陶磁器の形が不均整であるのは自然だからであり、絵付が自由でのびのびとしているのは、作為がないからです。また初期の伊万里や、創成期の唐津が美しくて力強いのは、そのうぶ気な稚拙さの中にも、ひたむきな自然さが感じられるからだと言われています。それらは親み深く、観る人の心を把えてはなさない作品が多いです。自然であることは、いかにも美しい在り方と言えるのでしょう。
逆に言えば、人巧を弄することは自然に逆らうことであって、その度合いは美しさに反比例するものかもしれません。つまり自然であれば、ある程美しいと言えますが、このことは骨董や陶磁器に限らず、人間の在り方や生き方をも暗示していますね。
作為のない古陶磁器の代表格に本日改めて紹介する「古染付」があります。
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当時の文部省当局が美術団体を改組しようとして美術界が混乱した渦中に、自由と純粋さを求めて「新制作協会」が結成されました。若き9人の青年画家、猪熊弦一郎、伊勢正義、脇田和、中西利雄、内田巌、小磯良平、佐藤敬、三田康、鈴木誠という今ではそうそうたるメンバーにより結成されました。 そして、創立3年後の昭和14年に志しをともにする本郷新、山内壮夫、吉田芳夫、舟越保武、佐藤忠良、柳原義達、明田川孝の7名の新進彫刻家の参加により、彫刻部が設けら、 戦後には建築部、池辺陽、岡田哲郎、丹下健三、吉村順三、山口文象、谷口吉郎、前川国男の7名(現:スペースデザイン部)そして日本画部(後の創画会)が合流しています。その日本画部には本ブログでおなじみの同郷の福田豊四郎氏が加わっています。同郷の志ある画家らが新しい日本画、洋画を模索していた時代であったのでしょう。
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紅安南の作品は赤や緑や黄色の顔料を用いて作られるようになったのですが、中国に比べ低い温度で焼き付けるために釉薬が剥がれやすく、すぐに色が褪せてしまうことが多い。 現在では作品の赤い部分が剥落してほとんど残っていない作品が多く、後世になって絵をなぞって赤を乗せる、いわゆる“後絵”が多いため400年前の赤が残っている作品は非常に貴重らしい。紅安南の真骨頂はやはり茶碗です。皿や鉢の作品は品格が格段に落ちます。「へうげもの 20巻」にも登場している重要美術品として指定されている作例があります。
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藤井は独学であり、転居を繰り返したため住まいはしばしば変わり、また大きな展覧会に作品を出品することもほとんどなく、画商に作品を売り込みもしませんでしたので、その点では浦上玉堂と大いに共通するところがあります。
*本日の朝の5時、家内が「さ~、起きて、5時よ。」と言いながら、小生にメモ用紙を渡してから食事の支度に階下に降りて行きました。そのメモ用紙には「太都岐知(たつきち)」と書かれていました。「なるほど、藤井達吉→たつきち→太都岐知ということか!」と思わず合点。本日のブログを朝起きてから見たようです。(本日早朝追記)
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ま~、どちらの仙人にしても人を食った作品・・・。杖を胸元にたてかけた李鉄拐は、ちょうど魂を吹き出した所で、もとの体は脱けがらとなってすでに死色を帯び、硬直し始めている様子を描いた作品です。けっして孫悟空のように自分の分身をたくさん出す術ではありません。
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豊富なバリエーションが源内焼の奥深いところです。同じ型でも三彩もあれば単色のものもあり、マニアックな蒐集対象というには違いがはっきりしており、これらで食卓を飾るのも愉しいでしょう。今回の作品程度の大きさなら取り皿でも面白いかと・・。 . . . 本文を読む