旅の帰りにお土産を持って母の誕生祝に母のいる姉のところへ立ち寄り。
帰宅後、姉から家内の誕生日(母の一日違い)の花。
赤絵文様壷 壷屋焼 仁王銘
口径105*胴径160*高台径95*高さ160
壺屋焼の伝統を支えた数多くの陶工の中でも、特にその技術・功績が称えられ「壺屋の三人男」と呼ばれた小橋川永昌(二代目仁王1909~1978)、金城次郎(1912~2004)、新垣栄三郎(1921~1984)がいます。本作品が初代、あるいは2代目仁王の作品か、単なる工房作品かは不明ですが、いずれにしてもそれほど高価な作品ではありません。
沖縄の焼き物は浜田庄司とも縁が深いものがあります。よくある浜田庄司の草文様は沖縄の「とうきび」をモチーフしたものです。浜田庄司も一時期に赤絵を製作していました。
私はいままで沖縄の焼き物にはほとんど興味がありませんでした。名前としては金城次郎くらいしか知りませんでした。なんでも鑑定団にも出品されていた作品を拝見しましたが、あまり興味がありませんでした。
底に「仁王」という銘がありますが、詳細は不明です。
いずれにしても今少し勉強の必要のある分野ですが、無骨すぎてあまり好きになれない焼き物のひとつです。
姉に感謝。
帰宅後、姉から家内の誕生日(母の一日違い)の花。
赤絵文様壷 壷屋焼 仁王銘
口径105*胴径160*高台径95*高さ160
壺屋焼の伝統を支えた数多くの陶工の中でも、特にその技術・功績が称えられ「壺屋の三人男」と呼ばれた小橋川永昌(二代目仁王1909~1978)、金城次郎(1912~2004)、新垣栄三郎(1921~1984)がいます。本作品が初代、あるいは2代目仁王の作品か、単なる工房作品かは不明ですが、いずれにしてもそれほど高価な作品ではありません。
沖縄の焼き物は浜田庄司とも縁が深いものがあります。よくある浜田庄司の草文様は沖縄の「とうきび」をモチーフしたものです。浜田庄司も一時期に赤絵を製作していました。
私はいままで沖縄の焼き物にはほとんど興味がありませんでした。名前としては金城次郎くらいしか知りませんでした。なんでも鑑定団にも出品されていた作品を拝見しましたが、あまり興味がありませんでした。
底に「仁王」という銘がありますが、詳細は不明です。
いずれにしても今少し勉強の必要のある分野ですが、無骨すぎてあまり好きになれない焼き物のひとつです。
姉に感謝。
いい花活けをお持ちですね。
こちら2代目仁王 壷屋焼登り窯時代の物とお見受けします。
ノリのいい赤絵と 可愛らしい撫子文!
私は仁王窯大好きです!
御不用の際にはお声掛け頂けると うれしいです。
ご不用の際にはお声掛け・・、覚えておきましょう
壺屋赤絵染付壺
胴径200*口径115*底径115*高さ190
http://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/e/7e591671c79d48cdf24e5c5cce83e5d5
沖縄の赤土に沖縄の白土の白掛けの 上焼きと呼ばれる類で、文は なでしこ文と幾何学問でよろしいんじゃないでしょうか。
明治・大正あたり、 沖縄の赤絵じゃないのは本土の有田とかの赤絵釉で描かれています。
沖縄伝統の赤絵手法を再現されたのが 小橋川 永昌さん。ですから初代の赤絵はないんですよ。
今は4代目襲名に向けて 後継ぎさんが頑張っておられます。
http://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/e/3049a484b8b0b8a48ce12fcdb6f97176
が尋ね者です。アドレスを間違えていたようです。
本作品「赤絵文様壷 壷屋焼 仁王銘」については「仁王」のサインが違うのでは?ということで判断を控えていました。
これはちょっとわかりません・・・。飛びかんな、唐草彫、の模様飴釉の発色から新垣窯の関わられたの方が作られた気がします。
色使い発色からすると 昭和47年以降のガス窯のお品かと思います。
上焼の色釉に呉須を使う手法は 江戸初期からあり、
というのも、清朝貿易で染付が入ってきてそれが主体でしたので 呉須絵は永く使われています。
近年にこういった山水景を窓絵にしたものが少ないので 珍しいですよね。
丁寧いに作られた良いお品をは拝見させていただきありがとうございました。
仁王さんの「くっつきの王」は 登り窯時代に見受けられます。 作品、名の入れ方から 偽物ということはないですよ。
私の方の仁王記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/tihayamama46/64469929.html
たいへん参考になりました。
茶キチさんのブログは非常におもしろいですね。
今後もいろいろと参考にさせていただきます。