伝統の中に独自のセンスを盛り込んだ作風で万人を魅了した。 . . . 本文を読む
福田豊四郎の作品の愛好家は初期のノスタルジックな作品が好きという方と、最盛期のでデフォルメされた抽象的な作品が好きだという方に二分されるようです。小生は両方ともに好きなのですが・・。
「我がうたはふるさとのうた」の一部より「いつとはなく都にすみてみなれざる街を歩めども 我れはさみしき 我がうたに聞く人ありやなしやと 豊」 . . . 本文を読む
知名度は高くない画家ですが、いずれの作品もしっかりと描かれており、本作品のように力作ではない作品にも特徴が良く出ている画風で描いています。当たり外れのない画家として?注目してよいでしょう。
. . . 本文を読む
河井寛次郎談:次郎は珍らしい位よくできた人で、氣立てのよい素晴らしい仕事師である。轆轤ならばどんなものでもやってのける。彫ったり描いたりする模樣もうまく、 陶器の仕事で出來ないものはない。中折の古帽子を此節流行する戰鬪帽風に切り取ったのを冠つて、池の縁の轆轤場に坐つて、向ふの道行く人に毎日素晴らしい景色を作つてくれて居る。(『工藝』第99号)
. . . 本文を読む
陶磁器で一家相伝のものにいいものは存在し続けないというのは原則です。陶磁器には人格がでますし、人格が優先で技量などは二次的なものであると考えています。それが家伝になるはずはないのです。
. . . 本文を読む
小川芋銭の作品について、小川芋銭研究センターの首席学芸員が『小川芋銭全作品集』(挿絵編)で近年こう書いている記述があります。
「芋銭は贋作の非常に多い画家でもある。市中に出回っている作品の七~八割は、真筆と認めがたいと囁かれているほどである。「小川芋銭研究センター」を立ち上げてから、多くの芋銭作品が持ち込まれたが、総てと言っても良いほど一顧に値しないものばかりで、気持ちの晴れ晴れする作品に巡り合う機会には恵まれなかった。」
. . . 本文を読む
浜田庄司談:沖縄壺屋の陶工、金城次郎君ほど、まちがいの少ない仕事をしてきた陶工を私は知らない。それも、ほとんど意識していない点を高く認めたい。縁あって君が十三、四才の頃から、私が壺屋の仕事場に滞在するたびに、手伝ってもらってすでに五〇年、君が魚の模様を彫っている一筋の姿を見つづけてきた。君は天から恵まれた自分の根の上に、たくましい幹を育てて、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた。次郎君の仕事は、すべて目に見えない地下の根で勝負している。これは、一番正しい仕事ぶりなので、いつも、何をしても安心して見ていられるが、こうした当然の仕事を果たしている陶工が、現在何人いるであろうか。本土での会はもちろん、海外での会の場合を想っても少しの不安もない、えがたい陶工と思う。濱田庄司 「安心して見守れる仕事-金城次郎・個展開催に寄せて推薦文(1971)」~『琉球陶器の最高峰 人間国宝 金城次郎のわざ』(1988・朝日新聞社)
. . . 本文を読む