夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

氏素性の解らぬ作品 壷と大皿 伝金城次郎作

2017-03-22 00:01:00 | 陶磁器
家内のブログは12年目を迎えたようですが、家内に勧められて初めて小生のブログは8年を過ぎました。延べで400万回の閲覧、65万人の訪問を超えましたが、その数の多い少ないは当方ではあまり問題ではなく、たしかに第三者を交えるというリスクはありますが、検索性は高いので非常に記録として便利なものです。当方の記録にない場合は、ブログを検索したようが早いくらいです。ときおり投稿済みの原稿を修正できるのも利点です。

家内とのコミュニケーションも骨董が契機のように思いますが、その家内が作るお弁当の箸袋はどうも手作りらしく、毎日違うらしい・・



とはいえ毎日作るのはお弁当で、箸袋はまとめて作るようです。



何事も手作り、リサイクルは骨董に通じるようです。

さて、本日の作品ですが、そろそろ最後となる金城次郎氏と思われる作品の紹介です。

金城次郎氏の作品の醍醐味は大きさのある大皿と大きな壷にあります。そのほとんどが1978年に高血圧で倒れれる前の作品ではないかと思います。

壺屋焼 小鹿田風呉須魚文大皿 金城次郎作
口径415*高台径*高さ74



外側には窯割れと思われるひびが入っています。

金城次郎は高台部に傷がついたもの、あるいは焼成中にゆがみが生じたものも、注文主に渡したり、一般に販売したりしていたそうです。

琉球王府時代に窯業関係を所管した行政組織、瓦奉行所には多くの職人たちの中に「洩壺修補細工」という職人が配属されており、焼成で生じた傷・ひびを補修して市場に出すことは一般的だったようです。



近代期でも壺屋の製品は、通常は東町の焼物市場で売買されますが、歪みや傷が生じた製品は別の専門の市場で売買されていたそうです。中国の官窯、鍋島焼、伊万里焼のように厳しく出荷管理は行なわれていなかったのでしょう。

金城次郎にとっても、焼成による失敗品でも売買することに抵抗感はなかったでしょう。むしろ窯の中で生じる変化に、積極的意義を見出そうとしているかのように思われます。

むろん当方もこういう窯割れは無頓着ですし、かえって好きなくらいです。



裏側には掻き銘があります。



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河井寛次郎談:次郎は珍らしい位よくできた人で、氣立てのよい素晴らしい仕事師である。轆轤ならばどんなものでもやってのける。彫ったり描いたりする模樣もうまく、 陶器の仕事で出來ないものはない。中折の古帽子を此節流行する戰鬪帽風に切り取ったのを冠つて、池の縁の轆轤場に坐つて、向ふの道行く人に毎日素晴らしい景色を作つてくれて居る。(『工藝』第99号)

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人間国宝になる前の金城次郎はたんなる陶工で、せいぜい一作品が数百円から千円単位で売買していたとのことです。そしてこの頃の作品に秀作が多く、とくに大きな皿や壷に優れた作品があると思います。



以前にも記述したように金城次郎は1978年に高血圧で倒れ入院後はリハビジに励みながら作陶に向かつていたために、その後には大きな皿や壷の作品は製作に支障があったのか数が多くありません。



共箱のある作品には以前に製作した作品に共箱を誂えたり、製作時期が以前の作品に依頼されて共箱を作ったり、銘を書いたりはしているものもあり、共箱があるからといって秀作ではないとは限らないないでしょう。



作品の判断として皿や壷なども含めて釉薬に「てかり」のある作品は味わいが落ちます。渋い発色、釉薬や呉須に滲みのあるもの、彫りに勢いのある作品が味わい深い作品となっています。皿なら大きさは40センチ以上がいいでしょう。




壺屋焼 刷毛目白化粧地呉須線彫魚海老文大壺
金城次郎作
口径*最大胴径198*高台径*高さ290



金城次郎の壷は大きいほど良く、30センチを超えるものにいい作品があるようです。本作品は30センチを超えていませんが、釉薬に味わいがあります。



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浜田庄司談:沖縄壺屋の陶工、金城次郎君ほど、まちがいの少ない仕事をしてきた陶工を私は知らない。それも、ほとんど意識していない点を高く認めたい。縁あって君が十三、四才の頃から、私が壺屋の仕事場に滞在するたびに、手伝ってもらってすでに五〇年、君が魚の模様を彫っている一筋の姿を見つづけてきた。君は天から恵まれた自分の根の上に、たくましい幹を育てて、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた。次郎君の仕事は、すべて目に見えない地下の根で勝負している。これは、一番正しい仕事ぶりなので、いつも、何をしても安心して見ていられるが、こうした当然の仕事を果たしている陶工が、現在何人いるであろうか。本土での会はもちろん、海外での会の場合を想っても少しの不安もない、えがたい陶工と思う。濱田庄司 「安心して見守れる仕事-金城次郎・個展開催に寄せて推薦文(1971)」~『琉球陶器の最高峰 人間国宝 金城次郎のわざ』(1988・朝日新聞社)

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刷毛目の白釉薬が筋上になっている作品は珍しいと思います。本作品は高台内に掻き銘が入っています。



彫りは奔放・・・・。



共箱や銘で作品を判断しない、評価金額で判断しないと建前では言えますが、これが非常に難しい

思い悩みながら「氏素性の解らぬ作品」が増えてきました。



壷は30センチを越える大きさが良いようです。



皿は40センチを越えるもの・・。



繰り返すようですが、純粋に蒐集するなら銘や共箱は二の次としないといいものが集まらないようです。



窯割れはかえってあったほうがいい作品があるようです。



最後の作品、この大皿が小生のお気に入り・・・。銘もなく、氏素性の解らぬ作品ですがね 

妻の箸袋にも当然、銘はない。ましてや、弁当の料理にも。食べたら賞味は終わり、骨董も同じこと。



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