるなど、ぎりぎりまで武力鎮圧をためらっていた。粛軍の一環として4月に待命処分となり、7月10日に予備役に編入される。なお二・二六事件の首謀者の一人であった磯部浅一は軍法会議において、叛乱を幇助したとして香椎ら高官15名を告発した。これが磯部らの公判に影響することはなかったが、香椎自身は待命中に憲兵と法務官による取調を受け、予備役編入後には軍法会議への出頭を命ぜられた[4]。香椎によれば、叛乱部隊を編入させる警備命令は一種の計略であり、無血で解決するために必要なものだったという。真相解明に熱意を燃やす法務官の追及にもかかわらず、実際に叛乱を幇助したことを裏付ける証拠がなかったため、結局起訴されずに終わっている。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ななな、なんと! (のぼう)
2011-04-19 20:24:07
ブログ開設の一周年記念日を目前に
1401PV 245IPとは!
いきなり、右肩上がりのV字回復の世界に突入しましたね。
久し振りにワクワクしています。
一周年のアニバーサリーは一味違った趣向を懲らすのでしょうか?
また、ワクワクしそうですね~!
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アクセス件数 (夜噺骨董談義)
2011-04-20 05:20:15
アクセス件数は増えると嬉しいですが、あまり気にするとどうもプレッシャーになります。
題材の続く限りのんびりと投稿します。
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はい! (のぼう)
2011-04-20 22:48:20
常にマイペースで参りましょう。
健康に留意してください。
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ありがとうございます (夜噺骨董談義)
2011-04-20 23:14:05
お互いに健康には気をつけてがんばりましょう。
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