
先日訪れた箱根の岡田美術館・・、とにもかくにも素晴らしい逸品揃い。息子を義父と義母に遊んでいただき、エントランスにて待ってもらっての見学のため、急いでみて回り、少し消化不良でしたので、図鑑を買ってきました。

じっくり見てきたかった作品がいくつかありましたが、図録には掲載されていない作品も数多くあり、再訪問の必要がありそうです。思うにまかせないことが多いのが世の常・・・。

均窯の作品もそのひとつ。当方の作品とは見比べようもないが・・。

耀洲窯の作品もそのひとつ。

こちらの窯の作品は当方の作品も自信あり・・。

さて「中村左洲」のこの作品を見つけましたので、本日紹介いたします。この画家を知っている方はかなり数少ないと思われます。
前々からこの画家の作品は欲しいと思っていましたが、なかなか縁に恵まれませんでした。たまに作品と出会うことがあっても、ありきたりの構図の「鯛」の作品であったり、しかも怖い?「鯛」の作品であったりでさっぱりめでたさが伝わってこない作品であったりで、触手をのばすところまでの作品にはめぐり合えていませんでした。
今回はちょっと無理をして入手しましたが、忘れさられた画家とはいえ入手金額は当方の予想を越えました。いい作品はそれなりの値段はするものと再認識しました。
游鯛図 中村左洲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 昭和19年共箱
全体サイズ:縦1883*横540 画サイズ:縦1282*横423

そもそも中村左洲の作品がいいと思ったのは思文閣の墨蹟資料目録「和の美」に掲載されていた美人画であったように思います。ただし中村左洲の作品といったら「鯛」です。ただし前述のように中村左洲の鯛の作品はどれでもいいということではなさそうです。
まず半切の作品は魅力がありません。やはり長条幅のように縦長の作品でないと魅力が少ないと思われます。そして鯛は一匹や二匹ではなく、群鯉が良いようで、しかもにユーモラスな表情のある作品が中村左洲の魅力のようです。

鯛や鮎(小泉斐・檀山)、虎(大橋翠石・岸駒)などの各々画題で著名なそれぞれの画家がいますが、彼らのすべての得意とする画題の作品がいいというものでもないので、吟味して入手する必要があります。

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中村左洲
日本画家。三重県生。名は作十。磯部百鱗に師事、四条派を学ぶ。山水や魚の絵を能くする。巽画会会員。岐阜絵画展一等賞受賞。文展入選。昭和28年(1953)歿、80才。

中村左洲といえば、 伊勢地方では 「鯛の左洲さん」 として広く親しまれている画家です。 左洲は明治 6年(1873)、現在の二見町の出身。昭和28年に81歳で没するまで、終生二見の地にあって鯛の絵をはじめとする多くの作品を残しました。

10歳で父を亡くした左洲は、生業の漁業に従事するかたわら、伊勢在住であった四条派の画家磯部百鱗から絵の手ほどきを受けます。明治28年の第4回内国勧業博覧会に出品した「製塩図」が褒状を受け、以後東京で開催される展覧会にも出品するようになりました。

大正6年(1917)の第11回文展では、入選した「群れる鯛」 が*御木本幸吉の眼にとまり、 買い上げられたという逸話が伝えられています。
*本作品は昭和18年初秋に描かれ、箱書は昭和19年5月に記されている作品です。

左洲が師事した百鱗は、江戸時代後期以降、全国的に流行した四条派の画家でしたから、 左洲の作品も温雅な写実表現を基調とするようになりました。

伊勢では、左洲といえば鯛の専門画家のようにいわれており、それは左洲が漁師でもあったこと、 魚類は円山四条派の重要な写生対象であったこと、 鯛の絵は吉祥画として多くの需要があったことなどが主な理由のようです。
確かに、鯛を描いた作品には終生伊勢の海に親しみ、伊勢志摩の自然と一体化したかのような彼の特質を見ることができます。一方、内宮や外宮、山岳風景を主題とした情趣こまやかな風景作品には画家中村左洲の技量が より強く現れているように思われます。伊勢神宮が近くにあり、皇族や宮司からの依頼や招待が多く、作品を献上することもあったとのこと。

*御木本 幸吉:(みきもと こうきち、安政5年1月25日(1858年3月10日) - 1954年(昭和29年)9月21日)。日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。真珠王とも呼ばれた。
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中村左洲と伊勢神宮、ミキモトとの関連性があることも興味深い話です。

本作品は中村左洲の鯛を描いた作品の中でも秀作とだと思います。
描いている鯛の表情が実にユーモラスで面白く、通常は数匹しか描かない作品が多い中で、5匹の鯛を人物のように相関している構図は面白い。昭和18年初秋に描いて、昭和19年5月に箱書をしていますが、戦時の中、これほど明るく描けていることには驚かされます。

本作品の鯛を見て、息子曰く「お店にいたよ!」だと、むろん魚屋での鯛・・・。

試食コーナーの常連となった息子は「美味しいね~。」と言って店員さんと仲良しになっていました。

美術館の一流品にしろ、試食の模倣品にしろ、贋作にしろともかくトライしないことには味は解らないもの。所詮本物と模倣品、贋作らは紙一重、ただし評価は雲泥の差、一度きりの人生、hutokoroguaiの許す限りトライすることからすべては始まる。

