瀟洒淡麗な作風は、近年評価が高まり展覧会でみる機会が増えてきています。
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美術館所蔵より圧倒的に個人所蔵の多いと言われている源内焼ですので、各個人がきちんと保存しておかないとただでさえ数の少ない源内焼が少なくなってきます。軟陶ですので壊れやすく非常に保存には気を使います。本日の副題の鼈甲?の笄も同じ・・・。
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揃いの器はこれから整理していきますが、膳なども同じ運命をたどっています。日本の文化のひとつが着実に衰退しています。料亭などでも品の良い器にお目にかかることは少なくなりました。現代の京焼や備前、信楽といったありきたりのも・・、目の肥えた人が少なくなったのでしょう。
揃いの膳や器を少しでも遺してゆきたいと願うのは私だけでしょうか? 少子高齢化、居住空間・収納スペースの狭少化などにより我々が代々引き継ぐべきものが消えてゆきます。
価値観の変化もありましょうが、とりもなおさず東京一極集中に象徴されるように地方の衰退も大きく関わっています。TPPなどでさらに加速化される可能性が高く、「国家の基本は農に在り」が過去のものとなり、貧困化・相続税増税などの我々を取り巻く経済環境の変化が大きく影響しています。「守れ、守れ、古きよきものを」、門脇の松に負けないように・・。
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まさしく「温藉な画境」と評された木谷千種にふさわしい作品であると思います。「温藉」は聞き慣れない言葉ですが、心広くやさしく、しとやかなことを表現します。千種が到達した世界を表すのにもっともふさわしい言葉であるかもしれません。
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菱田春草は若くして病死し、その翌年、西郷孤月は滞在中の台湾で発病し38年の生涯を終えています。皮肉にも運命は二人に同じような画才を与え、同じように志し半ばでその道を絶ってしまっています。西郷孤月については日本美術史においてそれほど重要な画家ではないと私は判断していますし、その放蕩ぶりからもあまり好きにはなれない画家です。
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普賢菩薩は、白象の背で胡座している姿が一般的。観音菩薩にしばしば女性や母性のイメージが託され、その「見立て」の多くの浮世絵師や画家が描き、「白い象に腰掛けて、下に垂らした左足に右足を曲げて乗せるで、斜めから描く視点も同じ」である。遊女江口の君が普賢菩薩と化すさまを、普賢菩薩は白象に乗った姿で表わされることが多いので、「白象に乗った江口の君(=普賢菩薩)」として表現されています。 . . . 本文を読む
古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきましたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれています。この桃が不老長寿の桃なのです。この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといいます。そして3000年に一度しか実がならないのだそうです。西王母がこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開きます。この宴に呼ばれるのは超一流の神様仏様たちだといいます。ちなみに、孫悟空はその宴に乱入に大暴れをしました。 . . . 本文を読む