本作品は表具がかなり痛んでいましたし、軸先は他に転用されたのか取れて無残なことになっています。改装しなくてはいけませんが、打ち捨てておくにはもったいないと思い、購入しました、箱の作りから二重箱になっていたと思われます。どうしてこのようなことになるのか不思議です。 . . . 本文を読む
釧雲泉の作品は前期の頃が自由奔放で、後期の作品は重々しい雰囲気とされ、前期の作品のほうが評価が高いしょうですが、本作品は端境期のようですが、どちらかというと後期の作行に近いもののように思います。
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全23作品の整理もほぼ終わり、市場に倉田松涛の良い作品も見当たらくなりましたので、20年以上かけて蒐集しました当方の倉田松涛の蒐集についてそろそろ終止符を打とうと思っています。 . . . 本文を読む
「月百姿」は明治19~25年(1886~92)、すなわち、今から約130年以上前に制作されています。しかしながら、大胆な視点から切り取った迫力ある構図や、月夜の静けさがしみわたるような静謐感、さらには粋を極めた彫りや摺りの美しさなど、新鮮な魅力にあふれています。
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明治43年の暮れ、中将湯本舗津村順天堂(現ツムラ)の創業者として知られる元貴族議員津村重舎の依頼によって描かれた六曲屏風二双のうちの一双に「竹梅図」があり、夫人と眺めていた津村氏が、竹と梅だけでは寂しいので、なにか小鳥でも描いて欲しいと寺崎廣業に所望すると、廣業は「それは竹内栖鳳先生にお願いするのがいい。」と答えたという。その後十年ほどで寺崎廣業が亡くなり、津村氏が積年の願いを果たすべく、寺崎廣業逝去後14年を経た昭和7年に、津村氏が竹内栖鳳に依頼した作品。この絵をみた竹内栖鳳は「明るい気持ちの良い作品ですね。」と頷き、快諾したという。昭和7年4月18日午後、津村邸を訪れた竹内栖鳳は、4時間ばかりの後に鶺鴒一羽と雀三羽を描き添えて、四羽で4時間という時間を費やして完成した。
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弓馬、刀槍、水練などの武芸にも長じ、落款には「弓馬余興」の印をしばしば用いた。更に「因州臣」「因藩臣」と入った作もあり、これらは、自分はあくまで武士であり絵は余興にすぎないという稲皐の矜持を表している。
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