訂正:2015年2月3日 本作品は「大津絵は昭和に入ってから贋作が作られるようになり、紙自体に茶などで古色をつけ、古く見せるために折っていく。そのため折り目が均等に入っているようなものは割に贋作が多い。」という観点から再チェックする必要がります。
今週は月曜日から飲み会、麻雀、OB会、午前様、横浜で懇親、そして昨日は仙台・・。
仙台は現場訪問後、時間があったので一人で2時間ほど散策。8年ぶりにゆっくりと赴任していた頃の営業所、訪問先、よく通った骨董店などを歩きまわりました。もう戻れない時間を思うと思わず抜けるような空を見上げてしまいます。藤沢周平の小説の文章が頭をよぎります。
夕刻からは元同僚の女性の経営する料理屋で元の会社の同窓会に出席し、最終の新幹線にて帰宅しました。
さて本日の投稿作品は最近人気の大津絵です。とくに「鬼の寒念仏」はその頂点ともいえる作品です。わりと高価で最近のネットオークションでも落札金額が10万を越えていました。本作品は数千円での入手です・・。
大津絵にはそ各々の絵に意味が込められています。その意味を調べることも大津絵の面白みのひとつです。最近、大津絵の人気は高く、新たしい現代のものも評価が得られているようですが、なんといって江戸期のものがいいです。
大津絵 その8 鬼の寒念仏
紙本着色 画サイズ:横246*縦720
まくりの状態での入手です。額装にしようかと考えていたら、家内は軸装にして茶掛けにしたいようです。それは妙案かと思いますが。寄り付きに飾るのが人気のようです。ちと題材が一般的かもしれません。もっと意味深い大津絵はたくさんあります。
鬼が僧衣をまとっている絵で、慈悲ある姿とは裏腹な偽善者を諷刺したものです。
恐ろしい鬼が念仏を唱え、お布施を乞って歩いている絵の意味するところは、鬼の姿は慈悲のない心、僧形は形だけの善行で偽善をなす人の「たとえ」といわれています。鬼の住まいは人間の心の内にあるということで、描かれた鬼の角は、佛の教えである三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)いわゆる人々の我見、我執であると言えます。
人は自分の都合で考え、自分の目でものを見、自分にとって欲しいもの、利用できるもの、自分により良いものと、限りなく角を生やします。大津絵の鬼は、それを折る事を教え、鬼からの救いを示唆しているとも言われています。
大津絵師は特に「雷」と「鬼」を区別していないことが、絵を見ると解ります。 俵屋宗達が江戸初期に描いた「風神雷神図屏風」にも雷が登場しますが、このあたりが大津絵にも影響を与えた可能性も指摘されているところです。
ともあれ、「鬼=雷」が人々に畏れをもって膾炙していたことは間違いなく、その怖い鬼が滑稽な姿を演じるところが大津絵の鬼が面白がられた理由でしょう。
大津絵には道歌が添えられることも多いのですが、この絵に添えられることの多い代表的なものは2つほどあり、「真なき姿ばかりは墨染の心は鬼に現れにけり」「慈悲も無く情けもなくて念仏をとなふる人の姿とやせん」という歌です。
人生、欲をいうときりがない、結局金も名誉も地位も自分を追い詰めるもの、欲を折ることから生きる意味が生まれてくるし、死ぬるための準備ができてくる。そんな単純なことを解かる人は世には非常に少ない。
今週は月曜日から飲み会、麻雀、OB会、午前様、横浜で懇親、そして昨日は仙台・・。
仙台は現場訪問後、時間があったので一人で2時間ほど散策。8年ぶりにゆっくりと赴任していた頃の営業所、訪問先、よく通った骨董店などを歩きまわりました。もう戻れない時間を思うと思わず抜けるような空を見上げてしまいます。藤沢周平の小説の文章が頭をよぎります。
夕刻からは元同僚の女性の経営する料理屋で元の会社の同窓会に出席し、最終の新幹線にて帰宅しました。
さて本日の投稿作品は最近人気の大津絵です。とくに「鬼の寒念仏」はその頂点ともいえる作品です。わりと高価で最近のネットオークションでも落札金額が10万を越えていました。本作品は数千円での入手です・・。
大津絵にはそ各々の絵に意味が込められています。その意味を調べることも大津絵の面白みのひとつです。最近、大津絵の人気は高く、新たしい現代のものも評価が得られているようですが、なんといって江戸期のものがいいです。
大津絵 その8 鬼の寒念仏
紙本着色 画サイズ:横246*縦720
まくりの状態での入手です。額装にしようかと考えていたら、家内は軸装にして茶掛けにしたいようです。それは妙案かと思いますが。寄り付きに飾るのが人気のようです。ちと題材が一般的かもしれません。もっと意味深い大津絵はたくさんあります。
鬼が僧衣をまとっている絵で、慈悲ある姿とは裏腹な偽善者を諷刺したものです。
恐ろしい鬼が念仏を唱え、お布施を乞って歩いている絵の意味するところは、鬼の姿は慈悲のない心、僧形は形だけの善行で偽善をなす人の「たとえ」といわれています。鬼の住まいは人間の心の内にあるということで、描かれた鬼の角は、佛の教えである三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)いわゆる人々の我見、我執であると言えます。
人は自分の都合で考え、自分の目でものを見、自分にとって欲しいもの、利用できるもの、自分により良いものと、限りなく角を生やします。大津絵の鬼は、それを折る事を教え、鬼からの救いを示唆しているとも言われています。
大津絵師は特に「雷」と「鬼」を区別していないことが、絵を見ると解ります。 俵屋宗達が江戸初期に描いた「風神雷神図屏風」にも雷が登場しますが、このあたりが大津絵にも影響を与えた可能性も指摘されているところです。
ともあれ、「鬼=雷」が人々に畏れをもって膾炙していたことは間違いなく、その怖い鬼が滑稽な姿を演じるところが大津絵の鬼が面白がられた理由でしょう。
大津絵には道歌が添えられることも多いのですが、この絵に添えられることの多い代表的なものは2つほどあり、「真なき姿ばかりは墨染の心は鬼に現れにけり」「慈悲も無く情けもなくて念仏をとなふる人の姿とやせん」という歌です。
人生、欲をいうときりがない、結局金も名誉も地位も自分を追い詰めるもの、欲を折ることから生きる意味が生まれてくるし、死ぬるための準備ができてくる。そんな単純なことを解かる人は世には非常に少ない。
一枚は落款が入っています。もう一枚は無落款です。落款は幸雪です。岐阜の画家国井幸雪です
大変大津絵が上手です二枚綴りでいろいろな大津絵の図柄書いています。たまに落款が入っています。ほとんどが無落款です。虚無僧、藤娘、座頭、雷公、舞妓、毛ぞり、奴、等です今でも江戸時代の大津絵で結構売っています。
私は国井幸雪大津絵のコレクターです江戸時代の雰囲気があり状態が良いので大好きです。幸雪作品12枚もっています。見分け方は状態が良いのと
黄色、赤色で見分けます。状態の悪いのは色が落ち江戸時代の大津絵と見分け付きません。
私も大津絵集めています。