先週末は久方ぶりで倉庫改修の打ち合わせでした。大工仕事は最終段階となり、妥協を許さぬ?設計や大工と打ち合わせです。
炉のセット・・、今は近代的になっています。天井もあらかた張り終わりました。
水屋への通路も・・・。
茶室の裏方も・・・。
収納も・・・。
2階も・・・・。
あらかた問題解決と思いきや次々と問題が発生するのが昨今・・。TKスーパーからずいぶん前に譲り受けたパラソル。もう捨てるものと思いきや、摂っておきたいと・・。そこで広げてみると・・。
いける! 庭での野点用・・・・。
支持する部品が見当たらない・・。これは庭に隠れ基礎をつくろうか? しかも二つある・・。
アイデアは尽きないもの・・。
さて本日は先日に投稿した作品の女流画家の師であり、本ブログでおなじみの小生の郷里出身の画家である寺崎廣業の作品です。
箱などなく軸本体のみで売られていた作品です。通常であれば贋作の多い寺崎廣業の作品としては入手の食指を動かすべきでない作品ですが、年号が記してあったので購入した作品です。
朝陽松ニ鶴図 寺崎廣業筆 その35
絹本着色軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:縦2130*横815 画サイズ:縦1385*横670
賛には「明治甲辰正月八日於白井□□ 廣業写 押印」とあり、明治37年(1904年)の制作の大幅の作品です。明治37年は廣業が39歳の頃で各種展覧会で入選を果たすなど活発に制作活動を始めた頃です。
新年を迎えて興にのって描いた作品ではなかろうかと思われます。席画程度の作品ですが、描いた年号まで記した作品は意外に珍しいようです。
落款は「二本廣業」の最初の字体から次の字体に移る頃です。印章は「秀斎廣業」と落款を押印していた頃の作品にも押印されている印章です。
他の所蔵作品と比較すると下記の作品があげられます。
勿来の関 寺崎廣業筆
絹本着色軸装 合箱入
全体サイズ:縦2010*横560 画サイズ:縦1130*横430
この参考作品の画題は八幡太郎と称された源義家(1039年~1106年)です。「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた人ですが、歌人でもあった。前九年・後三年の役あたりで奥州に向かうときに詠んだとされる、千載集に掲載された一首、「陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」をイメージした作品です。
寺崎廣業がまだ「秀齋」と号していた頃の作品で「秀齋廣業」の落款が記されおり、印章が「廣業」の二重丸白印ですが、この印章が本作品と同一印章です。
掛け軸の廉価さとともに打ち捨てられるように寺崎廣業などの秋田県出身の画家の作品が葬り去られていようとしています。地方の衰退の象徴でしょうが、その作品を少しでも保存しようという一助になれば・・。
掛け軸も建物も同じ・・、いかに保存しいくのかは命題としてある。おおいにリサイクルしましょう。
炉のセット・・、今は近代的になっています。天井もあらかた張り終わりました。
水屋への通路も・・・。
茶室の裏方も・・・。
収納も・・・。
2階も・・・・。
あらかた問題解決と思いきや次々と問題が発生するのが昨今・・。TKスーパーからずいぶん前に譲り受けたパラソル。もう捨てるものと思いきや、摂っておきたいと・・。そこで広げてみると・・。
いける! 庭での野点用・・・・。
支持する部品が見当たらない・・。これは庭に隠れ基礎をつくろうか? しかも二つある・・。
アイデアは尽きないもの・・。
さて本日は先日に投稿した作品の女流画家の師であり、本ブログでおなじみの小生の郷里出身の画家である寺崎廣業の作品です。
箱などなく軸本体のみで売られていた作品です。通常であれば贋作の多い寺崎廣業の作品としては入手の食指を動かすべきでない作品ですが、年号が記してあったので購入した作品です。
朝陽松ニ鶴図 寺崎廣業筆 その35
絹本着色軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:縦2130*横815 画サイズ:縦1385*横670
賛には「明治甲辰正月八日於白井□□ 廣業写 押印」とあり、明治37年(1904年)の制作の大幅の作品です。明治37年は廣業が39歳の頃で各種展覧会で入選を果たすなど活発に制作活動を始めた頃です。
新年を迎えて興にのって描いた作品ではなかろうかと思われます。席画程度の作品ですが、描いた年号まで記した作品は意外に珍しいようです。
落款は「二本廣業」の最初の字体から次の字体に移る頃です。印章は「秀斎廣業」と落款を押印していた頃の作品にも押印されている印章です。
他の所蔵作品と比較すると下記の作品があげられます。
勿来の関 寺崎廣業筆
絹本着色軸装 合箱入
全体サイズ:縦2010*横560 画サイズ:縦1130*横430
この参考作品の画題は八幡太郎と称された源義家(1039年~1106年)です。「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた人ですが、歌人でもあった。前九年・後三年の役あたりで奥州に向かうときに詠んだとされる、千載集に掲載された一首、「陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」をイメージした作品です。
寺崎廣業がまだ「秀齋」と号していた頃の作品で「秀齋廣業」の落款が記されおり、印章が「廣業」の二重丸白印ですが、この印章が本作品と同一印章です。
掛け軸の廉価さとともに打ち捨てられるように寺崎廣業などの秋田県出身の画家の作品が葬り去られていようとしています。地方の衰退の象徴でしょうが、その作品を少しでも保存しようという一助になれば・・。
掛け軸も建物も同じ・・、いかに保存しいくのかは命題としてある。おおいにリサイクルしましょう。
この建物は築何年になりますか?
日本には古民家を修復する技術が発達していて
素晴らしいことだと思います。
古民家も骨董のようなものですから。