平福穂庵の初期に近い作品か? 筋はよさそうな作品です。
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昭和21年、横山大観のすすめで茨 城県五浦の大観別荘に移り住み、ようやく太平洋側ののどかな場所で落ち着いて暮らせるようになります。本作品はその当時になったからの作品ではないかと推察しています . . . 本文を読む
見込みの陰刻はお茶碗として、また食器としても飲したり、食した後の楽しみにもなりますね。高台が思いのほか浅いのでお茶碗としては使いにくいものになりますし、また薄手なのでお茶が熱く感じてしまうのでこれもまた茶碗としては使いづらいことになりそうです。
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「画は人のためでなく己の楽しみのためとし、胸中に真山水を貯えれば、自ずと手が応じるとして、写意のある画を求道した。」とありますが、我に置き換えると「骨董は人のためでなく己の楽しみのためとし、胸中に真物を貯えれば、自ずと手が応じる。」 さらには我が息子が新聞を見て突然漢字を書きだしたようなものか? 父子は似たらしい・・・
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収納箱は残念ながら共箱ではありません。このような場合は飾ることを主体に額装にすることもあります。近年、軸装の作品は飾る場所がないことや扱い方を知らない人が多いので軸装の作品は敬遠されています。まだ染み抜きするほどではありませんが、シミが入り始めているという保存上からも、思い切って額装にしてしまうことにしました。
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「果たして清風を心行くまで吹かせることができるだろうか?」 誰もが願う人生の究極の境地か・・。私どもとしては、この初釜の席が訪れた方にとっていいものだったかどうかという心配を表したような作品でもあります。
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困窮生活にかかわらず、少しも貧乏くさいところがなく、甘美な情緒さえたたえ、力まず、気取らず、よごれず、遥々とし美の国に遊んでいる。絵のかき方は南画だが、南画といっても児童画のような自由さをはらみ、香り高い色感をもっている。よくもこの境地まで行ったものだ。世間に画家は多いし、えらい人も多い。しかし、その中でこの名も無く貧しい画家がひとり静かに実現しているものは、決して見過ごすべきものではない、画家らしい画家のひとりがこんなところにもいたことを私は喜ぶ。その画家の名は楠瓊州である。 . . . 本文を読む