じっくり見てきたかった作品がいくつかありましたが、図録には掲載されていない作品も数多くあり、再訪問の必要がありそうです。思うにまかせないことが多いのが世の常・・・。

均窯の作品もそのひとつ。当方の作品とは見比べようもないが・・。

耀洲窯の作品もそのひとつ。

こちらの窯の作品は当方の作品も自信あり・・。

さて「中村左洲」のこの作品を見つけましたので、本日紹介いたします。この画家を知っている方はかなり数少ないと思われます。
前々からこの画家の作品は欲しいと思っていましたが、なかなか縁に恵まれませんでした。たまに作品と出会うことがあっても、ありきたりの構図の「鯛」の作品であったり、しかも怖い?「鯛」の作品であったりでさっぱりめでたさが伝わってこない作品であったりで、触手をのばすところまでの作品にはめぐり合えていませんでした。
今回はちょっと無理をして入手しましたが、忘れさられた画家とはいえ入手金額は当方の予想を越えました。いい作品はそれなりの値段はするものと再認識しました。
游鯛図 中村左洲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 昭和19年共箱
全体サイズ:縦1883*横540 画サイズ:縦1282*横423

そもそも中村左洲の作品がいいと思ったのは思文閣の墨蹟資料目録「和の美」に掲載されていた美人画であったように思います。ただし中村左洲の作品といったら「鯛」です。ただし前述のように中村左洲の鯛の作品はどれでもいいということではなさそうです。
まず半切の作品は魅力がありません。やはり長条幅のように縦長の作品でないと魅力が少ないと思われます。そして鯛は一匹や二匹ではなく、群鯉が良いようで、しかもにユーモラスな表情のある作品が中村左洲の魅力のようです。

鯛や鮎(小泉斐・檀山)、虎(大橋翠石・岸駒)などの各々画題で著名なそれぞれの画家がいますが、彼らのすべての得意とする画題の作品がいいというものでもないので、吟味して入手する必要があります。

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中村左洲
日本画家。三重県生。名は作十。磯部百鱗に師事、四条派を学ぶ。山水や魚の絵を能くする。巽画会会員。岐阜絵画展一等賞受賞。文展入選。昭和28年(1953)歿、80才。

中村左洲といえば、 伊勢地方では 「鯛の左洲さん」 として広く親しまれている画家です。 左洲は明治 6年(1873)、現在の二見町の出身。昭和28年に81歳で没するまで、終生二見の地にあって鯛の絵をはじめとする多くの作品を残しました。

10歳で父を亡くした左洲は、生業の漁業に従事するかたわら、伊勢在住であった四条派の画家磯部百鱗から絵の手ほどきを受けます。明治28年の第4回内国勧業博覧会に出品した「製塩図」が褒状を受け、以後東京で開催される展覧会にも出品するようになりました。


大正6年(1917)の第11回文展では、入選した「群れる鯛」 が*御木本幸吉の眼にとまり、 買い上げられたという逸話が伝えられています。
*本作品は昭和18年初秋に描かれ、箱書は昭和19年5月に記されている作品です。


左洲が師事した百鱗は、江戸時代後期以降、全国的に流行した四条派の画家でしたから、 左洲の作品も温雅な写実表現を基調とするようになりました。

伊勢では、左洲といえば鯛の専門画家のようにいわれており、それは左洲が漁師でもあったこと、 魚類は円山四条派の重要な写生対象であったこと、 鯛の絵は吉祥画として多くの需要があったことなどが主な理由のようです。
確かに、鯛を描いた作品には終生伊勢の海に親しみ、伊勢志摩の自然と一体化したかのような彼の特質を見ることができます。一方、内宮や外宮、山岳風景を主題とした情趣こまやかな風景作品には画家中村左洲の技量が より強く現れているように思われます。伊勢神宮が近くにあり、皇族や宮司からの依頼や招待が多く、作品を献上することもあったとのこと。

*御木本 幸吉:(みきもと こうきち、安政5年1月25日(1858年3月10日) - 1954年(昭和29年)9月21日)。日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。真珠王とも呼ばれた。
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中村左洲と伊勢神宮、ミキモトとの関連性があることも興味深い話です。

本作品は中村左洲の鯛を描いた作品の中でも秀作とだと思います。
描いている鯛の表情が実にユーモラスで面白く、通常は数匹しか描かない作品が多い中で、5匹の鯛を人物のように相関している構図は面白い。昭和18年初秋に描いて、昭和19年5月に箱書をしていますが、戦時の中、これほど明るく描けていることには驚かされます。

本作品の鯛を見て、息子曰く「お店にいたよ!」だと、むろん魚屋での鯛・・・。

試食コーナーの常連となった息子は「美味しいね~。」と言って店員さんと仲良しになっていました。

美術館の一流品にしろ、試食の模倣品にしろ、贋作にしろともかくトライしないことには味は解らないもの。所詮本物と模倣品、贋作らは紙一重、ただし評価は雲泥の差、一度きりの人生、hutokoroguaiの許す限りトライすることからすべては始まる。